「辺つ風」で、山陽、中国の窯元へ行きたいと書いたが、明石からもっとも近いのは篠山市今田町上立杭である。車なら1時間半ほどで行く。そこに立杭陶の郷があって、レストランがある。そこの木の葉どんぶりが滅法旨い。過去、木の葉どんぶりなど旨いと思ったことはないのだが、ここのどんぶりは蒲鉾が少なく山菜が大半を占めている。それなら山菜どんぶりに名称を変更すればと思うが、よほど店主が木の葉の名が好きなのであろう。もしくは木の葉とは山菜のことと思い込んでいるのかもしれない。篠山名物の鴨や猪肉のどんぶりもあるのだが、わたしは陶の郷へ行けばいつも木の葉どんぶりを食べていた。
どんぶりの端緒はうなぎどんぶり、簡便な方式が庶民の愛好するところとなり、「江戸名所図会」に見られるごとく「丼物」なる語を生むに到った。鰻丼、天丼、カツ丼、親子丼、開化丼(親子丼の鶏を牛肉に)、牛丼、鉄火丼、木の葉丼など種類はさまざまである。掛け蕎麦の種物ほどではないが、20種類ほどある。
鉄火丼のみ、寿司米を用いる。木の葉丼は通常、蒲鉾、椎茸、長葱を用いる、店によって鶏卵も。
追記
木の葉丼の具材、蒲鉾について一言。魚肉を擂りつぶし竹串に塗って焼いたものの形が蒲(がま)の穂に似ているところから蒲鉾と呼んだ、と室町時代中期の古文書に見える。要は竹輪である。古文書とは「四条流庖丁書」(1489)と「宗五大双紙」(1528)。
小田原式の蒲鉾が現れるのは江戸末期。蒲鉾の命ともいうべき強い弾力を「足」と称する。現在は弾力補強剤として臭素酸カリウムを擂潰(らいかい)の際に加える。多くの煉り物同様、塩分もしくはカリウムが多く、ハムやソーセージと共にわたしには禁制品のひとつとなった。
なお、板つき蒲鉾には小田原式の蒸して作る蒸板(むしいた)、京阪地区に多い蒸し上げてから表面を焼く焼板(やきいた)、関西各地のはじめから焙焼(ばいしよう)する焼抜(やきぬき)の3種がある。