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人生いろいろ   一考   

 

 「冷たくあってほしいと願う」ここに要点がある。暮れなずむ人生のひと日、さまざまなことを思い浮かべる。かつ消えかつ結びし日々を泡沫とさだめ、地上にとわの憶い出を遺せし人たち、こころならずも密咒を呟き、はからずも白鳥の歌を刻むしかなかった人たち、個々いろいろな人生を刻む。そして記憶はせつないほど懐かしい、はじめてめぐり会った遠い遠い時の爽やかさのままにある。
 冷たくあれとは、自らの情念を指す。「誠意、義理、情を三歩、歩いて忘れてしまうのが渡辺一考」とは石川潤さんの評するところだが、それは正しい。「正しい」ではなく、そうありたいと願っている。生きのびるための方策、それは自らを冷笑し続けるしかない。生きのびることが必ずしもよいとは思わないが、死に至る美学など糞食らえである。美は常にまるごとある。
 かつて「美しい日本」と題する文章を掲示板へ掲げた。「・・・美はそのままで全体である、まるごと、あるがままのものに解析は意味をなさない。言い換えれば、論理演算を苦もなくくぐりぬける能力を美は持ち合わせている。と言うよりは、その能力こそが美の天資なのである・・・個人は全体を構成する部分である、そこまでなら異議はない。しかしながら、個人の一切の活動は全体(この場合は美)の成長、発展(助長、深化でも同じ)のために行われなければならない、とするならばかなり危険な思想に近づいてくる。さらに、美に対する懐疑が喪われ、美が讃美の対象と化したとき、それを全体主義という」
 書いたのは二○○六年九月、Aさんを強く意識しての文章だった。若ければ若いほど、ひとは卓越したもの、超越したものに強く惹かれる。昼とか夜のような相対概念のなかにすら絶対概念を求めようとする、シュプレマティスムやシュルレアリスムの時代ではあるまいに。比較や対立を絶した存在を冀求して、至高を求めてひとは美の渦中へ跳びこんでゆく。美と絶対との相々の道行、その先には死が待ち受けている。もしも死ななければ、懐古の日々を送ることになる。
 思うに、生きるとは俯して僂(かが)まることではないだろうか。眉目の見ぐるしさでも不格好でもよろしいが、しゃがみとまがりのうちにこそ、躊躇いがあり、遁巡があり、佶屈がある。生きるなら、素手で空虚に触れたいと思う。「年新たに、虚無の杯を」とは掴んで離さない空虚、そのひりひりとひろめく小刻みな震動への冷たい讃辞に他ならない。


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2008年01月10日 21:33に投稿された記事のページです。

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