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ジェラシー   一考   

 

 出版社から飲み屋へといろんな仕事をしていたので、行く先々で税務申告をしてきた。してきたといっても、わたしがしていたわけではない。常に同居する連れ添いにお願いしてきたのである。従って、わたしには税務というものがまったく分かっていない、もっとも儲かっていないのだから分かるも分からないもないのだが。しかし、今回はそういうわけにも行かない。年末の源泉徴収すら申告していないのである。半額だが年金も頂戴している。申告しないわけにはいかない。
 青色申告か白色申告かそこからして分からない、もっか相談する連れ添いがいないのである。女房がいながら連れ添いがいないとは不思議なはなしだが、そうなっているのだから仕方がない。われながら妙なシステムを構築してしまったものである。もっとも、わたしのような半病人を抱え込むような酔狂な女性はいないだろう。それもこれもわたしの遊び、身勝手がもたらした結果である。病気を発症してやっと遊びは収束したものの、否、終息やもしれず。

 はなしは変わるが、先日妙齢の女性が来店、「下世話なはなしですが、嫉妬についてお訊きしたい」と。わたしはてっきり男のはなしだと思ってはなしを進めたが、女性が自らの嫉妬に悩んでいるようである。通常男は一回でも肉体関係を持つとまるで自分の持ち物のように女性を扱う。嫉妬と所有が表裏一体となっての暴力的事件は枚挙にいとまがない。しかし、考えてみればその逆だってありうる。「まさき」の阿部定事件も類似する猟奇事件が繰り返されている。
 阿部定はさておき、タンゴでいう哀愁と情熱は愛とジェラシーに置き換えてなんの問題があろうか。愛あっての嫉妬であり、嫉妬あっての慈しみである。嫉妬はよろずの苗床であって思い切って身を任せればよいのである。生きるに際し、格好よいとか悪いとかはおよそ意味をなさない。老いて分かったのだが、セックスは押しつけがましい属性のひとつであって、交接抜きで愛し合うことも可能である。
 自信家は別にして、ひとは煩悶し、憂えるところからなにかを生む。おそらくひとがもっとも大切にしなければならないものはジェラシーでないだろうか。いつも書いていることなのだが、これで受け答えになったであろうか。


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2018年02月21日 21:33に投稿された記事のページです。

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