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 当掲示板の号はですぺら。当然のことだが、辻潤の虚無思想を伝播させるのが唯一の願いである。願いであって目的ではない。いやしくも辻潤の読者であるなら、人生に目的を持つような愚挙には至るまいと思っている。ただし、勝手にそう思っているだけで、実態は存じ上げない。
 この七年余、私自身も幾多の書籍の口入れや編輯にかかわったが、お客さんのなかからも、書籍や詩誌が数多く上梓された。そして店の余命はあと七日、書きたくないのだが、年長者としての責の一端を吐露する。
 同人誌や結社誌は相応の才能の持ち主が集って可能になる。まず同人誌ありきで、あとからの員数合わせなど論外である。こころがあるのなら個人誌をはじめるべきである。過日、書き物は個のはかなごとだと書いた。
 同人誌はそれでなくても悶着が多発する。それが才能と才能の激突なら嬉しい悲鳴になるのだが、大半はたけのこ族の意地の張り合いである。まず、原稿の書き直しを要請するなど考えられないことである。自分で自分の文章の判断がつかないところに最大の問題がある。そのようなひとが十回書き直そうと二十回書き直そうとなにも変わらない。初稿の段階で掲載を拒否すべきで、書き直しを要請する側の無責任さが窺える。編輯とは闘争であり喧嘩である、ひととひととのかかわりを生涯にわたって歪める結果を招く。その覚悟のない者が編輯に携るなどあってはならないことである。
 さて、原稿の書き直しを要請される側である。その場合の要件はふたつ、中身がないもしくは肉声がないのどちらかであろう。要請は叱咤であって叱責ではない、思うにありがたいはなしである。叱咤は自己の確立(なんと薄っぺらな言葉か)、要はひとりだちを促している。そして自立とは自分自身への懐疑であって、慢心を意味するのではない。仕事が多忙をきわめる、生活に煩わされる、他人に引っ掻き回される、孤独が必要だ、心身ともに自由でありたい等々、他者に責任を押しつけて知らぬ顔の半兵衛をきめこむのを慢心という。
 「私」に憑かれたひとがここにもいる。「私」が邪魔をしてなにも見られない見ていないということになる。過日著した「ひとの言葉の読み取り、解体、透過、吸収という一連のサイクル」に無縁で、なんの文学なのか。書くことが目的化するのを馬鹿の骨頂という。猛省を促したい。
 さて、彼たち、彼女たちがですぺら其二へいらっしゃるかどうかは分からない。ただ、お薦めはしない。なぜなら、ですぺら其二は私の個人バーである。重しを私は喪った、されば仮借ない批判が待ち受けている。


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2007年06月15日 15:22に投稿された記事のページです。

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