「深川文化史の研究」に、つかみ寿司と深川丼(深川めし)に関する記述があった。共にアサリ料理だが、このつかみ寿司は正確には掴み漬(つかみづけ)と云うらしい。華屋與兵衛に関する書物で、アサリを握った深川の掴み漬(つかみづけ)の記述に出遇ったことがある。
アサリは通常、軍艦巻きである。しかし、昔は握っていたようである。ここで云う昔は実にいい加減な表現である。そもそも江戸前(江戸前自体が後から生れた言葉)の握り寿司は今のそれの三倍はあった。昨今の1貫25グラムと云うのは大正から昭和に這入ってからのことである。1貫の握りを二つ三つに切って出す理由はそこにある。
さて、深川の掴み漬はアサリを握り、秘伝のタレをかける、よほど固く握らないとばらばらに解れてしまう。ところが、これと似た握り寿司を三橋敏雄さんに馳走になったことがある、八王子である。八王子から電車でまっすぐ下れば茅ヶ崎、三橋さんによると魚は小田原すなわち相模湾からやって来る。近海物のマグロのカマ焼きが八王子で流行ったのも同じ理由による、と。確かに八王子の寿司は旨い、内陸にしては随分と魚が活かっている。
江戸流つかみ寿司と同じ名称のつかみ寿司が大阪にある。こちらは「握る」のではなく「つかむ」ぐらいの力加減でシャリを成型する。従って、江戸前や八王子のそれとは似て非なるものである。ほろほろと崩れそうになる飯をしっかり握るところに深川のつかみ寿司の技術の真骨頂があるのだが、大阪のそれは単なる手抜きとしかわたしには思われぬ。最悪の握り寿司の一種である。ちなみに、深川の流れを汲む寿司屋も大阪の寿司屋も屋号は同じ吉野である。