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野沢ハイム   一考   

 

 赤坂から世田谷の野沢まで足を延ばした、松山俊太郎さんに着物を届けるためである。彼がジャージ姿で来店なさったのは一年ほど前、着物を召したところしか知らないのでひどく悲しく思った。着替えもなく、洗い張りをしてくださる友にもめぐまれない。意味をなさない積んどくだけの書冊を購う金があれば古着ならいくらでも買える。取り巻きのなかでその程度の友誼すら持ち合わせる方がいなかったとしたら、切ないで済む問題ではないだろう。とは申せ、それが老いのあかし、明日のわが身である。
 金子國義さんからお預かりした紗へ加えるに、紗と絽を一枚づつ、大島紬を二枚と綿が一枚の計六枚をお持ちした。うち一着は父のかたみだが、袖を通されるのが松山さんなら喜ばれるに違いない。野沢ハイムについては郡さんの、虫食いその他の検品はまなさんにお願いした。
 松山さんは話したいこと、相談したいことが多くあると仰有ったが、それを振り切っての帰路となった。後日機会はもうけますと約束したものの、私にできるのはこれまで。帰りしな、角を曲がるまで松山さんの見送りを受けた。角を曲がって環七へ出て思わず落涙。三島、土方、澁澤、種村等々、さまざまな思いが脳裏に浮かぶ。「嘲世罵俗、志趣高簡の衒いにあらず、消閑一時の戯れを装いつつ、虚と実の弁証法を解く。これを一觴一詠と言わずになんとする」と著したのは「後方見聞録」の解説。今の私はその弁証法的なるものの否定に大きく踏み出してしまったが、彼等の「狂おしくも遣る瀬ない捨て鉢な生き方」はそっくり丸ごと私の生き方でもある。さて、彼と酒を酌み交わす法はひとつ、送迎の車と有志のおっぱいを付けて拙宅へ来ていただくしかない。


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2007年10月06日 17:27に投稿された記事のページです。

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