一月十二日に「茜屋軽井沢店の柘榴のジュースとコンコード(神戸の喫茶店)の葡萄ジュースはわたしの好物だった」と書いた。その茜屋珈琲店にもぶどうじゅーすがあるのは分かっていた。共に生ジュースで、季節限定メニューである。先日、幹郎さんが来店、小脇に茜屋珈琲店のぶどうじゅーすを抱えている。嬬恋村の増屋薬舗の干川伸之さんからの贈り物である。詳しくは知らないが、干川さんは脊椎を損傷なさっている。わたしと同じ片輪者である。
わたしは身障者とか不自由な方といった思わせぶりな云い方が好きでない。掲示板で片輪と書けば物議を醸す、仕方なく前記書き方を踏襲しているが、片輪は片輪で良いと思っている。種村さんに「影法師 唖(おし)で聾(つんぼ)でど盲(めくら)で」との作品があって、わたしの愛唱詩である。
唖を唖、聾を聾、瞽を瞽、跛を跛、佝僂を佝僂、乞丐を乞丐と云って、なにが悪いのであろうか。片手ひとつ取ってみても、片腕、片落ち、片手打ち、片手桶、片手落ち、片手擲り、片贔屓、隻手、隻腕と差別用語が続く。
ひとはみな差別意識を持っている。「俺の子は俺に似て頭が良い」など、他人は俺と違って頭が悪いと暗に断言しているようなものでないか、差別の最たるものとはこのような表現を指す。わたしは差別するが差別されるのは好まない。それがアクティヴな生き方を強いているのかもしれない。
前置きが長くなったが、頂戴したぶどうじゅーすは滅法旨い。品種は信州産のコンコードとナイヤガラ。水増しのジュースまたは濃縮還元と違って、甘味その他の添加物は這入っていない。香味が濃密かつ能動的なのである。色調は黒紫色、ひとくちごとに酸味と渋味の階調が際立つ。階調と書いたが、階調であって諧調ではない。酸味と渋味が口腔で別々の味わいを奏でる。アクティヴと表現したのはその香味の闘いのさまを表す。まるで後熟を経ないモルトウィスキーのようである。調和のなさが絶妙の美味さを生んでいる。干川さんに大感謝である。妄言多謝。