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櫻井幡雄さんのことなど   一考   

 

 「旧字の薦め」を読んで櫻井幡雄さん来店。何年ぶりだろうか、かつてコーベブックスで共に仕事をした間柄である。彼はオール関西の編輯者だった。それが思うところがあって、多田智満子さんの紹介でコーベブックスへ来られた。彼とは活字と酒の日々を過ごした。
 「旧字の薦め」で触れた冨山房や角川の漢和辞典には一部木版活字が使われている。コーベブックスの出版物はなにがあろうとも活版で押し通そうというのが彼と私とのあいだで交わされた黙契だった。一冊の書物を印刷する費用は百二十万から百五十万円ほどだったが、母型の制作代金がしばしば印刷費を上回った。正漢字の活字がなければ母型を作るしかない。母型を作るにはパターンから起こさなければならない。須永さんの本を作っていて二百ほどの母型を作ったこともある。そこまでして正漢字を揃える必要があったかどうかは問うまい。ただ、当時の私たちに不可能はなかった。今にして思えば滑稽である。否、滑稽と思われるような活字まで拵えた。
 出版物はすべて活版の直刷り、限定記号までも一字ずつ差し替えて活版で刷った。それが出来たのも彼がいたからである。製本は須川精四郎、帳簿の職人である。フランスで拵えたルリュールを何冊も持ち込んで口説き落とした。
 活字は母型屋が変わると微妙に縦横の肉厚の比率が異なる。また活字の回りの面積も微細に異なる。元活の活字が私にはもっとも気に入った。なによりも、母型を削る機械の精度が違う。精度が違えばエッジがシャープである。
 箔押しは本金しか使わない。従って通常の凸版は駄目で、当初はスーパー活字を用いた。ただしスーパー活字に旧漢字や正漢字はない。そこでスーパー活字の母型を作る。通常の活字は鉛だが、スーパー活字は超合金である。それの母型だから一般活字の数倍の金数がかかる。活字屋でどれだけの時間を費やしただろうか。編輯の仕事が油に塗れ、工作機械との睨めっこになるとは思いもかけなかった。
 スーパー活字よりさらに深い箔押しをするため、須川製本所の紹介で大阪の辻川彫刻所というところに発注し、金属板を電動ノミで彫刻してもらった。そのような話ができるのは櫻井幡雄さんを除いて他にはない。そして旧字を知れば知るほど正漢字が訝しく思われてくる。江戸期の読本に氾濫する俗字の正統性が浮かび上がってくる。櫻井さんがひとこと、「旧字の薦め」を読んで青春のなにかが終わった、というよりも肩の荷が下りたと。
 櫻井さんからのメールを無断で引用して申し訳ないが、「赤坂見附は長い間、ホロ苦い思い出の地でした。1970年6月14日、青山通から溜池方面に大きく右旋回するデモ隊列の中にいた私は「イカロスの翼」をはばたかせるどころか、いきなり両脇から機動隊員に抱え上げられて体が浮き、弁慶橋のたもとに待機していた車まで運び込まれて留置場行きとなる屈辱を味わったのです。以来、足を向けられずにいましたが、還暦を過ぎてようやく「赤プリ」に宿をとり、一考さんのお店に行くという合せ技のショック療法を敢行し、トラウマの解消に努めた」とある。文中の「イカロスの翼」は佐々木幹郎さんが展望に書いたエッセイで、彼の第一評論集「熱と理由」国文社に収められている。その幹郎さんと彼は偶然ですぺらで会った。我々はいまなお権威・権力と熱い闘いをつづけている。

 震災で櫻井さんは家も蔵書も喪った。崩れ落ち埃で埋もれた書冊のなかから三十箱ほどを選び、何時か綺麗にしようと数度の引越を共にした。已んぬるかな、湿気が黒カビを呼び開けたときには書物でなくなっていた。極度なストレス性の狭心症発作のため救急搬送されたと彼から聴いた。名前は伏せるが、某詩人、某仏文学者は震災で蔵書を喪ったあと耄けていたが、数年後そのまま死んでしまった。私はといえば、愛書家読書家といわれる人たちを爾来嘲笑っている。書物を所有することと文学とはなんの関わりもない。


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2008年08月12日 19:43に投稿された記事のページです。

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