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歪   一考   

 

 透析によって取り敢えずブラックアウトから解放された。小さな死が遠のき、平穏な日々が続く。最近は滅法涙脆くなった。ドキュメントを見たり、読書をしたり、医師や看護師との晤語など、何かにつけて涙が零れることが多くなった。益々以て「断稗断章」の世界へ沈潜、エンターテインメントが嫌になる。
 長い付き合いになるので、看護師とはできるだけ距離を置いている。わたしはこの種の距離の取り方がおそろしく稚拙で、過去において失敗ばかり繰り返してきた。もっとも成功とはいかような関係かとも思うが。
 透析患者のコミュニティーと聊かの関わりを持っているが、聞くと見るでは大違い。わたしが行く病院には患者の共同体意識などどこにもない。お疲れとかお先にと云った挨拶のみで、わたしは隣の患者の病名はおろか、名前すら存じ上げない。要するに会話がないから揉め事もなにも生じない。それが理由で血液検査やレントゲンの結果と睨めっこで、後は自分一人で判断するしかない。
 シャントを大切にと日々云われる。左手の手枕は禁止、左手を下にして寝ない、買い物袋などを腕に掛けない、左手で重いものを持たない等々、要は血流を妨げないことに留意させられている。静脈を動脈に改造したため、心臓にあらぬ負担が掛けられているそうな。寝ているときまで責任は取られないが、極力意識している。シャントに止まらず、医師の指示もしくは意見表明には素直に従っている。不必要に早死したくないからである。残された命をあるがままに全うしたいと思っている。全うと書けば誤解が生じる、すでに身心は共に十分いびつである。


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2010年11月15日 20:44に投稿された記事のページです。

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