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透析時の失神   一考   

 

 十九日の木曜日、朝から透析だったが、運悪しく失神。透析をはじめて二回目のブラックアウトである。血圧が100を切っていたのでなんとなく危ないなとは思っていたが。
 透析がほぼ終わるまでは大丈夫だったのだが、血圧がどんどん低下、やばいと周章てたときは70を切っていた。そのまま60を切り、計測不能になった。どうやら血圧計を引きちぎったようである。まるで全身が腓返りにあったよう。とにかく記憶の中では腰の激痛がつづくのだが、それをうまく表現できない、そのもどかしさに身体はますます硬直する。
 吐き気と全身痙攣がはじまったまでは覚えているが、強直と間代に繰り返し襲われる。こういうときは定石通り、看護師はベッドの頭と脚の部分を高くするのだが、それがどうにもならない苦痛を腰に与える。その苦痛に襲われるたびに呼吸困難に陥って意識が一部戻っているように思う。脚部を下げてくれと何度も何度も頼むのだが、その願いが意識下のことなのか、無意識のことなのか定かならず。おそらく、意思表示が意思表示になっていないのか、看護師は云うことを聞いてくれない。
 そのうち、女性の看護師が気付いてベッドを下げてくださる。そう、こういうときは患者の無意識な冀求を読みよって欲しい。定石は定石であって、いつも通じるとは限らない。無意識には無意識の領域や体系があって、意識を理解するには無意識側の穿孔から覗くしかないのだから。
 なお、痙攣がつづき、あとはまた闇のなかへ沈んでゆく。例によって簡易式の心電図を胸に貼っていたが、どうやらそれも暴れて壊したようである。強烈な心臓マッサージを受けたのを朧に覚えている、意識が戻ってから肋骨は大丈夫ですかと、繰り返し聞かれた。身体が落ち着きを取り戻し、時計を確認したところ、一時間半が過ぎている。それから三十分ほど放心状態。今回は四、五人の看護師によって救出されたが、大層な騒ぎになってしまった。透析室から車椅子にて帰還。
 予後、透析室の看護師加藤あすかさんが病室を訪ねてくださる。かなりな部分に記憶が残されていることに、看護師は愕いていた。完全に気を失っていたのに、と。失神にも個体差があって、十人が気を失うと十通りだそうである。特に腰の痛みをここまで強調されたのははじめてのケースだと。
 彼女によると2300を除水し、戻したのは600、別途300ccは汗で流れ出していると。確かに、シャツもパンツもパジャマごと、びっしょりと濡れていた。次回はさらに注意を払うので、ドライウェイトを500は上げてくれと、注意を払わなければならないのはこちらなのだが。やはり2000を超える除水はわたしには鬼門のようである。さらなる量的食事制限が必要である。
 痛みをさらけ出すのは素裸になるようなものである、ベッドを舞台に何度ストリップを演じてきたことか。そのようなとき、経験を積んだ看護師がいてくださるのはありがたい、屈託ない看護師は患者を勇気づける。そして脚を下げることに気付いてくださった加藤さんに感謝。手を握りしめ、忝ないと繰り返す。

 失神しているあいだに女房が検査入院したが、満室で特別室を提供されたようである。応接室、風呂、トイレ、炊事場、大型冷蔵庫、大型テレビが付いた病院で一番豪華な部屋である。誰が金を払うのよと思ったが、病院の責任ですから結構です、と嬉しいことを云ってくださる。土曜日はそちらで風呂へ這入ろうか。
 その特別室があるB館の看護師が勇気ある決断をなさいましたと彼女に伝えている。若ければともかく、歳を経てからドナーになるのは思い切りが必要になる。女性は男性より検査項目が多い、例えば乳癌検診のためのマンモグラフィーや数次に及ぶ尿検査などが付帯する。彼女は膀胱の造影検査や胃カメラの経験があるものの逆流性胃炎を疾んでいる。それ故、喉に異物が這入っているあいだはずって戻し続けるという。今日はその嫌な胃カメラを飲まなくてはならない。済まなく思っている。(1月19日17時)


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2012年01月24日 19:03に投稿された記事のページです。

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