二十一日朝、通じがあった。一センチほどの便だが、固形物を放り出したのは十日振りだった。通過に伴う痛みにギャアと悲鳴をあげるも、生体であることを思い知らされた。糞を愛おしく思うとは妙なはなしだが、出てきた糞を食したくなった。
血圧と貧血は直接関係ないが、わたしの血圧はもっか100-50、ヘモグロビンは8を切っている。二十一日朝から憩室の出血は止まったものの、痺れがひどく、掌の感覚がまったくない。貧血の昂進によって、駐車場から店までの一キロが歩かれない距離になってしまった。輸血以外に解決策はないのだが、輸血が可能かどうかの検査結果が来週の火曜日に出る。輸血されるのは濃厚赤血球、場合によっては心不全の危険性が大きく、予断は許されない。
頸部動脈を流れる血の音が全身に響く。心音が頭蓋のなかを谺する。脈拍数は105から110で、異常などというものではない。まるで、猫のそれである。横にいるだけで搏動が聞こえると、ちはらさんがいう。
血圧と脈拍は毎日、朝夕に計っている。血圧は振幅の幅が大きいが、脈拍は高いなりに安定している、不整脈であるにもかかわらず。不思議だなあ、と思っていたら、二十三日は98、100を切ったのは十八日ぶり。このまま60にまで下がってくれれば嬉しいのだが。
二十日はみなさんのお世話になった。大腸の憩室炎とポリープの内視鏡写真を肴に、ウィスキーはゆっくりと注ぎ、水はボトルごと出しっぱなし、揚句は幹郎さんにグラス洗いをお願いする始末。なにもかもがスローモーションに過ぎゆく、夢のなかのような一日だった。おかげで四、五日は休養を取られるようになった。感謝のしようもない。