昭和12年日立製作所の窯業文化(特に碍子研究)向上のため大甕(おおみか)陶苑が設けられた。戦後になってより本格的な陶房として操業すべく、昭和31年に京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に技術員の紹介を依頼。その折、日立へやってきた若き陶芸家が、富本憲吉の指導を受けた加守田章二と竹内彰だった。やがて加守田はより自由な作陶をもとめて益子へ移り、竹内は日立に残って伝統的な要素を持つ政策をつづけた。
加守田章二と同じく日立製作所および塚本製陶所の研究生になった弟子筋に当たる陶芸家に菊池昭がいる。生年はわたしと同じで、はじめての個展は昭和51年に西武デパート池袋店で催している。
益子は何度か行っているが、今までさしたる興味を持たなかった。なるほど加守田章二の作品には良いものが多い、しかしわたしの手に負える価格でない。今回の菊池昭作うずら文茶碗は内容価格共に一目惚れだった。
那須烏山市に築窯したヘスアルド・F・ブラボ、益子木綿の日下田正氏に師事し草木染手びき木綿織りを手がける箱田侑子も忘れられない作家である。後者は確か目白千種画廊で個展を催したと記憶する。