鼻から排泄される液汁を鼻汁もしくは鼻糞という。その鼻をかむ紙を鼻紙という。鼻糞は不浄のものであって、それを捨て置かずに鼻をかむのはエチケットである。ただしそのエチケットがエチケットたるためには鼻をかんだ鼻紙がゴミ箱へ捨てられなければならない。近辺にゴミ箱が見当たらなければ、ポケットへいれて持ち帰るのが当然であろう。トイレで流せばトイレは必ず詰るが、生理用具を捨てるためのゴミ箱を設置していない店はないだろう。それでなくとも、ゴミ箱を置いていない店舗はないだろうし、駅やコンビニへ行けば必ずある。わたしは鼻炎なので家や車中をはじめ身の回りはゴミ箱だらけである。
なぜこのようなことを書くかといえば、客で約一名、かんだ鼻紙を丁寧に丸めてカウンターの上へ並べて帰るひとがいらっしゃる。親の顔が見たいとはこのことで、自宅ではどうなさっているのだろうかと思案する。自己中心との言葉があるが、きっとこのような方を指すのであろう。カウンターでゲロを吐いて一言の謝罪もなく傲然と帰られる方、または使用済みの生理用具をカウンターの上へさらけだして帰られる方、そのような人はいないだろうが、鼻糞の忘れ物も似たり寄ったりである。
日常生活とは恐ろしいもので、ここかしこに人品骨柄があらわれる。おそらく、その人が書かれるものも件の鼻糞のようなものと思えばよいのかしら。