先月末、素天堂こと山口雄也さんと新宿ナベサンへ行く。丸二箇月ぶりである。一杯に一時間ほどかけてゆっくりとウィスキーを二杯飲む、そこで山口さんは酔っ払って退場、三杯目に口をつけたとたんに異変が起こった。店に迷惑は掛けられないので、慌てて外へ出る。脂汗が顎から滴り落ちて、腹部がきりきりと痛む。途端にしゃがみ込んで動かれなくなる(これは最近のパターンである)。胃痙攣を想わせる激痛襲来。
なんとか移動できるようになったのは次の日の夕五時、血液検査の日だったがそれどころではない。纔かずつ戻る体調に恐怖と悲しみが宿る。わたしの内臓はどうなってしまったのだろうかと。主治医が酒を飲めるのは今うち、無理をしてでも飲んでおいた方がと云ったかいわなかったかはともかく、もう懲り懲りである。
素天堂さんから「黒死館逍遙」第九号・黒死館輿地誌略を頂戴した。こちらでの紹介ははじめてかもしれない。小栗虫太郎を語らせて松山俊太郎さんと山口雄也さんの右にでる者はいない。
およそ研究と名の付くものは鳥瞰図を引き関連図書を博引旁証するを常とする。しかし、素天堂さんのエッセイには逍遙と打たれている。これは大事なことで、書誌学をよくするひとにしばしば見られる癖のようなもの、大向こうからのアプローチを意図して避ける旦那衆の芸事のような屈折した趣向が見られる。言い換えれば、彼は好きかってに典籍を読み散乱し、そのなかから随意に論理を組み立ててゆく。エッセイを書くために本を読むのでなく、本を読んだ結果としてエッセイが生まれ落ちるのである。従って、知識のひけらかしに彼は一顧も与えない。
ある日を境に彼の文章から連体詞や指示代名詞に見られる「コソアド」が極端に減った。減ったと云うよりは皆目見られなくなった。おそらく校正を受け持つ奥方の影響と思われる。失礼なものいいだが、かつての持って回った云い方が消え失せ、随分と素直な文章になった。それ故、溝の口で育った著者自身の幼年期の思い出がパスカーヴィル家の犬とクロスオーバーする箇所など、無理なく読まれる。
「黒死館逍遙」第九号はテーマが絞られている。それが奏効し、文章の乙張が利いている。結句に用いられた「ボスポラス以東」は種村さんのいう亞細亞と欧州の識閾「ヴォルガ」を想起させる。「テレーズの住んだところ」にみられるごとく、彼のイマジネーションはとどまるところを知らない。谷沢永一さんの手によって明治大正文学が書誌学の対象になったように、素天堂さんのようなすぐれた読み手によって、やがて昭和の時代も書誌学の対象になってゆく。
最近読んだ書冊のなかで一押しのエッセイである。志を持つ編輯者が着目されんことを願う。