某出版社からモルト・ウィスキーの本を造りたいとのはなしが先週舞い込んだ。この手のはなしはうんざりである。企画がないがゆえの点数稼ぎであって、著者一任の原稿依頼なんぞ真っ平である。下らない専門書とやらが巷に濫れている、屋下に屋を架すとはこのことである。
モルト・ウィスキーに関する書物は千編一律で何の変化も見られない。蒸留所の概略とたたずまい、ボトラーの歴史、ボトルの写真と香味。香味はapple、citrus、floral、dried fruits、oily、malty、vanilla、woody、spicy、peatyに1から5までの段階を設けて数値によって表出される。先行するマイケル・ジャクソンの著書に倣えで、レイアウトまでが機械的な流し込みでよしとされ、ことごとくがフォーマリズムで片付けられる。要するにウィスキーの物語がどこにもない。
随分と前のはなしになるが、上京した折、書肆山田の大泉女史からウィスキーの解説が詰らないといわれた。香味は描けば物語になる。その物語を詳述する乃至は拵えないことにはウィスキーを書き表したことにならない、との仰せだった。わたしは元編輯者ゆえ、蒸留所やボトラーの型録を拵えるのは得意である。逆に云えばそれしかできない。解説を書くことはできても物語はわたしには創られない。思うに、世に在る書物とはその大半が解説書ではなかろうか。モルト・ウィスキーにまつわる物語など、未だに存在しないのではあるまいか。
そうしたなかにあって唯一気を吐いているのが佐々木幹郎さんである。かつてサントリーのPR誌で彼のモルト・ウィスキーに対する頌詩を読んだ。そして「嗜み」での試みはモルト・ウィスキーにまつわる物語の探求である。前回は目白の田中屋を、今回はインポーターのエイコーンを取上げている。エイコーンの蔦清志さんとはスリーリバーズの大熊慎也さんと共に、かつて料理王国誌上で鼎談した。今回は幹郎さんの筆になるものだが、おそらくエイコーンが取材の対象になったのははじめてでないだろうか。「人形記」同様、幹郎さんの柔軟さとアプローチの多様さに驚かされる。なにを持って多様とするかは「人形記」の方で書く。
幹郎さんのエッセイを読んでいて、久しぶりに本を造りたくなった。モルト・ウィスキーに物語があるなら書物にも物語がある。そして中味も外装も既存の書物のイメージを覆すところから物語ははじまる。幹郎さんのエッセイに相応しい書物とはどのような書物なのか、それを考えてみたくなったのである。