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ローカリズムについて   一考   

 

ローカリズム
 五百年ほど昔、大航海時代にはじまったグローバリズムが植民地主義や帝国主義の苗床となった。振り返るに、最初のTPPとでも云うべき衝撃の出会いはフランシスコ・デ・ザビエルであり、ルイス・フロイスだったに違いない。
 グローバリズムの対義語はローカリズムだろうが、リージョナリズム、セパレーティズム等と複雑に絡み合い、単純に片付けるわけには行かない。わたしなどは地域主義の典型は鎖国だろうと思っている。1639年(寛永16年)から1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶようである。
 はなしを面白くするために、1866年の坂本龍馬が計った薩長同盟や1868年の新撰組局長近藤勇処刑によって日本のローカリズムは息の根を断たれる。近藤勇がローカリズムの守護神であり、坂本龍馬がその逆との図式になる。坂本龍馬ほど節操のない人間も珍しかろうが、亀山社中は日本最古のグローバル企業だった。
 米国の不参加によって再度、TPPへの賛否が囂しいが、維新以降の日本は一貫して植民地主義、帝国主義の道を歩んできた。戦後、帝国主義の衣は脱ぎすてたものの、本質はなにひとつ変わっていない。海援隊以降、企業のグローバル化は止まるところを知らず、日米の二箇国で世界の七割(計算方式によってまったく異なる)を占めるに至っている。
 ローカリズムだが、日常生活の場でパソコンを用い、携帯電話を必需品とする現代人にいまさら鎖国時代の生活が営めるのであろうか。海外交通はおろか、近隣の旅すらが禁止され、外交、貿易が制限された時代である。鉄道や国道を廃し、水平方向でなく、文化を川単位すなわち過去の垂直のそれに変更しなければならない。「日本の橋」の含意をこころの旅の本意とする、言い換えれば、ブータンの国民総幸福量に顕著なスローライフへの回帰である。
 さて、わたしは病人との立場から混合診療を認めるしかなく、TPPに諸手を挙げて賛成だが、民意が反対ならそれでも佳いと思っている。それでなくとも、維新それ自体に否定的だし、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」「坂の上の雲」などの司馬史観と呼ばれる歴史観に違和感を覚えている。私事で恐縮だが、米国由来の遺伝子組み換え医薬品によって命脈を保っているのが現実である。しかし、そうした最新の医療技術を棄てる覚悟は端から出来ている。欧州では七十歳を境にして、透析にせよ、癌にせよ、認知症にせよ、一切の延命治療は断たれる。わたしの命はグローバリズムがもたらす医療とのセレンディピティによって支えられているが、その底には間違いなく一種のローカリズムが流れている。

追記
 2011年12月28日に書いた文章を少々手直しした。


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2017年11月13日 23:52に投稿された記事のページです。

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