ですぺら
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谷澤永一さん死去  | 一考    

 谷澤永一さんが八日午後十一時二十三分、心不全のため死去された。八十一歳だった。ですぺらへも何度もお見えになり、旧交をあたためた。
 谷澤さんは年少者であろうが異性であろうが、委細構わぬ方だった。ある日、他に客がいてわたしは厨房へ這入らざるを得なかった。その間、客のひとりとはなしになった。谷澤さんと文学に関するはなしをするときには、ひとつだけ注意が必要である。対象となる作家乃至書物についてオリジナルな意見を陳述すると云う、ごく当たり前の注意である。何々を読んだとか識っていると云った類いのはなしには、彼は激昂で応える。プロとして当然の心意気である。ところが件の客は持てる知識の大安売りをはじめた。谷澤さんは怒りはしなかったものの、二度とですぺらのドアを叩くことはなかった。
 似たはなしが読売のときにもあって、谷澤さんの著作集を出版したいので纏めろと命がかかった。わたしひとりかと思ったが、案の定役員がついてくる。梅田のいつもの割烹で待ち合わせたのだが、酒が這入るとその役員は文学論をはじめた。よりによって佐藤春夫から保田与重郎、蓮田善明とはなしはつづく。役員は早稲田の国文出身で書物を読んでいるところを披露したかったのだろうが、これでは纏まるものもまとまらない。テーブルの下で足を蹴飛ばして注意を喚起するのだが、一向に通じない。谷澤さんはわたしの顔を覗き込むようにして溜息をつく。はなしは終わったなと思った。
 割烹を出て、ちょっと用事がと云ってばらばらに別れる。谷澤さんの行くところは分かっている、あとを追って某バーへ。「やあ、一考さん、はなしはなかったことにしてくれ」「分かっています、済みませんでした」。折角の企画が潰えた、全巻の構成まで考えていたのに。
 谷澤さんをわたしは黒木書店と浪速書林の師匠と思っている。書誌学者は古書店から生まれる。黒木正男さんも梶原正弘さんも、そして谷澤永一さんも逝った。わたしも近く幕をおろさねばならない。「遊星群 - 時代を語る好書録」(和泉書院刊)について書評を書きますとの約束を果たせなかったのが心残り、雑書研究の金字塔と思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月11日 00:15 | 固定ページリンク




無責任  | 一考    

 前原元外務大臣の弁だが、かつて大阪のオバハンが駐車禁止のチケットをくしゃっと丸めて食べてしまうとの傑作CMがあった。オバハンの言い分は「なんでわたしだけが捕まるの」にある。わたしを捕まえるならあの人もこの人も捕まえてこその平等でしょうとの叫びである。
 どうしてわたしだけが契約社員であの人は正社員なの、どうしてわたしだけが身障者であの人は健常者なの、どうしてわたしだけが独身であの人は女にもてるの。これらはおそらく説明の付く問題であろうが、わたしには説明する気は毛頭ない。多分に偶然性が介在するので、なにを云ってもことを煩雑にするだけである。
 平等との概念は悋気や差別の概念と深く結びついている。マイノリティーの問題と同じで、根が相対的であるがゆえ、明解な解答は見つかるまい。なにを発言しても条件付きの発言しかできない。分かり易く云えば、ことごとくは好悪の問題に帰着する。その帰着点でもって、こころのなかは常に内戦状態である。かかる状態とご縁のない方は能転気という他ない、もしくは根っからの差別主義者であろう。
 わたしなどは差別の表層を撫でているだけで、差別の本質とやらを掴むつもりはさらさらない。何がなににとって差別なのかを見極めるだけでも気が遠くなる。かつての神戸の震災のような非常時には差別に対するそれなりの意見を抱くが、それだって発想の原点は非常に限られた状況である。差別が逆差別を生み、さらに逆逆差別を生む。いっそ片っ端から差別だ、差別だと騒いでいるのが一番良いのかもしれない。
 平等とか差別の概念はよく分からないが、悋気なら多少は分かる気がする。されば悋気諍いだけはすまいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月10日 00:07 | 固定ページリンク




無題  | 一考    

いろいろ御座いましょうが、わたしは一介の亡国の徒。お構いなく。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月09日 14:23 | 固定ページリンク




在日の納税  | 神軍平等兵    

http://www.zaitokukai.info/modules/bluesbb/thread.php?thr=507&sty=1&num=l50


投稿者: 神軍平等兵      日時: 2011年03月08日 22:51 | 固定ページリンク




ショットの値段  | 一考    

 あと半年で閉店なので値のことを書いても構わないだろう。ですぺらは開店から二、三年はショットは60ccだった。その後45ccを経て、現在では30ccに落ち着いた。その間、値はほとんど据置である。要するに、徐々に値上がりした。
 おそらく、60ccの時は東京でもっとも安いバーだった。倍に値上げした現在でも、ボトルによっては安いと思っている。他店でさらに安い店があれば遠慮なく申し出ていただきたい。
 店内在庫のアードベッグのごく一部分を記載する。

【アードベッグ '90(ゴードン&マクファイル)】 1000円
 コニッサーズ・チョイスの11年もの、40度。
【アードベッグ '90(ダグラス・マクギボン)】 1300円
 プロヴァナンスの一本。バーボン・カスクの10年もの、43度。
【アードベッグ・オールモスト・ゼア '98】※ 1300円
 ディスティラリー・ボトルの9年もの、54.1度のカスク・ストレングス。
【アードベッグ・スティルヤング '98】※ 1400円
 ディスティラリー・ボトルの8年もの、56.2度のカスク・ストレングス。
【アードベッグ・ベリーヤング '98】※ 1400円
 ディスティラリー・ボトルの6年もの、58.3度のカスク・ストレングス。
【アードベッグ '90(マーレイ・マクデヴィッド)】 1800円
 バーボン樽の9年もの、46度のシングル・カスク。
【アードベッグ '91(スコッチ・モルト・セールス)】 2000円
 ディスティラリー・コレクションの一本。バーボン樽の10年もの、60.1度のカスク・ストレングス。
【アードベッグ '93(ダグラス・レイン)】 2000円
 オールド・モルト・カスクの一本。10年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。限定348本のシングル・カスク。
【アードベッグ '78(ゴードン&マクファイル)】 2000円
 コニッサーズ・チョイスの一本。21年もの、40度。
【アードベッグ '91(ゴードン&マクファイル)】 2000円
 スピリッツ・オブ・スコットランドの一本。13年もの、52.6度のカスク・ストレングス。318本のリミテッド・エディション。
【アードベッグ17年】※ 2000円
 40度のディスティラリー・ボトル。
【アードベッグ '74(シグナトリー)】 2300円
 23年もの、43度。3樽、限定610本のリミテッド・エディション。
【アードベッグ '90】※ 2500円
 ファーストフィル・バーボンの13年もの、55.0度のカスク・ストレングス。日本向け1140本のディスティラリー・ボトル。
【アードベッグ '75】※ 2500円
 23年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
【アードベッグ '75(ジョン・ミルロイ)】 3800円
 シェリー・バットの25年もの、58.0度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
【アードベッグ '75(ダグラス・レイン)】 3800円
 オールド・モルト・カスクの一本。24年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。713本のリミテッド・エディション。
【アードベッグ '77】※ 4000円
 24年もの、46度のディスティラリー・ボトル。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月08日 22:25 | 固定ページリンク




差別  | 一考    

 某ワイドショーで鳥越俊太郎と山本一太自民党参院政審会長のバトルがあった。前原外務大臣の辞任について鳥越曰く、
 外国人といっても在日韓国人は長く日本に住み、仕事をし、税金を払っており、表面的には日本人と変わらない。法の趣旨は、外国人が政治的な影響を及ぼしてはいけないということだが、焼肉屋のオバちゃんの献金にそれほどの影響力はないはずだ。一応まあ決まりだから、と事務的に返金すればすむはなしだろう、と。
 一方、山本一太は前原外務大臣の辞任さらには民主党の解散総選挙が目的だから、「鳥越さんの言うことは暴論、あまりに極論だ」と噛みつく。
 ここで大切なのは在日朝鮮人ら永住外国人の地方参政権の問題である。地方参政権に止まらない。納税の義務を果たしていながら選挙権を与えないという根本的な差別問題にある。話をそこまで掘り下げれば山本一太の立場はなくなる。しかるに、鳥越の弁を暴論とはよく云ったものである。前原が自民党の福田元総理が北朝鮮系企業から献金を受けていたのを強弁していたが、他人がしているのだからわたしも構わないと云った種類の発言こそが暴論であろう。
 法律というものは時節によってどうにでも変化してゆく。その法律を越えたところに理念や情念がある。わたしは前原を好きではないし、また政治から遠ざかろうとしている鳥越も好きでない。かと云って山本の教条主義的な物言いはさらに好まない、憎悪すら感じる。

追記
 根本的な差別問題と書いたが、念頭にあったのは1925年以前の制限選挙である。日本国籍を持ち、かつ内地に居住するとの条件は当然であって、在日と帰化した人とを同日に語るのは不用意。謝罪の他なし。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月07日 21:39 | 固定ページリンク




血尿  | 一考    

 秋の引越を技師に伝えたのだが、次の日には全員が知るところとなった。尼崎から姫路までの透析可能な病院の所在地をコピーしてくださり、個々の評判をご教示くださるなど、至れり尽せりのサービスである。普段は気難しい年長の看護師までもがいろいろと声を掛けてくださる。分からないことゆえ、みなさんに感謝している。

 血尿が出てから血液検査と尿検査が三度ずつ続いている。わたしは腎結石のせいだと思っているのだが、この一箇月、なにを調べているのだろうか。前立腺癌の疑いはありませんと云われたが、前立腺癌の検査など依頼した記憶はない。どうやら膵臓のポリープ同様、大腸以外のポリープ乃至癌を繰り返し探しているようである。明日は四度目の尿検査、剥離した癌細胞の細片の有無を調べるそうな。通常の尿検査と異なり採取量が多い。結果はまとめて教えてくださるようである。
 それにしても、こんなに検査が多いものなのだろうか。他の病院を知らないので、比較しようがない。それと他の患者の血液検査も尿検査も定期検査だけである。なにかしらの違変があればこその検査なのであろうが、その元が確認できればありがたいことである。もっとも、なるようにしかならないので、気にはしていないが。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月07日 20:28 | 固定ページリンク




脱血  | 一考    

 このところ穿刺ミスが多い。内出血にも馴れてきたが、血流の確保に困っている。通常は一分あたり三百ミリだが、わたしの場合はダイアライザーが小さいので百八十ミリである。それゆえ簡単に思われるのだが、血管の太さは均一でなく起伏が激しい。分岐していたり、畝っていたり、突然九十度に曲がっていたりと脱血箇所の確保に手を焼く。浅く刺したり深く刺したりいろいろと試みているのだが、満足な脱血を得られないときがある。そのための刺し直しが増えたのである。
 静脈の方は腕の内側に一直線のところがあるのだが、この内側は神経が集中していて痛いことこのうえない。穿刺のときだけでなく、刺している間ずっと痛いのであまり使う気にならない。いずれ使うしかないのは分かっているのだが。

 除水量によって寿命が決まると書いたが、ここにも個体差があって、クリニックでは良く透析し、良く食べるがモットーだそうである。良く食べると書いたが、透析患者のそれは健常者の半分から三分の二までである。身長体重もしくは新陳代謝によって差違が生じるのでカロリー数は書かれない。
 わたしの除水量は100から500の間を推移しているが、先日はドライウェイトを切ってしまった。尿素窒素が低いので看護師や技師は食事を疑っているが、十分に食している。透析をはじめて八箇月目に入ったが、いまなお飲む量に応じて尿が出ている。腎臓は壊死状態だが、どこかの回路が生きているのだと思う。その尿が理由なのだが、除水量があまりに少ない、況やマイナスになるようでは困るのである。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月03日 23:00 | 固定ページリンク




クォーターカスク  | 一考    

 佐々木幹郎さんの土産話のなかに、ラフロイグのクォーターカスクがあった。サントリーが扱うウィスキーのなかでもっともコストパフォーマンスがよく、かつ旨い。最初出たころのクォーターカスク(エイコーンやスリーリバーズの取扱い)は現行のそれと比してもう少し荒々しさがあった。やがてサントリーが扱うようになって香味はうんと滑らかになる。どちらが好きかは個人の好みである。ただし、初期のそれはずんと値が張る。
 クォーターカスクの中身だが、幹郎さんによれば五年ものと十一年ものだそうである。いくら小さな樽とはいえ、五年であれだけの膨よかさが出れば申し分ない。十一年は香りづけに数パーセントと思われるが、蒸留所にとっては儲けがしらと思われる。
 クォーターカスク(小樽)をフィニッシュに用いるという新規の製法だが、マスターブレンダーのロバート・ヒックスが2004年に完成させた。同じ製法は他の蒸留所も試みている。グレンファークラスにはドイツ向けのボトリングがあるが、高級品扱いである。他にもアベラワー、アードモアがそれに倣い、スプリングバンクはさらに小さなカスクを用いた商品を頒している。
 クォーターカスクを用いる利点はバーボン同様、短期熟成が可能だというところ、さればこそ五年もので十分ということになる。他の蒸留所も良いところはどしどし取り入れるべし。
 なお、クォーターカスクをシェリーでフィニッシュした「ラフロイグ トリプルウッド」が免税店向けにボトリングされている。こちらは高級品である。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月02日 22:56 | 固定ページリンク




編輯について  | 一考    

 「物議」が高遠さんからお褒めに預かった、悪乗りしてさらに一言。多くの書物が編輯者を介さず、陽の目をみるようになった。おそらく書き手の自己判断が基準になっているのだと思う。しかしこれ以上危険なことがあろうか。
 自分で文字を打ち込めば十万円もあれば本らしきものが造られる。他方、編輯者の目を通すのに五十万円掛かったとする。それでもなお、編輯者が読むことに価値があるとわたしは思う。校閲ないし校正とはそれほどに大変な作業である。
 文章を著すときに編輯者を意識するとは読者を想定するに等しい。最初の読者が編輯者であって、彼(彼女)ならどのように表現するだろうかと考える。そこから文章の鏤刻がはじまり雕琢がはじまる。推敲を重ねるとは既存の書物のあらゆる表現と照らし合わせ、もっとも適確な用語を選択することである。ときとして、句読点ひとつに何日も考え込むこともある。
 それら艱難は著者と編輯者の秘め事であって外には表れない。わたしなどは二十回ほど書き直しをする。書き直すではなく、書き直さざるを得ないのである。理由は手持ちの引き出しの数の少なさにある。
 文学にあってもっとも大切なのはイノベーションだと思う。情念における革新性は当然として、表現法としての革新性も問われつづける。そして情念における革新性と表現法における革新性とは同一のものである。既存の書物から得た夥しい引き出しの古層のなかからのみ、その革新性は生まれる。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月01日 21:34 | 固定ページリンク




閉店予告  | 一考    

 店を借りているのは八月二十三日までですが、店内の器機撤収に一箇月は掛かりますので、営業は七月までとなります。まだ数箇月ありますので、どうかよろしくお願い致します。
 mixiのコミュニティ「ですぺら」の管理人stewardさんには満腔の謝意を表したく思います。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月01日 04:36 | 固定ページリンク




樽について  | 一考    

 某ウィスキー解説書には緯度の関係でスコットランドでオークは採られないと書いていた。わたしはなんの疑いもなく信じていたが、佐々木幹郎さんがアイラ島から帰られ、オークの森の写真をブログへ掲載なさった。調べたところ、

 http://www.ballantines.ne.jp/scotchnote/17/

で書かれていた。以下に紹介する。

 熟成を目的としてウイスキーの貯蔵が始まったのは19世紀後半で、まずヨーロッパから輸入されてきたワインやシェリーの空き樽が使われ、次いで50年ほど前からはバーボンの空き樽が大量に使用されるようになった。次に述べるがこの時代までにスコットランドのオークはほとんど枯渇しており、地元の樽で作ったウイスキー樽は作られなかったのである。

 ピート湿原が広がる荒涼とした風景はスコットランドを代表する風景の一つであるが紀元数千年までは広い範囲が鬱蒼とした森林であった。特にローランド地方や、ハイランドでも海岸部はオークの森林に被われ、オークはスコットランドを代表する樹木であった。これらの森林がほとんど消滅した理由は気象変化もあったが何と言っても人間の活動による。森林は草地への変換のために伐採されたが、オークは船の建造、建築用材、家具、皮なめし用のタンニンの原料、燃料として非常に有用であったので18世紀頃までに大量に伐採されてしまった。しかしながら、資源として利用するには不充分でも今でもオークはスコットランドでよく見かける樹木である。現在私がいるグラスゴー大学の構内でもよく見られるし、グラスゴー市のシンボル・ツリーでもある。
 スコットランドのオークはセシル・オーク(Sessile Oak: Quercus petrae)で、フランスのコニャックの熟成に使われるオークと同種、イングランドやスペインのコモン・オーク(Common Oak: Quercus robur)とは種類が異なっている。スコットランド産のオークで作った樽で熟成したスコッチ・ウイスキーはどんな味がするか出来れば飲んでみたいものである。

 キリスト教の歴史を知らないでフランス文学は理解できない。同様にスコットランドの歴史を知らずしてスコッチウィスキーについて語ることは出来ない。この当たり前のことをわたしは失念していたようである。恥を知るとはこのことで、赤面の至りである。
 「シャルドネ荘園」とのブログでは樽香について詳述されている。

 http://plaza.rakuten.co.jp/chardonnay/diary/200804020000/

 樽香のみならず、地質、タンニン、フェノール化合物(フェノール酸、酒石、アントシアン)等々について実に詳しい。オーガニック、循環型農業(パーマカルチャー)を基本とし、北海道で葡萄栽培を主とした農業を営まれる方だが、生産者側の貴重な意見に充ちている。ぜひお読みいただきたい。


投稿者: 一考      日時: 2011年03月01日 04:19 | 固定ページリンク




フリー  | 一考    

 自転車のフリーはエベレストかレジナを用いてきた。チチチチもしくはジャージャーと音がする。レースのときなど、その音が重なり合って蝉の声もしくは珠盤玉をひっくり返したような音に感じられる。自転車であれ、車であれ、わたしはホーンを鳴らさない。人にぶつかりそうになったときはブレーキを掛け、クランクを後方へ回転させる。フリーの音で自転車の接近を報せるのである。気持がとどかなければ停車する。ところが最近は無音のフリーが増えてきた。それで歩道を走られると危険この上ない。先日も無音の自転車が横をすり抜けていった。後輪を蹴飛ばしてやろうかと思う。
 自転車は軽車両なので、車道を走らなければならない。歩道は押して歩くものと道路交通法で定められている。ところがそれを取り締まるべき警官が歩道を疾走しているのはなぜ。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月26日 22:05 | 固定ページリンク




物議  | 一考    

 このところ物議を醸すことを書いたので掲示板のカウントが跳ねあがっている。同時に当掲示板に意外な読み手がいらっしゃることに気付かされた。露愁さんもそうしたおひとりで、いたく恐縮している。
 文責と書いたのが戦闘的に見えるようだが、書かれた文章に責任を持つのは当たり前である。かつて触れたことがあるが、二十代の頃、著作権で問題を起こし何度か裁判沙汰になった。昨今はインターネットだが、メディアが替わっただけで著作権に関する法律は昔より五月蠅くなっている。もっとも病人の書く文章でないと云われればそれまでだが。
 盗作は置き引きと同じ犯罪である。裁判を望まれる方にはどうぞと云いたいが、あの煩わしさは蒙御免。繰り返すが、編輯者の不在が現今の問題を惹きおこしている。ブログに於ける内容のいかがわしさ、日本語の乱れ、細かくは打ち間違い、変換ミス等々、編輯の機能が働けば問題はおきない。編輯者不在で文章を認めることの怖ろしさを思う。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月25日 23:57 | 固定ページリンク




天国  | 一考    

 放置バーと云ってもSMバーではない。ですぺらでは客が放置されるの意である。わたしは放置バーが好きである。どうせ大した話などあろう筈もない。昔からバーへ行ったときは黙して飲むことに専念する。酒だけは大したものだからである。
 佐々木幹郎さんがアイラ島から戻られたが、前回のスペイサイド紀行が「嗜み」で三号にわたって連載されている。宇土美佐子さんについて触れられているのはその最終号(九号)である。文中、エジンバラのバー「カニイマン」について触れている。喫煙、携帯電話、写真撮影はNG、クレジットカードもバックパッカーもお断りのバーだが、実にうまく描かれている。(引用はカニイマンでない)

 スコットランドでお酒を飲むときの魅力。それを一言で言えば、夕陽に頬を照らされて飲む楽しみ、に尽きる。
 わたしはまだ五月のスコットランドにいる。もう少し、この時期のスコットランドについて語りたい。
 新鮮な樹木の緑が次々と芽吹く季節。英語では「ラッシュ・グリーン」と言うそうだ。勢いのある言葉だ。その勢いと並行するように、この時期のスコットランドは午後八時になっても外は明るい。首都のエジンバラでも田舎のスペイサイド地区のクライゲラヒ村でも、夕方からバーのカウンターでウイスキーを飲みだして、もう数時間は経つのに、窓の外を見るとオレンジ色の夕陽が皓々としている。隣の酔客の頬に夕陽があたっている。日本のバーで、こんな飲み方をしたことがない。夜の電灯の下でボトルをあけることしか知らなかったわたしには、これは驚くほど新鮮なことだった。少しずつ酩酊しながら、わたしの頬にも夕陽があたる。ここは天国に近いな、と思う。

 ウィスキーについて書かれた文章は数多あるが、どれもこれも無味乾燥である。幹郎さんの文章はいずれ纏まるだろうが、はじめての読み物になるに違いない。わたしも最後は夕陽が頬にあたるバーを営みたいのだが。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月24日 21:27 | 固定ページリンク




恢復  | 一考    

 赤坂にはコンビニが多い、ところがコンビニからジュースが消えた。各種茶とレモンウォーターの類いばかりである。気持はよく分かるが、たまにジュースが飲みたいときは困惑する。セブンイレブンにはオリジナル商品でグレープ、グレープフルーツ、オレンジ、アップルが揃っている。それ以外のコンビニ(ただし赤坂店に限る)はよほど売れないのか一掃されてしまった。
 先々週、そのオレンジジュースとアップルジュースを試しに飲んだ。二週間に一リットルだと、血液に問題は生じなかった。この分だとレモンジュースも大丈夫かもしれない。
 ダイアライザーはカリウムは多少除去するがリンは無理である。透析患者が難渋しているのはリンとカルシウムの吸着剤である。そのリンとカルシウムがもっとも多く含まれるのが牛乳だが、こちらも二週間に一リットルだとわたしの場合、血液に異常値は出なかった。とはいえ、技師から個体差があるので、そのような無茶は止めて欲しいと云われた。
 透析患者の血液検査は基準値が健常者のそれとはまったく異なる。当掲示板で血液検査の結果を屡々書き込んでいるが、健常者の参考にはならない。例えば血圧にしても上が150から180だと透析患者にとっては正常だが、健常者の場合は110から120ぐらいである。
 わたしの血圧は低く(高い方が90から70)、失神に泣かされてきたが、最近は正常値(150の80)を維持している(貧血で低血圧と云うのはよほどの失血を除いてあり得ないのだが)。降圧剤の服用を止めてから徐々に戻ってきたようである。貧血の方もヘモグロビンが12.1にまで恢復している。

 ところで、木村さんが高血圧に悩まされているようである。彼の血液検査の結果を見ていないのでなんとも云えないが、降圧剤が効かない場合は利尿剤である。例え減塩生活をしていても、血中はナトリウムの過剰になる。腎臓で排出されても再び吸収してしまうからである。利尿剤は血糖値や尿酸値を上げるとされていたが、最近は見直されている。特にナトリウム再吸収のガードになる。要は尿と共に塩分も排泄されるのである。場合によっては救いの妙薬になる。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月23日 20:51 | 固定ページリンク




為事  | 一考    

 神戸の岡田さんと大阪の木村さんから電話あり。岡田さんは創文社でわたしを担当なさった方で、青春を共に暮らした。コーベブックス名義で拵えた六十四冊の書物は悉く岡田さんの手になるもの。彼とわたしが敷いたレールの上へ、後日サバト館と湯川書房が相乗りしたのである。
 京都の森田和紙の協力があって、とにかく和紙を多用した。創文社と手漉和紙に関してはですぺら掲示板1で幾度となく著したが、印刷機と和紙の相性はすこぶる悪い。和紙は厚みが均一でなく、四方に耳が付いている。しかも、裏表のノンブルが重ならないとわたしの機嫌が悪くなる。文選、植字、刷りすべての職人の呼吸が合わないと美しい版面はできない。費用は眼中になく、ただただ東京で刷られない、精興社で刷られない書物を求めて、また英国の印刷工房に負けない印刷をと、がむしゃらに為事をした。それらを指揮なさったのが岡田さんだった。
 わたしが出版について語るとき、それは取りも直さず岡田巌について語るに等しい。湯川さんと政田さんよろしく、岡田さんとわたしもまた二人三脚だった。二人して、神戸の印刷史に新たな一頁を開いたとわたしは信じている。
 木村さんはコーベブックスで一緒に為事をした。わたしが出版というような勝手な真似ができたのは、木村さんと秋山さんという現場を仕切る方があればこそである。出版が赤字のため、わたしはさまざまな展覧会で利益を上げていた。画展には強力な助っ人の田村書店があった。いずれにせよ、わたしの為事は屡々現場を裏切るような結果になった。済まなく思うと同時に、誰かがやらねばならない蛮勇に類することだった。その木村さんからの電話である。彼は還暦を迎えたとか、ひとには変わる部分と変わらない部分がある。双方引っくるめて話がしたいと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月23日 04:03 | 固定ページリンク




腎結石  | 一考    

 2010年7月17日の新華網によると、中国では腹膜透析や血液透析をしながら腎移植を待つ患者が毎年百万人、肝炎末期で肝臓移植が必要な患者は三十万人いる。そのうち臓器移植を受けられるのはわずか一パーセントだという。
 わたしが腎不全になった理由は腎臓結石だが、この腎結石もしくは尿路結石にかかる比率は二本では人口十万人で五十三人ほど。また、生涯のあいだに百人のうち四人が一度は尿路結石になると言われる。結石から透析に至るのはさらに少なかろう(一説によると結石患者の二パーセント)が、その正確なデータは持っていない。ちなみに、東葛クリニックでは患者一千人のうち、腎結石が引き金になったのはわたしを入れて二名しかいない。
 上皮小体(副甲状腺)と呼ばれる米粒ぐらいの臓器が首の甲状腺の裏に四つある。血中のカルシウム濃度を正常に保つためのホルモン(副甲状腺ホルモン)が分泌されている。結石の治療は腫瘍化した副甲状腺を切除するようである。そうした手術をわたしは受けていないので詳細は分からない。わたしが何度か受けたのは体外衝撃波結石破砕術(ESWL)のみで、経尿道的尿管砕石術(TUL)も受けていない。要するに、本気で癒さなかったのが祟って透析となった。

 現在では透析に至る腎不全患者の七割は糖尿病症であり、その数は増え続けている。糖尿病症の治療法を紹介するのがもっとも役立つのだろうが、わたしが糖尿病症でないので違いがよく分からない。いずれにせよ、透析をはじめてしまえば似たものだと思うが、それ以前の食事制限は似て非なるものである。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月22日 22:30 | 固定ページリンク




湯川拾遺  | 一考    

 伊東さんは焼き肉でなく畜産肉の貿易業者らしい。わたしは存じ上げないし調べる気にもならないので失礼する。湯川さんの実家は東住吉の田辺。摂津正雀の家は父親が住むつもりで買ったものの、横浜への転勤で新婚の湯川さんが住むことになった、と湯川紀美子さんから連絡があった。湯川成一さんの伝記を著すなら調べもしようが、事実関係はここまでで良いと思っている。湯川伝の筆者なら他に適任者がいらっしゃる。わたしは異を唱えるだけで勘弁願いたい。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月22日 00:46 | 固定ページリンク




年内閉店  | 一考    

 体調が良いあいだに身辺整理をはじめなければならない。一番の問題はですぺらと病院である。まず、ですぺらを年内に処理するつもり。赤坂店は2000年3月24日の開店だったので、十一年間の赤字におさらばすることになる。この十一年どうも非合理的な金の遣い方をしたようである。出版といい、飲み屋といい、わたしはおよそ商売に向いていない、分かっていてこの為体である。
 出版はとんでもない赤字を抱えたが、飲み屋の方も似たようなものである。なにもしないのが一番金を遣わない。生活費だけならなんとでもなる。神戸へ帰るのは気が進まなかったが、病気になると致し方ない。
 松戸のクリニックは気に入っている。最新の器械を使っているので心置きなく透析を受けていられる。最近はこちらから細かく指示できるようになった。やっと馴れたかなと思っているのに残念である。神戸に良いクリニックがあればよいのだが。

 チュニジア、エジプトについでリビアが騒然としている。イエメン、ヨルダン、シリア、パレスチナ自治区、スーダン、アルジェリア、バーレーン、サウジアラビア、イランと連鎖反応はつづく。君主乃至は独裁者がいなくなるのは良いが、個々の欲が絡んで無政府状態に陥る。もっとも、共和制とは一種の無政府状態だとわたしは思っている。ただし、病人になるとそれは困る。特に透析の場合、休みなしなので周章てるのは身体である。チュニジアやエジプトの透析患者はどうしているのだろうか。満足な透析など受けられはしまい。
 腹膜透析はエジプトのミイラ造りに端を発するが、今日の腹腔穿刺法は17世紀の腹水症治療と同じ原理、方法で行われている。1744年、Stephen Halesは赤ワインを用いた持続的腹腔洗浄法を発明したが、赤ワインにより腹膜は繊維化し腹腔は閉塞したという。赤ワインの生体適合性が極めて低かったのが理由である。キリスト教徒ならではの試みだったと云えようか。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月22日 00:23 | 固定ページリンク




裏面  | 一考    

 湯川さんも政田さんも自分を語るひとでなかった。必要を感じなかったと云うよりはどうでもよかったのだと思う。これは編輯者によくあることで、自らが編輯する著者に代弁させる、すなわち黒子のさらなる裏面といった趣がある。政田さんは上戸で、彼の名古屋時代にわたしは何度か酒を酌み交わしている。しかし、塚本さんの前では決して盃を持つことはなかった。塚本がそれを嫌がったからである。従って、政田さんを下戸と思っているひとは多い。彼はそうした誤解を気にするような素振りすら表出さなかった。
 大相撲の八百長問題でこのところ囂しい。日本相撲協会は八百長はなかったの一点張り。貴乃花や大乃国にとって八百長はあってはならない本質的問題だったが、現実には八百長が横行していた。またマスメディアの連中にとって八百長は相撲取りの大半が毒されてい、八百長は単に相撲協会の立前であったに違いない。なにを云いたいのかというと、本音と立前は常に入れ子構造にあって、なにが本音でなにが立前かは、ひとの立ち位置によって異なる。
 テレビで某評論家が「立前は美しい、立前には美学がある」と分かったようなことを云っていた。日本相撲協会を弁護する発言だったが、本音と立前を識別できるひとだと、妙に感心させられた。感心させられた理由は彼は嘘をついていると云う点にある。前述したように本音と立前のあいだに境界線はない。常に揺れ動いている概念だからである。
 余談だが、わたしは詩歌をよく読む。その評価は前述の嘘が含まれているかどうかの一点である。詩人でその峻別ができるのは谷川俊太郎の他、おそらく十名しかいない。一語、一語その言葉が正しいのか嘘なのかを吟味して用いる作家は寡ない。それは作品の巧拙を越えて大切なことである。翻訳の場合、その嘘があるかないかはさらに少数者になる。横文字を縦文字に変換するに止まらない。なにげなく用いる言葉にこそ、嘘は介在する。その嘘を刮げ落とし、かつ名調子に仕立て上げる高遠弘美など神業に近いものだと思っている。
 さて、湯川と政田である。彼等は相手に応じてなにものにでも成り遂せた編輯者である。出遇った相手の数だけの顔を湯川さんも政田さんも持ち合わせていた。そこのところを誤解するととんでもない湯川像が政田像が誕生する。もっとも、彼等はにんまり嗤ってそれを許しただろうが。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月18日 23:23 | 固定ページリンク




湯川さんについて追記  | 一考    

 前項で悪口を書いた。あまり書きたくなかったのだが、告訴とか裁判とかが聞こえてきたので書かざるを得なくなった。いわばガス抜きである。文学とは縁もゆかりもないひとがコレクターには多い。それはそれで大切な方々である。コレクターがいればこそ後世ののひとが美本を入手できる。そして限定出版はそういったコレクターによって支えられている。ただ、コレクターが常に分を弁えるとは限らない。誰かが迷惑を被れば、叩かざるを得ない。
 今回は岡田露愁さんに関する文章があまりに酷かった。何度か事実関係を調べたが、本に書かれていることはまったくの伝聞か創作の域を一歩も出るものでなかった。それは分かっていたのだが、例え掲示板と云えどもしっかり調べないと書かれない。貴重な時間をわたしのために割かれた方には御礼申し上げる。
 あのような内容の書物は上梓する前にゲラ刷りを関係者に見せるべきであろう。そうした通常とられる手続きが踏まれなかったところに不幸がある。理由は編輯者の不在である。同書は八十部の限定本だが、劃ったがゆえに許されるというものでない。印刷は複製技術であり、例え一部であっても公刊本である。
 露愁さんの肉筆一部本が献本として彼の手に渡っている。それは世話になったもしくは雑作を掛けた相手への湯川の謝意である。その段階で貸し借りは終了している。それを露愁さんのせいにするのは逆怨みである。今回の件で露愁さんが立腹なさるのを危惧する。それでなくとも湯川の奥方は腹を立てていらっしゃる。
 彼についてはわたしはなにも知らない。どうやら焼き肉に関する会社の社長のようである。かなり神経の粗雑な方とお見受けする。でなければあのような文章は書かれない。土足で他人の家屋を荒らすような風情である。他に書くことはあったが、水掛け論はしたくないので控えた。
 繰り返すが、前項の文章の文責はわたしにある。なにかあればわたしを相手にしていただきたい。文を著すとはそういうことであって、常に責任が生じる。責任が取られない文章は決して書いてはいけない。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月17日 22:26 | 固定ページリンク




湯川書房について  | 一考    

 携帯電話が架かってきたときに、眼鏡が近くにあればよいのだが、大概は見当たらない。要するに、誰からの電話なのか声を聞くまでは分からない。今回の電話は湯川書房についてであった。
 「夢のあとで」と題する著書が上梓された。「湯川書房・湯川成一と四十年」との副題がつけられている。刊行は伊東康雄氏だが、「伊東康雄語り、片柳草生文」と記載されている。伊東氏は湯川書房の株主ではないがコレクターである。片柳草生氏は元文化出版局、現在はフリーで活躍なさっている。本書の場合、文責がどちらに在るのかよく分からないが、取り敢えず伊東氏ということにしておこう。文責と書いたが書かねばならないほど本書には間違いが多い。おそらく触れられている各人に直接取材をせずに、著者の思い込みで書かれたものと推察する。本書には夥しい固有名詞が著されているものの、どこにも小説乃至は創作とは記されていない、さればこそ問題が生じる。以下「夢のあとで」の本文に添ってはなしを進める。(文中敬称略)

 文中、塚本邦雄の「茴香変」以降、政田と湯川との関係は急速に親密度を増したとあるが、政田岑生と湯川との交わりは古く、政田が広島で詩の同人誌を出していた頃からの付き合いである。湯川に断わりなく政田が湯川書房の名で勝手に本を出した、とあるのは間違っている。湯川と政田は親友で、彼等の営みは二人三脚のようなものだった。従って、互いに足らない部分を補っていたと云うが正しい。念の為に云っておくが、両名とも同性愛的なものとは遠く、世にいうストレートだったと断じておく。いわんや「溶ける魚」「水の巵子」「火の雉子」は男色趣味とは縁もゆかりもない書冊であり、鶴岡善久と政田両氏の編纂になる。伊東のような色眼鏡で見られては立腹なさる方もなかにはいらっしゃる。
 季刊湯川の発刊も政田の影響下ではない。季刊湯川の編輯をわたしはお手伝いしたが、政田の影響としては、岩波書店の書冊を手掛けていた精興社で印刷した点、それ以外彼はほとんどタッチしていない。蛇足ながら、辻邦生、小川国夫、塚本邦雄の三名を「三クニオ」と最初に揶揄したのは記憶に間違いがなければ旭屋梅田店の海地さんだった。
 湯川がみすず書房のファンだったかどうかは知らないが、レイアウトはみすずのそれとは全く異なる。むしろ湯川は岩波書店のファンで、精興社への憧れが強かった。レイアウトに関しては詩書出版の書肆山田もしくは小沢書店の方が湯川のそれに近い。
 株主七人と発起人一人の計八人で湯川書房は株式会社となった。株式会社設立後、東販と日販は注文口座を、東京の鈴木書店は新刊配本の口座を開設する。鈴木のそれは痒いところに手が届くような配本で、湯川書房には特に力を入れていた。関西は地元ゆえ構わないが、鈴木の取扱いがなければ東京の書店への配本はかなわなかった。
 鶉屋の飯田さんが繁く登場なさるが、ならば浪速書林の梶原さんを取上げなければ片手落ちになる。「死者」に関して生田との間に生じた確執は岡田露愁とわたしが起因している。強調しておきたいのは生田が露愁と不仲になり名前を返せと云ったとき、湯川は珍しく生田の態度に大人げないと立腹していた。ちなみに、「湯川72倶楽部」の限定記号に木偏の活字を用いると言い出したのは大阪の波宣亭主人、泉さんだった。
 岡田露愁の「魔笛」について一言。まず九条の公団は湯川が用意したものでなく、金数も出していない。数名の刷り師にアルバイトを頼み、五千余枚を刷り上げた。画料の一部を先払いし、露愁はそれをアルバイト代として遣い、最後の清算は曖昧になった。曖昧に終わったでは誤解が生じる、露愁が辞退したのである。文中で触れられているような生活の面倒までみたはとんでもない間違いで、当時の湯川にそのようなゆとりはなかった。99部の「魔笛」は完売、湯川本としては大成功だった。伊東が土地を手離したのは事実だろうが、それは伊東と湯川の問題であって、露愁とはなんの関わりもない。この件に関してはいくら強調しても強調しすぎるといったきらいはない。
 湯川と奥方の紀美子さんは社内結婚、二人にとって小川証券は思い出深い会社である。その小川証券のことを伊東は書いているが、かかるプライベートなことは書くべきでない。自殺云々とはかつての湯川の部下と運転手のことであろうが、事実関係を往事の小川証券の関係者に問い合わせたのであろうか。わたしが調べた限り、湯川とはなんの関わりもなかった。小川証券の一節の結句として伊東が引用する有生夫の名で書いたエッセイは小川国夫著「闇の人」へのオマージュであって、湯川は洒落気の強い人で闇とは最期まで縁がなかった。暗さのない人間などいないだろうが、闇と云うような弁証法的転嫁は彼には生涯無縁だった。
 学生時代ボクシング部に籍を置いたとか、浜村美智子のバックダンサーをしていたと書いているが、湯川が親しくしていた同級生に問い合わせたところ、そのような事実関係はなかった。洒落気と書いたが、このような冗談を湯川は屡々口にする。例えば、父親がスーパーを経営していて、その土地建物を売った金で出版を維持しているとの類いである。昭森社の森谷均の法螺を擬えたものであって、本気にしては恥をかく。
 湯川が左手で仏画を描いたのは永田耕衣の模倣、作品も耕衣ゆかりのものが多い。正雀の家を実家と書くのも間違い。湯川の父親は高島屋の部長だった方で、摂津正雀の家は結婚の祝いに購いしもの。
 湯川の出資者についてだが、わたしにできたのは吉岡実の詩集を全冊買い支えたことぐらい。前述した梶原をはじめ、株主の方々は各位可能な限りの協力をなさっている。ご協力を忝なく思うが、出資は伊東だけではない。それについては個人的なことゆえ、詳細は触れない。

 湯川書房の編輯を手伝った一人として看過できない点があった。それゆえ、不本意ながら重箱の隅を楊枝でつつくようなことを書いた。しかし、「夢のあとで」の基本姿勢は湯川へのオマージュである。それは重々承知の上で、遺族を悲しませるような書き方は止めた方がよろしいかと思う。本書の上梓をもっとも慨いているのは湯川紀美子さんである。戸田勝久や創文社など、湯川と親しかった人々が名を連ねながらどうしてこのような書物が陽の目をみるに至ったのか。文芸書ではないにせよ、関係者各位の猛省を促したい。なお、当文責は渡辺一考にある。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月17日 04:39 | 固定ページリンク




長生きの秘訣  | 一考    

 「不必要な長生きなんぞしたくもない」と書いたが、欲求がないわけではない。それは北海道への旅行である。制約が多すぎるので、透析を受けながらの旅は願い下げである。そのためには腎移植が必要となる。そして移植は透析以上の問題をわたしに突きつける。
 わたしの意見は2009年07月22日に書いた「腎不全」の時のままである。移植に対する意見は変わらない、変わらないと云うよりは迷い続けていると云った方が正しい。ドナーに云わせると、失敗してもともと、少しでも長生きできればそれで良いではないかと。有り難いはなしだが、それは長生きをしたいひとに云うことである、翻ってわたしが長生きしたいのかと云うと、そこのところがよく分からない。
 若ければ若いほど、ひとは先を読むことができない。読まれないがゆえの狼狽え、怯え、すなわち執着がある。しかし、三十歳を出て先行きが読まれないのはおよそ無知曚昧に等しい。人生の概念、要するに設計図を引くのは三十歳までにあらかた終了する。あとはその概念に則って残された日々を送るだけ。長生きしようとも途中で中断されようともそれ以上の者になれる筈もない。それ以上の者とは非凡を示唆している。非凡を一廉の人物もしくは世間的な評価と置き換えても構わない。
 明日になればなにか起こりそうな気がする、そう思ってひとは生き延びる。選民意識も長生きの秘訣かもしれない、わたしは撰ばれた人間で他人が必要としていると。そうした勝手な思い込みがない場合の口実は、家族ないしは友の存在だろう。それを言い換えれば、悲しむひとがいるとなる。しかし、悲しむひとのために生き延びるのでは、あまりに他人事に過ぎよう。恋愛同様、他の存在があってのはなしゆえ、選民意識と似たようなものである。
 それにしても、他人から必要とされるような理不尽かつあり得ない関係をどうしてひとは求め、信じようとするのか。近頃、無縁社会が問題になっているが、団塊の世代が大家族での暮らしを拒否したところから派生した問題であって、意図した以上、ひとは無縁にならざるを得ない。無縁者は誰からも必要とされない、ならばそれに徹すべきとわたしは思う。無縁は社会問題でなく、個々の心構えの問題であろう。

 長生きへの思いに結論はない。さればこその北海道旅行である。生きようと思えば、生きることになんらかのこじつけが必要となる。理に合わない牽強附会こそが生きるための唯一の手立てなのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月16日 20:29 | 固定ページリンク




追記  | 一考    

 靭帯剥離骨折と憩室からの大量下血だが、それらは腎不全のなせる業である。腎不全発症によって骨粗鬆症になったのが骨折の引き金となり、尿毒素によって出血性になった身体から下血したのである。憩室の手術の際、痔も共に手術しなければと云われ、この大変なときにどうして痔の手術をと思ったのだが、出血の可能性のあるところはすべて修復した方が良いとの主治医の命に従った。考えてみれば懸命な処置で、感謝しなければならないのだが、当時は前後の脈絡が分からず、狼狽えるばかりだった。透析をはじめてからさまざまな事柄が一直線に結びついてくる。
 それにしても凄まじい病院だった。入院は僅か二日。サンドイッチ、キャラメルなど食べ物は取上げられ、いきなり下剤を飲まされ点滴がはじめられた。二日目に手術が続き、その日は一日中痛みに堪えかねて唸っていた。痛み止めなどなにも効かない。そして術後、血が滴っているにもかかわらず、また痛みの渦中にあって退院だと云う。案の定、駐車場で失神してしまったが、あれが医術なのだと感心させられた。世の中には面白い医師が居ると驚くと同時にこころを動かされた。主治医の紹介でいろんなタイプの医師と出会う、感謝の他なにもなし。

 腎不全とは結果的に血液そのものが病に罹ることだが、近い将来IPS細胞が実用化されれば簡便に治療できる病になる。おそらく五、六十年後と思われる。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月15日 21:56 | 固定ページリンク




腎不全発症時  | 一考    

 発症前後の処置によって生存率は大きく変わる、そこで腎不全発症の頃を書いておく。わたしは腎結石なのでいずれ腎不全に陥るのは明らかだったが、本人にそのような覚悟はなにもなかった。結石が尿管に落ちるときの激痛は覚悟していても、腎臓は沈黙の臓器であって痛みを伴わない、痛みのないところに不条理は感じようがなかった。
 オートバイの顛倒事故によって左脚の靭帯剥離骨折、その折の血液検査でクレアチニンが6を越えているのを知った。医師にとって骨折は二の次で、即刻シャントの作製と透析を命じられた。ちなみに、事故前年のクレアチニンは2だった。
 通常はクレアチニン6でシャントを作り、7で透析に這入る。ところが、当時のわたしは透析を試みる気はまったくなく、死ぬつもりだった。その理由は捨て置けば心不全でぽっくり死ぬと聴かされたからである。わたしは何時死んでも悔いのない生き方を心掛けてきた。従って、苦しまずに死ぬのであればそれに越したことはないと思った。
 クレアチニンが8を越えたあたりからさまざまな症状に襲われるようになった。顛倒事故からきた松葉杖は別にして、骨粗鬆症、憩室からの下血による慢性の貧血と血圧の低下(通常は高血圧に苦しめられるが、私の場合は違った)、尿毒症がもたらす頭痛、怠さ、嘔気、食欲不振、呼吸困難、歩行困難、全身の痒み等々、しかしそれらは堪えられる種類の痛みだった、たったひとつブラックアウト(急激な血圧低下)を除いて。度重なる失神にわたしは悲鳴を挙げた。ブラックアウトのときの痛みと恐怖心に根負けし、透析に踏み切らざるを得なかった。透析時の年齢は六十三歳。
 わたしがシャントを作った時のクレアチニンは10を越えていた。ここまでで発症から一年半を費やしている。ここで書いておきたいのはもっと早い段階で透析に踏み切っていたら、生存率はさらに上がっていたであろうこと。
 シャント作製から四日目(通常は二週間)に透析をはじめた。それほどに非常事態だった。しかし本人は呑気ななもので、透析をはじめれば多少のことは大丈夫と、病院近隣の喫茶店で葉巻を薫らせ珈琲を啜っていた。流石に珈琲はその一度だけで止めたが、烟草はいまなお馴れ親しんでいる。
 文中で触れたように、高血圧と貧血で悶々とするのが腎不全である。また浮腫は付きものの症例だがわたしには起きなかった。ブラックアウトも前例はあるが頻発するような例はない。このあたりにも個体差が顕れている。そして平均生存率は五年だが、無理が祟って四年というのが医師の見立て、すこぶる冷静な判断だと思っている。
 透析をはじめた以上、わたしが為すべきことはその四年をどこまで延ばすかであろう。よって食事制限とその制限と密接な関わりを持つ血液検査で異常値を出さない、ドライウェイトの三パーセント以内の除水率を守る、以上に全力を傾けるのが医師への礼儀であり謝意だと心得ている。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月15日 03:33 | 固定ページリンク




願い  | 一考    

 ですぺら掲示板はヤフーとはほとんど付き合いがなかった。ところがヤフーがグーグルロボットを使いはじめてからヤフーからの検索が増えた。特に透析に関する検索に置いて顕著になった。透析患者の寿命についてはほぼ連日検索されている。先日も十五歳から透析をはじめると何歳まで生きられるかというのがあった。答えは平均で二十五年、従って四十歳までは大丈夫である。
 東洋医学と西洋のそれとでは平均というデータの取り方が異なる。西洋医学にあってはあらゆるデータが採られている。ただし、云っておかなければならないのはデータとは過去に遡っての積算になる。医学は日進月歩であって、透析患者の生存率は年々延びている。その一方で毎年二万人の患者が一年未満で亡くなっているのも事実である。だからこそ除水率が問題になる。
 検索で当掲示板へ来られた方にはぜひ他の頁もお読み頂きたい。除水率ひとつで平均余命を延ばすも縮めるも自在になる。血液透析はあくまでも腎臓の働きのごく一部を代行するものであって、基本的に問われるのは自己管理である。その自己管理についてわたしは経験したすべてをさらけ出している。悲しむ暇があれば、まず自己管理に精通していただきたい。それがわたしの願いである。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月14日 03:29 | 固定ページリンク




パンフレット  | 一考    

 本日の除水は200ミリリットル、正月にも食事がかなわずドライウエイトを切ったことがあったが、それを別にして最低量だった。食事はいつも通り、ただ水を少々控えた。これには訳があって、小水が出ているあいだはできるだけ水を飲むように心掛けてきた。ところがクリニックの技師によると突然水を飲むのを止めるのは不可能に近い。少しずつでも減らしてゆくべきでないだろうかと注意を受けた。いわれてみればその通り、で、ちょいと控えた。
 冬場は汗をかかないので夏と比して水分量は増えるはずである。にもかかわらず、200ミリリットルは少なすぎる。ちなみに向かいの患者は4リットル越えで一日では処理しきれず次回まで持ち越し、隣は3.4リットルだった。そのまた隣(彼とは親しい)はコンスタントに2リットル。
 器械が新しくなったので、看護師から「血液透析のしくみ」と「腎臓のしくみと働き」とのパンフレットを頂戴した。それを纏めて気付いたことを追加したのが前項である。過去の書き込みと重複するが、まとめとしてお読み頂きたい。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月13日 17:58 | 固定ページリンク




生活習慣病  | 一考    

 腎臓は血液を濾過する臓器で糸球体と尿細管から構成されている。一日1500リットルの血液を濾過し、150リットルの原尿を作り出し、約1.5リットルの尿を排泄する。大きく別けて六つの働きを持つ。老廃物の排泄(尿素窒素、クレアチニン、尿酸など)、水分量の調節、電解質の調節(ナトリウム、カリウム、リン、カルシウムなど)、血圧の調節、ビタミンDの活性化、造血ホルモンの分泌(エリスロポエチン)。
 腎臓病になる理由としては、慢性糸球体腎炎、多発性嚢胞腎(遺伝による)、糖尿病性腎症(高血糖により糸球体が傷む)、腎硬化症(高血圧、動脈硬化により糸球体がが硬くなる)、その他がある。その他には腎結石の他、膠原病やアルポート症候群、バーター症候群等々、遺伝子系の疾患が含まれる。
 腎不全の原因は上述したように、慢性腎炎、嚢胞症、糖尿病、高血圧、高脂血症などの生活習慣病が挙げられる。生活習慣病は食生活からくるものが大半だが、なかには遺伝ないしは体質由来のものもある。上記その他に含まれる疾患の場合は生活習慣病が理由にならない。
 腎不全の症状は上記六つの働きと同じだが、高血圧、貧血、骨粗鬆症、尿毒症などが挙げられる。尿毒症は頭痛、怠さ、嘔気、食欲不振、呼吸困難、出血症、浮腫、それと例外事項になるが、わたしが苦しめられたブラックアウト(急激な血圧低下)などがある。

 腎不全になる患者の七割が糖尿病性腎症で、その数は増え続けている。ごく一部の例外を除いて、生活習慣病が理由である。禁煙や食生活の改善によって避けることが可能。腎不全に至るには数年あるいは数十年の年月が掛かる。訊ねるに、痛みがないので捨て置いたと異口同音に応える。いかに自己責任とは云え、糖尿病から透析に這入る患者の九割以上は透析にまで行く必要はどこにもない。ところが透析をはじめてすら、好き嫌いを口にするひとがいる、何をか云わんや。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月12日 22:24 | 固定ページリンク




お休み  | 一考    

 明日の土曜日は降雪のため、ですぺらはお休み。申し訳ございませんがどうかよろしく。
 今月はボトル整理につき、1300円以上のウイスキーは二割引(端数は適宜処理)となります。併せてよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2011年02月11日 21:57 | 固定ページリンク




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