「マゾヒズムに花束を!」というサイトがあって、婚活よりM活支援に力を入れているそうな。プロフィールに「自分に素直になりたい!そう願っているひねくれ者なのかもしれません。平凡で小市民的な暮らしを営む一方で、過激な妄想世界を漂う、無意識過剰の仮性マゾ」とあり、視覚的に充実していて面白い。妄想世界とはあるものの、ご主人は池袋の某クラブなどにも出入りしていて、筋金入りのM男さんのようである。
彼がそうだとはいわないが、こういった方々は二重生活を送っている。もちろん、わたしもだが。二重生活は仮想人格を、仮想人格は無意識過剰をそして妄想を生んでゆく。いずれにせよ、反応の悉くが羞恥に収斂されてゆく。
吉田一穂と足穂は、収斂してゆくタイプと拡散してゆくタイプの典型として屡々用いられる。人間はなにものでもあると同時になにものでもない。わたしはというとひとつの主辞の下に何々であるとの賓辞が無数にやってくる。収斂と拡散を繰り返しているが、タイプとしては拡散型である。
平成に這入って、マスコミ全体が右傾化してきた。右翼思想の最大の特質は現状への充足と満足である。結果として、日本人から急速に羞恥の概念が消えつつある。