一九六八年十月から七二年の末まで、ちょっとした契機で某仏蘭西文学者を知った。名を俗に大先生という。大先生の名付け親を私は知らない。私が知り合ったときは既にその名が使われていた。というよりも、大学の関係者はみなさん、ゴダールの映画に登場するプロデューサー、プロコシュと重ね合わせていたようである。モラヴィアの原作をもとにしたゴタール初のオールスター商業大作である。
某仏文学者の社会的地位がどのようなものであったのか、私は知らない。そのようなことにはいささかの興味もないからである。ただ、大先生の過去の翻訳には興味があった。だからお会いしたのである。
その仏文学者のエキセントリックな人品骨柄についてここで書きたいのではない。書かなければならないことはいくらでもあるが、まだその時期ではない。自らに課したお題は翻訳である。
前述した「ジョン・マンデヴィル卿の旅行」を読んで、こなれていない訳文と久しぶりに出会った。詳しくは東洋文庫の「東方旅行記」、ジョン・アシュトン「奇怪動物百科」、ジャイルズ・ミルトン「コロンブスをペテンにかけた男 騎士ジョン・マンデヴィルの謎」等々を繙かれたい。私がここで取上げたいのはあくまで翻訳文である。とは言え、「東方旅行記」を翻訳なさるような奇特な方の文章にケチを付ける気は毛頭ない。「こなれていない」の一言で十分である。
大先生の翻訳原稿をはじめて頂戴したときのはなしをしよう。さらにこなれていない翻訳についてである。その原稿はなぜか拙宅にある。翻訳の対象は、国立古文書学校を卒業後、巴里国立図書館に勤務、アレクサンドル・コジェーヴの影響のもとに徹底的なヘーゲルの継承と批判から出発した思想家・作家である。その原稿を手にしたときは愕いた。「……」とだれそれが言った、とすべての会話の終わりに几帳面に添えられてあった。この「だれそれが言った」は確かに原文には入っている。しかし、それを端折っても誰の発言か分かるように翻訳するのが、翻訳者の務めであろう。ことごとく削除しろとはいわない。変化を持たせる、もしくは「とだれそれ」だけでもかまわない。「といった」を端折るだけでも随分とすっきりする。私はその原稿を真っ赤にした。そのときの大先生の御歳は四十六、翻訳者としては油が乗るころである。
往時の大学の事務方から聞いたはなしだが、とある裁判でもめた折、大学に残れば名誉教授にはしない、辞めていただければ名誉教授にすると迫られて、躊躇なく高額な退職金と税金を納める必要のない終身年金を選んだ。人を育てるよりも金、授業なんざあやってられるか、これなどは大先生の大先生たる所以である。
このような文章で名前を引き合いにだされると出された方が迷惑する。従って、比較や参考はなにもない。世の仏文学者の大方は大先生を認めてもいないが、それらの発言もここでは控える。ただ、一部のマニアの間ではいまなお持て囃されているようである。ちなみに辞書を引くと「「マニア」は英語の mania に由来するが、この語は「精神病」を意味し、その病気にかかった「狂人」は maniac。従って、何かの趣味に「熱中する人」の意味の「マニア」を mania とするのは正しくないし、maniac もむやみに使わないほうがいい」とある。されば「オタク」であろうか。大先生から自称愛書家まで、無菌培養の世界で成長した絶対論者であり、美の信奉者であればこそ、「オタク」が相応しかろう。
「選ばれた少数者のために」が大先生の標語の一つだったが、これはゲッペルスが好んで用いた言葉である。ゲッペルスから採ったのか、それとも「時々は有益なことをいつてゐる」と茂吉が評した吹田順助訳ローゼンベルクから採ったのか定かでない。その標語に対して「話を書物に限っても、書物は複製芸術であり、いかに部数を劃ったところでそれすらが逞しき商魂。よしんば購入者にマイノリティー意識という妄想を抱かせたとすれば、それは偽善でしかない」と私は書いた。大体において、少数者という曖昧な文言を安易に用いるところに、大先生の思慮の底の浅さが窺える。そして、選ばれた少数者などと煽てられて脂下がるのはマニアやコレクターの常である。そうして、そのような土壌からファシズムが培養されてゆく。
翻訳とは自らの権威や権力もしくは社会的な地位や名声を誇示ないしは保持するためのものであってはならない。翻訳とはついに男子一生の為事たり得ない。一笑の為事とすべく、努めて努力しなければならない。