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御久し振りです。一考さんの掲示板ならば、一考さんのコメントへの誤解は少ないと思いますが私見をひとつ。
 胃瘻の造設は、脳梗塞その他の患者さんで経口摂取が困難と成られた方にとっては重要な命綱であり、必ずしも否定的な物ではありません。私も在宅診療で胃瘻管理の患者さんを何人か担当しています。脳梗塞の後遺症で嚥下機能が低下して、口から飲食物を摂取すると気管に入ってしまい、肺炎を起こして仕舞う方々です。意識も知能もしっかりされており、「口から食べたい」と云う希望を常に持たれていますが、ゼリー等でさえ誤嚥を起こしてしまい断念しています。
 ここで問題に成るのは、脳梗塞に限らず、単に「経口摂取が出来ない」状態が延々と続き、御本人の意思も確認出来ない状態の方々です。一考さんの御指摘の通り、認知症(この呼び名も私は今でも抵抗がありますが)等で、「食べる欲求さえない」方々をつなぎ止めておくだけの為に胃瘻を使い続けるのは正直多くの医師も疑問を持っています。しかし、充分な信頼関係を構築していない状況で、こちらも安易に胃瘻を放棄して仕舞うと、「消極的な安楽死」として、極めて厄介な立場に立たされますのは周知の事と思います。胃瘻に限らず、漫然とした延命処置に関してはその是非に限らず、それによってもたらされる家族や介助者の負担に関しても充分な議論が社会全体で持たれる事を私自身も希望しています。
 ただ、多くの医師が「社会的議論して国家としての指針を出して欲しい」と望んでいる事にも私は疑問があります。それは人間の死に様を国家が決定する事につながる危険性を感じるからです。一定の指針が、多くの国民の議論の元に形成される事を拒絶する積もりはありませんが、本来人間の死に様は個人が決定する事ではないかと私は思っています。人間が死に行く時に、そこに寄り添うべき職業人である医師が、単に国家によって決定された指針であるからと云う理由だけで選択肢を決定するのは問題があると思っています。周囲の常識がどうであれ、本来人間は自分の死に様は可能な限り本人の自由意志で決定出来るべきでは無いでしょうか。勿論、だからと云う理由で周囲や国家に、手間や金子を要求するような事は「自由」の履き違えである事は云うまでもありません。
 人間の死に様さえ、国家に丸投げする事に、多くの医師が疑問を持っていない事を考えると、今回の震災で明らかに成った原子力発電所の一連の「事件」は必ずしも東電と云う一企業や、政府が単独で起こした物ではなく、私達多くの国民が生み出してしまった人災であるような気持ちにも成っています。

最後の一段落は余計かも知れません。一考さん、不適切でありましたら、御削除御願い致します。


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2011年05月27日 15:49に投稿された記事のページです。

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