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額紫陽花   一考   

 

 八月二十二日に奥秩父から額紫陽花を一枝持ち帰る。丸二日、水に浸けてから小さな鉢に植えた。以来、朝夕欠かさず水を潤沢に差す。今月一日の早朝、一ミリにも満たない芽が生れた。今日はその緑のつぶが五ミリほどに育ち、なにやら葉の素のような趣を呈してきた。あまりに細い枝ゆえ、立ち枯れを心配していたが、これで一安心、三年後の開花に夢をつながれる。
 耕衣句に「晩年や夢を手込めの梨花一枝」あり、一枝がひとえかいっしかで吉岡実さんと語らったことを思い出す。晩年や夢を手込めの額紫陽花では句にならないが、そもそも夢はひとの自由を簒奪する。簒奪と書けば大仰だが、花を咲かせるためには旅はおろか外泊すら諦めなければならない。この場合、花を咲かせるのは目的であって夢ではない、日々の面倒が夢になる。夢は起居のなかにごろんと転がっているものであって、目的などというたわいないものではない。そして、目的を持たないのは内容としての実体を伴わないということになる。
 思わぬひととのめぐり逢わせがひとを換えてゆくように、夢もまたひとを変える。言い換えれば、夢には夢の思慮がある。ならば、夢を手込みにでもしなければ晩年は存在しない。種村さんが晩年に夢記を著された理由はそこにある。
 さて、近隣の高林鉄工所では職人や知人が集まって夜毎酒盛りが続けられている。不粋な宴であればこそ、気が置けない連中である。終戦直後の戸田のはなしには興味がある。時として、そのまま焼鳥屋へひとりで流れる。このところ、お定まりのコースとなった。この種の物憂く気怠い酔いのなかにも私の夢がある。


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2007年10月08日 18:03に投稿された記事のページです。

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