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ばらソース   一考   

 

 豚饅といえば新開地の春陽軒である。ピリ辛の赤味噌が効いた味で昔からウスターソースで頂戴する。このウスターソースの癖からいまだに脱け出せないでいる。
 小学三年生の折、生れてはじめての骨折を経験した。母親から上沢七丁目の接骨医院までタクシーで行くか、それとも春陽軒の豚饅かと択一を迫られ、私は躊躇なく豚饅を選んだ。母と私のあいだに何の屈託もない時期があった。
 名物に旨いものなしで、老祥記の豚饅を私は好きでない。私に限らない、神戸っ子なら誰も食べないであろう。「タコヤキ屋三十軒」で「東京のマスコミで取上げられ、観光客が玉子焼きと蛸の関東煮を求めて列をなす店があるが、あれは明石でもっとも不味い店である」と書いたのは「本家きむらや」である。同様に、老祥記で列をなすのは何も知らない観光客である。この消息は「駒形どぜう」に至るまでなにも変わらない。
 大体が醤油と酢で豚饅を食べるなんざあ、気が狂っている。なにもつけないか、もしくはウスターソースに決まっている。大正十三年に下山手七丁目の駄菓子屋ではじまった一銭洋食(お好み焼きの走り)をはじめとして、肉天(お好み焼きの別称)発祥の地とされる六間道商店街のばらソースに至るまで、神戸の文化はウスターソースによって支えられてきた。
 ライスを皿に盛ってソースをかければ西洋ライスというがごとしで、ビフカツ、ハンバーグ、カレー、コロッケ、サラダなど見境なしにウスターソースをぶっかけて食していた。逆にいえば、ウスターソースさえかければ何だって立派な洋食に化けたのである。ウスターソースの登場は明治期、マヨネーズソースの発売が大正十四年、タルタルソースはずんと遅れる。そんなところも、私のようなウスターソース好きをいたく喜ばせるのである。


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2008年08月06日 14:08に投稿された記事のページです。

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