カラオケを合唱しましたか。とにかく梅木さんとは飲みました。十年分を一年で飲んでいました。三宮ではじめてお会いした日、ウィスキーが三本開きました。決めたわけではないのですが、以降お会いするたびに三本と決めていました。おそらく飲みつぶれるにはさらにボトルが開いた筈です。毎日一本半、二人で三本のウィスキーを一週間立て続けに開けたのを覚えています。しかし彼の病は酒の飲み過ぎですね。あれは気の弱さがなせる業だったと思います。ひとのことは云えませんが。
一度難波ではりはり鍋を馳走になりました。その日も行きたいところがあればと云われて恵美須東の通天閣へ行きました。例の串カツ屋で気炎をあげたのを覚えています。酒を酌交わした別れ際の彼の淋しそうな顔が忘れられないのです。あれほどシャイで気配りの行き届いたひとはいなかったと思います。六月九日は三郷の空を眺めつつ彼を偲びたく思います。