子供のころは鼻炎と吃音に悩まされていた。当時の医者に云わせると好悪が吃音の理由だそうである。従って嫌いだった胡瓜を食べれば吃音は癒るとのことだった。なるほど好き嫌いは酷かったが、中学校を終えて板前になったころから好き嫌いはなくなった。なくなった代わりに濃厚な味付けを嫌うようになった。父親が造るすき焼きなども味が濃すぎて食べられなくなってしまった。しかし、吃音は続いた。ある日、吃音を訂そうとして編輯者になった。作家交渉が出来なければ編輯は務まらないからである。これは功を奏して以前ほどには訥らなくなった。体験の世界で自らを追い込んでゆくとの世界観はこのころ出来上ったものだと思っている。
鼻炎だが、こちらはどうにもならなかった。小学生の折、二年間ほど病院通いをした。病院通いとは云っても、塩水の蒸気を鼻で吸い込むだけの簡単な療法だった。そのようなもので癒るはずもなく、洟紙はわたしの伴侶になった。今、透析に行っているが、そこの医師が鼻炎を癒せと云う、鼻炎は癒るものですかとの問いに簡単に癒ると一言。六十を過ぎるまで、わたしは伴侶を取り違えてきたようである。
松戸の病院の医師は透析が落ち着いたら、大腸や胆嚢のポリープから鼻炎まで、序でに皮膚科へも行けという。血液透析の注射の後がひどく荒れ、皮膚炎を起こしているからである。親切なのだが、鼻炎以外はもっかのところ遠慮している。
人が年を経るように、付き合う病も日々変化してゆく。「ああ、肉体は悲し」と慨いてみてもなにもはじまらない。ひとは肉体を離れては思惟することすらできない。現実こそが認識の、思索の唯一の苗床なのであろう。