ですぺら
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札付き  | 一考    

 小沢一郎の三人の秘書、石川知裕衆議院議員、大久保隆規、池田光智に対する裁判がはじまった。裁判の詳細についてはそちらで調べていただきたいが、吉田正喜元特捜副部長をはじめ、田代政弘、前田恒彦と札付きの検事が取り調べを担当しているのは強調しておきたい。冤罪だった村木厚子元厚労局長への取り調べと構図を一にする。
 そもそも小沢一郎の事件(事件かどうかは分からないが)は検察のリークとそれを鵜呑にしたマスメディアが主をなす。担当検事の一名は左遷、一名は退職、一名は獄中にある。
 虚偽記載とされた問題点は二点。その内、新政治問題研究会と未来産業研究会に関しては、検察側証人として出廷した西松建設元総務部長が二つの政治団体に実体があったと証言。また、検察側は水谷建設から一億円の裏金を受け取ったことを前提に論を進めるも、水谷建設元会長は裏金問題が検察による創作であると証言。自ら立てた証人により自らの論理が崩されてゆく。
 こうした重大ニュースをメディアが一切報道しない意味はどこにあるのか。立証もできない事柄をあたかも事実であるかのように吹聴する検察、小沢は悪者とのイメージ報道を繰り返すマスメディア、ここには一連の事件の異常さが明確に示唆されている。
 わたしは小沢一郎に首相を務めて貰いたかったが、もっとも大切な季節を検察の謀略によって奪われてしまった。彼が政治家として再登場できるかどうかは年齢的にみて難しい。だからこそ、今の彼に望みたいのは法廷闘争によって、検察の思い上がり、司法制度の矛盾、マスメディアの不正義を暴露し、陽の光のもとに晒していただきたいと、それだけである。怖ろしく難儀なこととは分かっている。しかし、彼なら可能である、小沢一郎にしかできないとわたしは信じている。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月11日 16:19 | 固定ページリンク




湿布  | 一考    

 穿刺に失敗、十数センチの針先が動脈を突き抜けてしまった。若干の内出血だが、これは明日から二、三日痛みを伴う。身体の順応性には怖ろしいものがあって、骨折も何回も繰り返していると、自分で修理ができるようになる。この前の靭帯剥離骨折ははじめてなので、思うようにいかなかったが、手脚の単純骨折はレントゲンで確認するだけで、修復は自前で行ってきた。今回の穿刺ミスも前の病院で経験済みなので、どうということはない。周章てたのは看護師でどうしましょうかと訊く、どうとでもしてくれ、と云って湿布を貼るしかなかっぺと応える。一同大笑いで幕。
 今日から透析の器械が新しくなった。わたしの回りに四、五人の技師、看護師がたむろし、器械を弄くっている。ところで、今日の除水は五百ミリリットル、渡辺さんはやはり食事をしていないと云われ、下着を捲りあげて腹を見せる。喰ってるんだよ、のデモンストレーションである。先程の看護師が器械が新しくなったので、長生きするわよ。不必要な長生きなんぞしたくもないのに。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月10日 23:50 | 固定ページリンク




民主党  | 一考    

 小沢を政権内部にどうして取り込まないのか、現今の民主党執行部の方針は分からないことだらけである。小沢を除名すれば、小沢支持者の造反で予算案と関連法案はますます不成立になる。反小沢を旗印にした時から菅政権の瓦解ははじまっている。
 55年体制終焉後の日本を代表する政治家として小沢一郎と小泉純一郎を挙げたい。後者の不良債権処理と前者の政権交代を重視したい。共にマスコミではまるで悪者扱いだが、わたしはそうは思わない。逆に菅首相は小沢が敷いたレールの上で胡坐をかいているにすぎない。小沢のいない民主党など、山葵抜きの鮨であって喰えたものでない。
 「現在の体たらくには大変落胆している。こういうことのために支援してきたのではなかった」とは小沢支持を掲げる稲盛和夫氏の弁だが、全選全敗の菅首相は一刻も早く解散総選挙すべき。次回の選挙で民主党は小さくなるだろうが、菅、仙石抜きで一から遣り直すしか二大政党制への手立てはない。何度も書いてきたが、市民運動家は赤軍派と同じで権力闘争に明け暮れる、まつりごとなど掌るは不可能。

追記
 石川知裕議員の裁判がはじまったが、石川氏に限らず関係者全員が無罪になることは火を見るより明らか。裁判が進めば検察調書のでっち上げが明白になるだけである。
 去年の8月31日に書いた「雑音」の意見はなにひとつ変わっていない。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月09日 21:05 | 固定ページリンク




世界観追記  | 一考    

 「世界観」は書いていて困惑させられた。書けば書くほどにドイツロマン派のそれと似てくる。わたしは観念論は嫌である、にも関らず、どうして似てくるのか。どうやら未分化なところが多すぎるようである。補足すると書いた理由は以上。もう少し風通しがよくなるのを待って書き直す。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月09日 20:55 | 固定ページリンク




鼻炎  | 一考    

 ポララミンという内服薬を去年の八月以降飲み続けている。抗ヒスタミン作用により掻痒時に効能ありと書いてある。そうかもしれないが、痒みは尿毒素のなせる業で、腎不全には付き物、よって半ば諦めている。どうにもならないときはサリラベートのローションタイプを用いている。ただ、この薬は鼻炎にも滅法効く。アレルギー性鼻炎治療薬としてインタール点鼻液を用いているが、最近はポララミンを専ら内服している。
 透析をはじめた頃は洟がひどくて、看護師が驚いていたが、近頃はめっきり鼻を噛むことが少なくなった。鼻炎の専門薬でないだろうが、慢性のアレルギー性鼻炎に有効である。お薦めする。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月09日 20:45 | 固定ページリンク




大腸憩室症  | 一考    

 ひとの血液量は体重のおよそ十三分の一(男性で約8パーセント、女性で約7パーセント)。従って、体重70キロの場合は5.4キロ、60キロの場合は4.6キロとなる。失血による致死量は半分とされているが、静脈では全体の血液の半分が出血しても処置がよければ生命は助かり、動脈では四分の一で生命の危険にさらされる。
 わたしの憩室からの出血は2リットル強、通常なら失血死に至っている。死なないまでも、意識は朦朧となるはずだった。医師は即刻の入院を命じたが、わたしは車で赤坂を往復。通いの医師なのでなんとかなったが、そうでなければ束縛されていたかもしれない。21単位の輸血によってヘモグロビンは10にまで回復したが、主治医によると交通事故のように一挙に出血した場合は死んでいたらしい。
 入院後の意識ははっきりしているが身体がいうことをきかない。粗相を繰り返したのもはじめての経験だった。御下の面倒が自分で看られないのは最大の苦痛であり屈辱である。済まないと陳謝しつつ汚れたシーツの処理を看護師に頼むのだが、人権を剥奪されたような心持ちだった。身体だけがまるで他人のそれで、老年を逸早く体験させられたと思っている。認知症をはじめ、ひとは歳行けばみな同じになる、まさか自分がと思っていても例外はない。ひとは一人では生きてゆけないと思い知らされた。
 まず思い浮かべたのは私自身が拒否し続けてきた家族である。非常時にならないと思いが及ばないところのものに、わたしも気付かされた。ところが、気付いたときには既に親はいない。家族との概念は晩年のわたしにとって大きな問題として立ちはだかる。
 それにしても、靭帯剥離骨折に末期腎不全、あのような火急の折にどうして大量失血が続いたのか、ただただ不条理を噛み締めるのみ。

追記
 従来、欧米では左側大腸(S状結腸)に好発するのに対し、日本では右側結腸が多いとされる。わたしの場合はまず左側に発生、今では左右一面にに拡がり、立派な大腸憩室症となった。大腸のポリープと共にわたしが抱える爆弾である。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月08日 21:09 | 固定ページリンク




世界観  | 一考    

 何事によらず考えるに際して、自己と他者、精神と肉体、光と闇、善と悪というように二元的に捉えたがる。なにかしらその方が上等な思考回路のように思われるからであろう。しかし、人はひとつの有機体として一元的に考えるのが自然である。病気になって分かったことと云えば、人間は肉体の各部位が互いに緊密な関わりを持つひとつの統一体であって、単なる部分ないしは要素の寄せ集めでないということ。
 クリニックでは糖尿病から透析に這入った方が多いが、固形物を摂取している状況にあっては好き嫌いが生じるのはやむを得ない。近い将来、食品に対するイメージが大きく変わるに違いないが、その時は糖尿病から透析に這入るというのは昔語りになる。世界観とはおかしなもので、折々の時代、状況から一歩も出られるものでない。
 人工多能性幹細胞(IPS細胞)はまだ細胞レベルの基礎研究であり、実際に移植した際の機能や組織補完能力については良く分かっていないのが現状である。いずれにせよ、IPS細胞が実用化されれば、また新たな世界観が表れると思う。
 わたしが子供の頃、巷には傷痍軍人が濫れていた。片目をを損った父もそうだったが、往時の大人の半数近くはなんらかの障害者だった。わたしが六十歳を出て、手脚のない人は減り、別な意味での障害者が増えた。往時、IPS細胞の実用化がなされておれば、傷痍軍人のイメージも、さらには戦争のイメージもまるで異なったものになっていたに違いない。考えるだに怖ろしくなるが。
 わたしが屡々ひとは時代の子と云うのは、そのような事情による。さて、二元的な考え方だが、花田清輝、石川淳、安部公房、吉本隆明、埴谷雄高、林達夫等々、枚挙に遑がない。そしてそれらは時代の要請であり、時代の必然だったと思う。ひとは過去のなかを彷徨うが、未来を生きることはできない。余談だが、わたしがSFを認めない理由はそこら辺りにある。
 認めないとは云っても、IPS細胞は拒絶反応のない移植用組織や臓器の作製が可能になる。男性から卵子、女性から精子を作るのも可能となり、同性愛者同士による子の誕生も可能になる。世界観と緊密な関わりを持つ倫理観も大きく変化するに違いない。そうしたことは想像するだに楽しい。思うに、夢とは倫理の崩壊が端緒でなかったかと。
 遠い将来、ひとの身体同様、社会、国家、民族、宗教、そうしたものが、全体は要素(あるいは個人)の単なる総和には還元できない独自の存在であるとする考え方が証明されるに違いない。独自の存在であればこそ、闘いは虚しい。なぜなら、違いを違いとして認知するところにしか独自性はない。善悪といった二元的証明は必要でなくなる。(この項に関してはいずれ言葉を補足します)


投稿者: 一考      日時: 2011年02月07日 23:18 | 固定ページリンク




CAVI検査  | 一考    

 六十四回目の誕生日を迎えた。計算によると、あと二回誕生日を迎えられれば御の字だそうである。よほど巧く推移して三度目がやっとだそうである。六十六歳で死のうが、六十七歳で死のうが大差はない。既に擲げた人生であって、酒は嗜めなくなったが、一日、一日を楽しく過ごしている。透析ももっかのところ、なんの苦もなく打ちすぎてゆく。今年も独りかなと思っていたが、訪人あってひとときの晤語を楽しむ。
 ところで、ALSの検査と書いたが、あれはCAVI(キャビィ)検査の間違い。動脈硬化度検査で、動脈硬化の程度と狭窄、閉塞の有無、要するに高血圧、高脂血症、糖尿病などの危険因子を調べる。具体的には仰向けに寝た状態で両腕・両足首の血圧と脈波を測定する。簡単だが、半年毎に検査することで動脈硬化の経時的変化が分かる。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月05日 21:44 | 固定ページリンク




保険点数  | 一考    

 民主党政権になってから医療に関する出費が目に見えて減ってきた。先月も透析の保険点数が減らされた。業者にとってはかなりの負担になる。現在、透析治療への国庫からの出費は年間一兆四千億円を超えたと聞く。問題は糖尿病からの透析患者と高齢者が増え続けていることにある。斯くいうわたしも高齢者のひとりだが。
 透析治療には毎月六十万円が必要である。民主党の思惑は月に八万か十五万円ほどの負担を患者に強いることにある。次回の総選挙で民主党は間違いなく透析患者とその家族を含めて百万票は目減りする。民主党と云うよりも菅政権の臨終は近い。新進党時代より、わたしは小沢一郎のファンだったのでなおさらその思いを強くする。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月04日 16:08 | 固定ページリンク




ワクチン  | 一考    

 過日、肺炎球菌ワクチン(ニューモバックス)を受けたが、値は六千五百円。ちなみにワクチンの類いは国保が効かないので実費である。これで風邪に対する手当は済んだが、一万円ちょいの出費になった。死亡率から考えて、命の値段だから安いものである。ただ、ワクチンは罹らなくなるのでない、罹っても重度にならないという一種の保険である。
 ALSの検査(動脈血液ガス分析)があったが、時間の都合がつかず、次回(半年に一回)になった。医師に云わせると血圧の高低差があるので問題なかろうと云うことだった。ところで、ALSが何の検査なのかわたしにはさっぱり分からない。患者が理解できない検査を受けさせるとはいささか強引なクリニックである。透析患者なら知っていて当たり前との論理が屡々罷り通る。当方で調べれば済むことだが、困惑させられる。どうやら、ちょいと痛みを伴う検査のようである。聞くところによると足の動脈へ穿刺するらしい。痛みには毎度慣らされているので問題ないが。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月04日 15:51 | 固定ページリンク




カロリー  | 一考    

 一日一キロと書いたが、毎日一キロも飯を喰っていると太るに違いない。透析患者は体重を安定させる必要がある。基礎代謝量が個々に異なるが、一日1300から1800カロリーで十分である。ちなみに、ほっかほっか亭ののり弁当が720kcal、とんかつ弁当なら933kcal、松屋の牛めし(並盛)が671Kcal。普段食べる蛋白制限食は一包装あたり300kcalなので怖ろしくハイカロリーなのが分かる。
 わたしが子供の頃の支那ソバもしくは饂飩蕎麦の類いは150グラムだった。今でははなまるのかけ小盛りの饂飩が210グラムで273kcal、拉麺に至っては倍以上の量になっている。要するに、現代人は飯の食い過ぎである。
 一日一キロは除水量からの逆算で、一キロ喰わねばならないというわけでない。今日も技師とはなしたが、除水でもっとも多いのは2リットルだそうである。おそらく、一日二食が一般的なのだと思う。一食分の除水は大体400ミリリットル、二日で1.6リットル、水と併せて2リットルちょいである。わたしは今多いときで1.2リットル、技師からさらに減らすべきと云われた。自力で尿が排泄されているからである。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月03日 22:53 | 固定ページリンク




一日一キロ  | 一考    

 「カリウムがどうの、リンがどうの、ナトリウムがどうのと云った類いは後のはなしで、まずは摂取量をいかにして抑えるかである」と書いた。血液検査が各週になってからさまざまな実験を試みた。野菜や練り物、ウィンナや魚の子等々、危険なものがどこまで食べられるのかという実験である。結果、血液検査になんらの異常は見られなかった。問われるのは分量であって、一日一キロの食生活を守る限りほとんど問題は生じない。三食で飯が450グラムの場合、副食は550グラムになる。
 例外は中華料理とラーメンとキーマカレー等々である、あれはナトリウム過多でどうにもならない。パンと麺類は規定量を食している限り、問題は生じない。外食は基本的に分量が多すぎて困惑させられるばかり。半分残すのであれば、たとえ外食であっても大丈夫。
 一日一キロさえ守れば、リンやカリウムが少々増えても、レナジェルやカリメートのような吸着剤で処理できる。カルタンのような「沈降炭酸カルシウム」はビタミンD製剤と併用すると血清カルシウム値が上昇する。わたしはレナジェルのような塩酸セベラマーを薦める。ただし、便秘の問題は残るが。
 食べ物単品でどうのこうのと云うまえに、総量規制を重視すべき。あまり五月蠅く制限を設けると食欲をなくする、そちらの方が問題。この半年でわたしが得た結果である。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月03日 11:16 | 固定ページリンク




食事量  | 一考    

 2キロの食事と1.5リットルの水が日本人の平均摂取量である。そのうち大便になるのが600グラム、他の2.9キロが水分となる。二日で5.8キロ、透析患者が健常者と同量の食事を摂ると半年以内に臨終を迎える。カリウムがどうの、リンがどうの、ナトリウムがどうのと云った類いは後のはなしで、まずは食事量をいかにして抑えるかである。
 1キロの食事と0.5リットルの水、これで二日で2.4キロになる。これが透析患者が摂る量の上限である。今後の余命を考えればこの半分が理想だが、現実には無理である。「透析患者の寿命」で書いた余命を全うしようと思えば、2.4キロは譲られない。守られなければ、一年以内に三分の二の透析患者が死去する、そのなかに這入ることになる。
 前述したリンとカリウム、蛋白制限などは守る必要はない、と云うのは2.4キロを守れば余程偏った食事(例えば拉麺)でない限りクリアできるからである。まずは量ありきである。
 透析患者は大方があと何年生きられるかを問題にする。ならば2.4キロを守れば「透析患者の寿命」で書いた平均寿命は生きられる。それを制限ととるか、病気に罹ったが故のタックスととるかである。日本国憲法には国民の三大義務のひとつとして納税の義務が上げられている。その納税の一部だと思えばよいのである。
 繰り返すが、1キロの食事と0.5リットルの水、これは守られない量でない。好きなものを食べられないと悄気るまえに、好きなもので良いのである、ただし量を少々控えめに。それだけで寿命を全うすることができる。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月02日 21:11 | 固定ページリンク




転蓬の憂え  | 一考    

「ノミトビヒヨシマルの独言」の末尾を書き直した。季村敏夫さんはすぐれたドゥルーズの読み手である。遊牧的、流動的な思考回路を持つ詩人は極端に寡ない。相互嵌入を詩形に定着させた希有な手練である。それを書こうとしたのだが、当方の読みが浅くて巧く表現できない。季村さんに深謝する。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月31日 20:28 | 固定ページリンク




除水率  | 一考    

 寿命や余命について何度か書いてきたが、そのようなことで一喜一憂しているわけではない。透析患者のサイトを読み、もっとも気になることだと思ったから書いている。楽観的なひとがあれば悲観的なひともいる。それらは生まれつき持っている稟質であって、悲観的なひとを楽観的に改造するのは不可能である。ひとそれぞれで良いとわたしは思っている。
 もっとも大切な水分管理にしても、現状では少量だが自身で排尿されている。よって除水率は少ないが、尿が出なくなると一挙に除水量は増える。そうなった時にも管理できるかどうかの自信はない。
 意外と見落とされているのが、食べ物が含んでいる水分である。食べ物の七割近くは水分である。二キロの摂取によって一キロ半ほどの水分が蓄積される。二日間水を一滴も飲まなかったにせよ、三キロの除水になる。仮に一日一リットルの水を飲んだとすれば、計五キロの除水になる。これでは心不全を惹き起こす。従って、一日の摂取を一キロ以内に、一日に飲む水を五百ミリリットルまでに制禦しなければならない。それで二、五キロの除水になる。ちなみに、松屋の牛めし並盛りが四百グラムほど、三食喰えばそれだけで一キロをオーバーする。
 このようなことを何故書くかと云えば、「透析時体重減少(除水)率と1年間の生存に関するリスク」によると、ドライウェイトに対する除水率は、
 2.0〜4.0パーセントの場合1(最もリスクが少ない)
 4.0〜6.0パーセントの場合1.02
 6.0〜8.0パーセントの場合1.16
 8.0〜10パーセントの場合1.68
とリスクが増えてゆく。体重六十キロの場合、除水量は一、二キロから二、四キロが理想であって、それを越えるとリスクが増える。リスクが増えるとは寿命を縮めることである。現実的な数値ではないと思うが、余命はそうして決められる。長生きをしたければ、節食、節飲に務めることである。わたしにはそこまで徹底する気は毛頭ないが。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月30日 15:34 | 固定ページリンク




利尿  | 一考    

 今日は技師でなく看護師が穿刺に当たった。曰く、「前回が600、今日は500(ミリリットル)、除水の単位ではないのですが。本当に食事しているの」と叱られてしまった。わたしは朝飯を食べてすぐ病院へゆくので、一日のうちではもっとも体重が重い。玉子ふたつのオムレツと飯を150グラムそれとコップ二杯のお茶、きっちり食べて出掛けたのである。にもかかわらず、このような結果になった。
 透析をはじめる前は惨憺たるものだった。買ってきた弁当を一日がかりで食べていた、それを思えば食事量は倍以上に増えている。体重も徐々にだが増えている。ところが除水分がなかなか出てこない。二リットルぐらいはなんとかと思っているのだが。
 まだ当分はもっとも細いダイアライザーで間に合いそうである。主治医は利尿だよ、と云ってくださるが、どうもそれだけではないようである。量をもう少し増やそうかと思うが、これ以上は食べられそうにない。週に一度ぐらいは猛烈に腹が減ることがあるが、それも単発で終わる。処置なし。

 追記
 最近アクセスログを見るのが嫌になってきた。物騒な項目が多く、動脈へ注射針を刺して自殺というようなものまであった。生きたいひとは生き、死にたいひとは死ねばよいと思っている。人品骨柄は病に罹ったから罹らなかったからで変わるものでない。三万人の内、二万人に這入ろうが、一万人に這入って居残りを決めようが、大したことでない。なるようにしかならない、狼狽えるなと云いたい。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月29日 22:35 | 固定ページリンク




余命  | 一考    

 毎年三万人が新たに透析患者になり、二万人が亡くなるため、約一万人が純増している計算になる。現在総数は二十八万人とも三十万人とも云われている。単純計算だと三分の二は一年未満で死去している。単純計算と述べた理由は発祥時の年齢を考慮していないからである。「透析患者の寿命」で記したように、余命は透析を始めたときの年齢に左右される。透析生活三十五年十一箇月との記録があるが、これは二十歳で透析をはじめたケースで、かつ二十八万分の一の確率である、従って参考にはならない。
 透析患者の死因の一位は減少傾向にあるものの心不全。心不全は水分管理を怠ると惹き起こす。血圧値や心胸比を参考にしながらドライ・ウェイトのこまめな調整が必須。二位が感染症で肺炎が含まれ、高齢者、糖尿病性腎症の増加に比例している。風邪引きは命取りと書いたが、風邪に予防薬はない。罹ったときに重度に陥らないためのインフルエンザワクチンや肺炎球菌ワクチンの積極的な接種が肝要である。
 透析を受けながら何年生きられるかは分からない。膠原病やアルポート症候群の患者もいて、一括りでは考えられない。医師は大きく別けて糖尿病と糖尿病以外とに分類しているようだが、やはり個体差があってなんとも云えない。「透析時体重減少(除水)率と1年間の生存に関するリスク」などを検索しても、具体例に触れているわけでない。自らの寿命は自ら考えろということのようである。ただし平均値は出ている、健常者と比して極端に寿命が短くなるのは間違いない。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月29日 21:27 | 固定ページリンク




透析掲示板  | 一考    

 グーグルから新春特別無料お試し抽選券なるものが送られてきた。金額は三万円、これで宣伝がもう少し続けられる。当方のカウント数が高いせいだが、グーグルにはお世話になっている。もっとも近頃はシングルモルトでなく、透析掲示板の趣が強くなっているが。

 わが国にはろくでもないソーシャルサイトしか存在しないと思っていたのだが、フェイスブックは良さそうである。匿名でないこと、本名、顔写真というのが気に入った。かねてより、匿名子の発言には胡散臭さを感じていた。匿名ゆえの著作権無視など以ての外である。わたしは掲示板を開いているので用事はないが、フェイスブックなら参加しても良いと考えている。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月29日 00:59 | 固定ページリンク




寿命  | 一考    

 骨密度が戻ったのを祝して半額の海胆丼を四百四十円で買ってくる。値が値だけあって、軍艦巻の二巻ぐらいの量の海胆である。北海道の海胆丼は三千円から四千円はするが、海胆の量がこちらの丼の五、六倍は盛られていて、結果的には安いのである。
 近頃は刺身、鮨、焼き肉と好きなものを喰っているが、量は少ない。例えば焼き肉は80グラムから100グラムまで、三切れか四切れしか食していない。飯が150グラムなので、併せて250グラム以内である。それを一日二食、当然、間食はしない。それでもじわりじわりと体重を増やしている。ちなみに、週一回は味噌汁も頂戴している、ただし総量規制はしっかり守っている。守らなければ血液検査はクリアできない。
 ダイアライザーで尿毒、クレアチニン、尿酸などは除去できるが、カリウム、リン、ナトリウムなどは全量処理できない。腎臓は二十四時間動いている。週三回四時間の透析で代行できるのは腎臓の機能の七パーセント。生きてゆくのに最低の機能をダイアライザーが担っている。従って、通常の食事を摂るのはかなわない。特にリンを減らそうと思えば蛋白を減らすしかない。蛋白を減らすとは食事の量を減らすことである。
 いずれにせよ、透析によって尿毒素が浄化されるが、次回の透析まで血液中の老廃物は体内に残されてゆく、それが寿命を短くするのは当たりまえである。

追記
 前項の透析患者の寿命について一言。英国では七十歳を越えるとと移植はおろか、透析さえ拒否されるようである。瑞典では自力で食事ができなければ餓死するしかない。看護師は食事は出すが、それから先の面倒はみない。外国は実に明解である、老人は寿命を守れ、不必要に長生きするなということらしい。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月28日 20:27 | 固定ページリンク




「ノミトビヒヨシマルの独言」  | 一考    

 わたしの父は五度召集令状を受けている。新潟県人なので行き先は五度(たび)満州である。二等兵からの従軍なので、招集の度に階級が上がり、終戦は曹長で向かえている。要は青春のすべてを満州で過ごしたのである。父が死んだ折、いくつかの従軍記章とともに勲章が出てきた。このようなものを置いていたと云うのがわたしには不思議だった。扇動され、動員され、そして裏切られ、国家の表象とでも云うべき勲章にどのような思いを抱いていたのか。戦地のはなしならいざ知らず、戦争について父が語ることは絶えてなかった。
 震災の日、季村敏夫さんから詩集が送られてきた。題して「ノミトビヒヨシマルの独言」(書肆山田)。文中「海峡にさしかかった瞬間、外地の記憶は貨物船から棄てました」とあって、眼が釘づけになった。重いテーマの詩集である。昭和二十一年四月、アビの捕虜収容所を出て復員した彼の父への思慕と同地へ救い出しに行かざるを得なかった子息を綴った詩集である。巻頭ふたつめに「生かされる場所」と題された詩がある。

 ふしぎ、である
 わたしが、父であり
 おまえが、息子であること
 父であるわたしが
 息子でもあることに

 待つ、待たされる
 子であり、母であるひとが
 家のなかでうなだれる

 波の火につつまれる

 うごめきのなかの
 おまえを包む精霊
 王である父とその息の子が
 救出に向かって
 波の火をくぐったこと

 生まれる前
 おまえもわたしも
 ひかりであったこと

 大地にたたきつけられ
 父たることを知り
 子であることを知らされ
 ともに立ちあがったことが
 ふしぎ、である

 遠ざかっているのに
 森の精霊にいざなわれ
 ざわめきのなかの声を感じとれるのが
 ふしぎ、である

 おまえとわたしが死んでも
 森や波は動きをとめないだろうことが
 ふしぎ、である

 わたしの父が息の子であったころ
 茸採りをして歓声をあげたこと

 その歓声が北ボルネオの森からよみがえり
 孫であるおまえを救出したこと

 息を吹き
 息を吹きかけ
 手をたずさえ
 起きあがって歩むことが
 ひとつの災厄からもたらされたこと

 炎の森を
 三人の木霊がしずくとなり
 火の玉となって転がったこと

 三つ巴になった三叉路から
 野犬が飛び出し
 ことばが目覚めたこと
 
 ふしぎ、である

 昔、澁澤氏からその書冊がすぐれているかどうかは腰巻きに使えるような名文章が這入っているかどうかだと、聞かされたことがある。そのような観点で「ノミトビヒヨシマルの独言」を読むことはできない。できないと云うよりも意味をなさない。名文句などと伺う前に、なぜ詩を書くのか、なぜ詩であらねばならぬのかとの問いかけでこの詩集は充ちている。どの頁を繙いても季村敏夫という詩人の肉声が蠢いている。巧い下手を口にする前に、わたしは季村敏夫のルサンチマンに圧倒される。
 一読すると、未整理にして乱雑な詩の羅列にしか思われない、ところが熟読すればひとつひとつの詩語が常に置換可能であり、実に注意深く並置されているのが分かる。わが国にあっては非常に珍しい詩形である。彼はこのような手法をどこで学んだのであろうか。
 「ノミトビヒヨシマルの独言」は一般受けする詩集でない。詩集で一般受けもないものだが、通常は読者を想定する。この読者設定は作品をより普遍化する。普遍化とは、作品を分かり易くすることである。しかるに季村敏夫の姿勢は一貫して読者不在である。おそらく、読者とは彼にあっては内に秘めた憤りそのものであって、憤りが憤りを伴って際限なく分裂してゆく。一種の怒りの細胞分裂である。
 このように書くと怒髪衝冠を思い浮かべるかもしれないが、ご当人は牧師のごとく温厚にして柔和な性格の持ち主である、脆弱ですらある。だからこそ、ルサンチマンが際立つ。自身の無力を痛感し、自身の能動性を受容し、弱者の憤りや怨恨、憎悪が繰り返し詳述される。言い換えれば、弁証法的止揚とか批判的活動を廃し、ルサンチマンを肯定的かつ反弁証法的に再生しつづける。現在では絶えて見ることがかなわなくなったタイプの詩人である。
 彼の詩から「独言」が消えることはあるまい。彼はそれでよいと思っているに違いない。止揚という概念が顕れたとき、それは季村敏夫が季村敏夫でなくなるときである。彼は自らと闘いつづけるが、他人と諍うことは絶えてない。自虐的なまでの彼の姿勢にわたしは並列共存の思想を視る。それを被虐と名辞しようが、倒錯と名辞しようが一向に構わない。そして、彼にあっては顔と言葉が相似形を成す。そこには掛け値もなければ、自負のような選民意識もない。多くの詩人が持つ酔いや陶酔ともっとも遠いところに彼は存在する。
 さまざまな詩があってよい、あるべきである。そのことを彼は彼の詩作でもって証明してきた。もっとも新しくかつ難儀な精神のひとつの有り様を彼は審らかにする。転蓬の憂えを身に纏ったわたしが愛する詩人である。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月27日 21:23 | 固定ページリンク




シール交換  | 一考    

 タイミングベルトの脱着、カムシャフト、クランクシャフトのオイルシール交換と車の修理は大事になってしまった。パーツ代だけで六万円ほど掛かったが、どうもオイル洩れはフロントだけでなさそうである。とりあえず、オイル洩れの添加剤を抛り込んだが、どうなることやら。同添加剤は日産の製品を使った。トヨタ製やBMWの添加剤も使ったことがあるが、安いだけにあまり性能はよくなかったと記憶する。
 裏窓のバタンバタンは結構だが、車のバタンバタンは困惑する。行き帰りの道ではせいぜいが出しても120キロまで、だとすれば相手がベンツだろうとなんだろうと関係ない筈である。ところが軽四にすら追い越される有様。久しぶりに普通に加速するようになった。
 今回も使えるものは日産のパーツを利用したが、オイルシールの類いはトヨタが圧倒的にすぐれている。現在の走行距離は137000キロだが、インプレッサのシールやOリングはこちこちに固まっている。スバルはトヨタの傘下に入ったが、パーツ類も日産からトヨタへ移行するはず、そうするとこの距離では問題がなくなる。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月26日 20:57 | 固定ページリンク




免疫抑制剤  | 一考    

 帰りしなに代車を駆って山崎医師のところへ寄る。腎臓ならびに体調の有様を解いて意見を伺う。排尿があること、造血されている(エリスロポエチンが生成されている)ことを指摘。ヘマトクリットが35.8、ヘモグロビンが12と細かく説明。壊死するのは時間の問題だと思うが、いまなお腎臓のごく一部が機能しているのが面白い。山崎さんも不思議だと強調なさっていた。
 腎不全の患者は貧血と高血圧に悩まされる。同時に高リン血症、二次性副甲状腺機能亢進症(要するにリンとカルシウムの調整)は厄介な病である。しかし、透析に伴う合併症が多発するのは三年後とのこと。
 腎移植による免疫抑制剤の副作用について話する。透析よりは移植の方が平均生存年数はほぼ倍になるものの、表に出てこない数値として免疫抑制剤の拒否(腎臓に限らない)による自殺がかなりの数に上ると聞く。副作用にも個体差があって一概に云えないが、重度の鬱病を惹き起こすようである。
 透析か移植かはむづかしい問題を孕んでいる。透析による時間的制約が気にならなければ移植は避けた方がよいのかもしれない。ただし、移植から透析へ戻ってきた患者に後悔の弁はない。例え一時にせよ、拘束を解かれたことに対する感謝の言葉しか聞こえてこない。

 山崎医師と話すのは楽しい。あと三、四年が寿命です、または長生きの話になると彼はその芽を摘んでゆく。癒らない病と云うと、人は暗い顔をする。しかし山崎さんは違う、優雅なる冷酷とでも云おうか。こんな症状も出る、あんな症状も出る、やはり長くないよ、否わたしは死なないよ、そうかなあ、と物云いがつづく。二人で他人事のように病症を分析する。その他人事にどれだけ救われたか分からない。事前に知識があるとないとでは対応の仕方がまるで違ってくる。期待するから裏切られるのであって、はじめにどうにもならないと教わるのは正しい。山崎さんから透析を薦められたことはない、しかし、透析をするとなるとちゃんと紹介してくださる。判断は自分でしろと云うことである。
 クリニックの技師からは本人があと何年元気に生きたいかで総てが決まる、と云われている。精一杯寿命を全うさせるための協力はする、あなたには七十歳近くまで生きていてほしい、とも云われている。今後、いかなる感染症に罹ろうとも、例えわたしが死ぬことはあっても精神を病むことはない。気力そのものがわたしの最大の抑制剤である。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月25日 22:04 | 固定ページリンク




代車  | 一考    

 車の修理に戸田へ出掛ける。プラグ、プラグコード、点火コイルの交換である。工具を借りて無事に修理完了、念のために車を持ち上げてみる。右エンジンの後部パッキングは入れ替えたが、オイル洩れはそれだけでなかった。エンジンの下部、ドライブシャフトのフロント部分からのオイル洩れが激しい。これはわたしの手に負えない。必要なパーツを註文、ここから先の修理は専門家に任せるしかない。明後日の夕刻出来上る予定、代車を借りてすごすごと引き上げる。
 その代車だがFFである。わたしはFRもしくは4WDにしか乗ったことがない。速度が出ると同じだが、スタートで必ず前輪が空転する。右左折の時など特に空転が激しく、車があらぬ方を向いてしまう。アクセルの踏み込みが急すぎるのであって、わたしの足癖の悪さを思い知らされた。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月25日 01:14 | 固定ページリンク




透析患者の寿命  | 一考    

 某移植外科医が拵えたデータ、他のブログからの無断引用です。
 移植に関しては生着でなく生存ですから移植後、再度透析に戻った人も這入っている。

 年齢     血液透析(平均生存年数) 移植(平均生存年数)
 15歳〜19歳  男24.8年 女24.6年   男46.1年 女47.0年
 20歳〜24歳  男21.5年 女21.6年   男41.9年 女43.0年
 25歳〜29歳  男18.5年 女18.9年   男37.6年 女38.9年
 30歳〜34歳  男15.5年 女16.3年   男33.3年 女34.7年
 35歳〜39歳  男13.0年 女13.8年   男29.2年 女30.9年 
 40歳〜44歳  男10.8年 女11.8年   男25.3年 女27.3年  
 45歳〜49歳  男 9.0年 女 9.9年   男21.8年 女23.8年     
 50歳〜54歳  男 7.4年 女 8.1年   男18.5年 女20.5年  
 55歳〜59歳  男 6.2年 女 6.7年   男15.7年 女17.8年 
 60歳〜64歳  男 5.2年 女 5.6年   男13.2年 女15.2年 
 65歳〜69歳  男 4.4年 女 4.8年   男11.0年 女13.2年

 透析や内シャントが治療法として確立されたのは1966年。翌年に人工透析装置が米国から輸入され、69年に国産第一号作製。下って72年身体障害者福祉法の対象となり、75年に現在の構造と同じ人工腎臓の登場によって急激に人工透析治療が普及する。この初期段階で透析をはじめた若人で、透析生活三十五年という猛者もいる。
 人工腎臓、すなわちダイアライザーは無選択的な濾過機能を代行するに過きず、尿細管における選択的再吸収や分泌機能は行なわれない。すなわち、エリスロポエチン、プロスタグランディンというホルモンや、レニンなどの酵素は生成されない。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月24日 18:47 | 固定ページリンク




骨密度  | 一考    

 血液検査と同時に骨密度の検査結果が出た。骨密度にもいろんな種類の検査があるが、わたしが受けたのは音響的骨評価値である。数値は2.694、同年齢の骨密度と比して101パーセント、若年成人時と比して93パーセント、要するに異常なし。一年半前には川久保病院で靭帯剥離骨折の理由を腎臓由来の骨粗鬆症と診断された。骨粗鬆症が癒ったとは信じられないが、検査を繰り返したので間違いない。木村さんからゾンビのような人間だと云われたが、そうなのかもしれない。
 松葉杖が不要になってから久しいが、いまなお歩行の一部に不便がある。歩くもしくは階段を上るのは人並に出来るようになったが、下りるのが未だに不器用である。おそらくハムストリングが恢復していないのだと思う。ハムストリングは膝関節の屈曲・内旋を行う筋肉だが、動きがぎこちない。サイクリングで鍛えたつもりだが、素早く階段を下りられないのである。
 川久保病院にはリハビリ科もあったが、腎不全が酷くなり、尿毒症の痛みでリハビリどころでなかった。結果、丸一年にわたって脚を引きずりながら店へ通った。完全に癒るかどうかは自信がない、こちらもやはり長い目で見るしかない。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月24日 03:09 | 固定ページリンク




満点  | 一考    

 北里では医師が自ら穿刺していたのに愕かされたが、現在のクリニックでは穿刺は技師か看護師に限られる。医師は一日に一度回診に来るだけで、問診のみ。従って、医師と親しく会話できないのが少々不満である。血液検査の結果は栄養士と、分担が決まっているようである。レントゲン、心電図、エコーなど、他に定期検査は多いが、結果に異常が見られない限り、説明もなにもない。わたしは異常が出ないので、「どうですか」「なにもありません」それで頷いてお仕舞い。血液検査にしても専ら自己判断で済ませている。
 その血液検査だが、一昨日は四十一項目すべてに亙って結果値が許容範囲に収まった。このようなことは始めてである。看護師からもなにも云うことなし、見事なものです、敢えて云えば食がちょっと細いようですが、と云われる。これは尿素窒素が56と低いのを指摘されたまで、60を切れば食欲不振と診断される。診断はともかく、食欲は旺盛である。正月明けが大変だったので、その分もりもり喰っている。前回は50なので、随分と改善されている。たかが血液検査だが、学生時代にテストで満点を取ったような嬉しさである。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月24日 01:59 | 固定ページリンク




メンソール  | 一考    

 例によって何時もの煙草屋へ。普段ならパイプ煙草かシガリロの試供品をおまけに頂くのだが、今回はメンソールは咽むのかとの問い掛け、で、ケントのブーストメンソールなる新製品を一箱頂戴する。フィルターの中央部に一ミリ足らずのブルーのカプセルが入っている。それを割ってから咽むのだが、恰度、ビールのカスクフローと似ている。ニコチンとタールを落としてメンソールを効かせるにはこの方法しかあるまい。アイデアとしてはすこぶる面白い。
 好みのコイーバは五百円に値上げ。紙巻きと比してシガリロは相対的に安かったのだが、今回は随分と値が上がった。上がったからといって止めるつもりはない。あと何年咽むことになるか分からないが、ベースにしているゴールデンバットは二百円である。安価な煙草がある限りは咽み続ける。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月22日 23:32 | 固定ページリンク




マッカラン  | 一考    

 マッカランの新製品を購入、メーカーズ・マークのカスクを熟成に用いたもの。何時も書いていることだが、マッカランはシェリーカスクでない方が好みである。シェリー香が強く、渋味が勝ったものが多いように思われる。長期熟成品ならともかく、十年から十二年ではシェリー香は押さえ気味の方が旨いと思う。
 以前、ボトラーものでマッカランのバーボンカスクを飲んだが、マッカラン固有の男性的な味わいに惚れ直したことがある。今回のボトルは当たりは柔らかいが、マッカランの違う側面を強調している。
 序でに、ファインオークの十二年もののニューラベルを購入。ラベルにトリプルカスク・マチュアードと記されている。フレンチオークのシェリー、アメリカンオークのシェリー、バーボンの三種だそうである。以前のファインオークはフレンチオークのシェリーとバーボンの二種だったと記憶する。色も随分と異なる、もっとも色ほど当てにならないものはないが。新しいファインオークの方がシェリー香は強い、渋味が表面に躍り出た感じである。旧ボトルがわたしの好みに近い。オーナーが変わってからマッカランの試行錯誤が続く。今のところ、大量生産が裏目に出ている。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月21日 22:42 | 固定ページリンク




紅茶  | 一考    

 最近エスプレッソのミルク紅茶が増えてきたが、いずれも頗る旨い。香味は一律に濃厚である。珈琲ならロブスタ種を増やせば簡単に苦味が出るが、紅茶の場合はどうしてるのかしらと思う。わたしは紅茶党なので、かかる商品が発売されるのは嬉しい。珈琲は煎茶と同じくカリウムが高いので喫まれない。
 エスプレッソとは正反対だが、中国の紅茶はインドやスリランカ産の紅茶に比べてタンニンが少なく(要するに渋味が少ない)、素直な味を楽しむことができる。有名な台湾の鶴岡紅茶に一炮紅(イーパオホン)というのがあって、かつて喫んだ中国紅茶のなかでは群を抜いていた。
 プヒプヒさんに買って頂いた電気ストーブと同じものを拙宅で使うために購入。「修行」で書いたように、風邪に対する意志力の補完財のつもりである。上述の紅茶も補完財のひとつと考えている。風邪を避けるには水分が一番、大量の紅茶を淹れて冷蔵庫で保管、必要に応じてレンジで温めて嗜んでいる。尋常な喫み方でないのは分かっているが、一人暮しだと一杯ずつ淹れるのが面倒なのである。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月21日 20:42 | 固定ページリンク




感染症  | 一考    

 何度も書いていることだが、透析治療を受けている人は感染に対する抵抗力が著しく低下する。風邪に罹ると癒りにくく、感染期間が長引く。高齢者は肺炎に移行する場合もあり、日ごろから細心の注意が必要。
 市販の薬は厳禁である。胃腸薬にアルミニウムが含まれているように、風邪薬には熱冷ましや咳止めなどが含まれており、体外へ排出されにくい成分が多い。栄養ドリンクの類いもビタミンAをはじめ、透析患者が摂ってはいけない成分が含まれているので禁止品である。
 要するに、体力や免疫力が落ちている透析患者が風邪をひいた場合、最悪の状況を覚悟した方がよい。そしてさらに怖いのは院内感染である。両手を拡げれば隣の患者と手が触れるような環境である。一人が風邪を引けばたちどころに蔓延する。わたしが通うクリニックなら一室六十名が感染する。重度の場合は入院、そして個室で透析ということになる。
 いずれにせよ、透析患者は風邪を引かないように、普段から格別の注意を払う必要がある。


投稿者: 一考      日時: 2011年01月20日 22:21 | 固定ページリンク




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