昨日、透析中に震度3の地震があった。わたしはベッドでなく椅子を使っているが、透析がはじまれば透析器と椅子は鎖で繋がれる。そうでないと穿刺部が引きちぎられるからである。震度6であれば器械を両手で押さえた方がよい。震度7だとなるようにしかならない。椅子と器械は列なって転がり、行先不明になる。そうなると念仏を唱えるのが一番の良策。
久しぶりに夜の透析を受けたが、夜の部は空いている。何よりも静かなのが良い。朝はおばさまがお喋りに興じている。きっと彼女たちは透析に来るのが嬉しくて仕方がないに違いない。そのお喋りをもっとも聞かせたいのは透析をはじめるもしくは始めたばかりの男性である。男子は暗い、聞くも涙語るも涙の物語、世の中の苦衷を双肩に担ったがごとき顔色である。
なにびとであろうとも、透析を中断すれば即死である。それが分かっていれば諧謔を弄して生きるしかない。わたしの回りには死の手立てを考えあぐねて逝ったひとが多い。あぐねる必要はどこにもない、目の前にごろんと転がっている。これを果報と云わずしてなんとする。