Facebookに今貂子(いまてんこ)さんがいらっしゃるのに気付いた。お名前が変わっていたので分からなかったのである。昔、白虎社にいらして杉本茂行さんや種村季弘さんと一緒に何度か伺ったことがある。結構、古いお付き合いになる。
今貂子さんは「舞踏とわたし」との文章で白虎社創立時について書いていらっしゃる。「1979年に、舞踏に出会い、80年に、京都での舞踏グループ白虎社創立に参加する為に、群馬をはなれました。なぜ、舞踏を始めたのか? 舞踏家をめざしたのか? うまくはいえないですが、そこには自分の人生をかけてみる何かがあると直感し、21才なりに、それまで学んだものを総動員して、手に入る資料はぜんぶ読み、最終的には、本能的な勘で決断したと説明したら、よいでしょうか」と。
何回目だったか忘れたが、白虎社夏期舞踏合宿に参加したことがある。そのつもりでなかったが、どうやら料理人としての参加だったようである。近くに山菜がいくらでも植わっていて、天婦羅を造ろうということになった。かまどと薪で天婦羅を揚げたのはあの時がはじめてだった。ただし、薪での天婦羅は油の温度調整が非常に難しい。
60センチぐらいの鍋で揚げたのだが、薪を突っ込んだり、足で蹴飛ばして油温を下げたりと、それはそれは忙しい調理になった。およそ100人前と云われたが、4.5時間は揚げていたように記憶する。
赤坂時代のですぺらでは「おじゅね抄」の石井満隆さんの世話になったが、西明石時代のですぺらでは今貂子さんの世話になり、そして迷惑をお掛けした。また、阪神大震災の折、彼女は拙宅で手に大きな傷を負った。この場を借りて深くお詫び申し上げる。
次回の公演は是非観に行きたいと思っている。