ですぺら
ですぺら掲示板2.0
2.0








友の死  | 中島俊郎    

成田一徹さんが急逝しました。
渡辺さんと母校をともにするとよく言っていました。
美味しいモルトをご馳走になったこともよく話していました。
一度、いっしょに貴店に伺いましたが休店でした。

ご存じと思いますが、お知らせまで。


投稿者: 中島俊郎      日時: 2012年11月03日 21:01 | 固定ページリンク




ちりめん山椒  | 一考    

 ちりめんも山椒も京都では採られない。おそらく、ちりめんじゃこの高級品なら淡路だろうし、生山椒なら京都の錦市場だろう。共に、百グラム三百円はしない。京都産のちりめん山椒が東京のデパートなどで高値で取引されているが、いくらなんでも、あれは高すぎる。50グラム2000円から4000円もする。
 最近、丸美屋からふりかけ「ちりめん山椒」が販売された。28グラム、118円である。味はともかく、はじめて妥当な値段で販売されたちりめん山椒である。かなり売れていると聞く、やがて他メーカーも追随することになる。
 ですぺらでもちりめん山椒を造っていたが、味に関してはどこの商品よりも自信があった。そして料理人からもそのような評価を受け、しかるべき雑誌に幾度となく紹介された。あれは元々、播磨(山椒の産地だった)の漁師料理、例えばクギ煮のようなもので播磨の家庭ではどこでも造っていた。わたしはそこにちょっとしたアレンジをしただけである。播磨や京都のように鍋で炊かずに、フライパンで煎ったまでである。
 戦後、京都の料理人が模倣し、なにも知らぬ文化人が乗せられてちりめん山椒なる伝説が誕生した。伝説は所詮はうわさでしかない。前述の後追いする他メーカーが丸美屋と似たものを出さずに、さまざまな食感のちりめん山椒にトライしていただきたい。文化は今はじまったばかりである。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月31日 17:54 | 固定ページリンク




キーボード  | 一考    

 拙宅のモニターがエプソン製(HDMI)のため、購入したマックが繋がらない。アダプターを買うならコードを買った方が良い。アナログVGAかVDI-Dを買わなければ、昔は高くて買えなかったFlexScanなどどうかしら。パソコン関係を買うのは久しぶりだが、随分と値が下がったように思う。モニターは500円から1000円までである。
 G5の中古が2000円ほどで売っている。パソコン自体に需要がなくなってきたと云うことか。インターネットとメールと動画と、パソコンの使い方はまるで変わった。今ではモバイルと云うのかタブレットやスマホの方が流行っている。わたしは掲示板だけで動画はほぼ見ない。古い流行歌を聴くぐらいか。ただ、書き込みにキーボードは必要である。
 キーボードなしに書き込もうと思えば、携帯電話かフェイスブックにならざるを得ない。わたしは情報に興味はなく、ひとの考えにしか興味を抱かない。考えは逡巡であり迷いであり類推である。迷いが迷いとして顕著になるには一定量の文章が必要、そうでなければ理解し諒解できない。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月31日 17:53 | 固定ページリンク




通院  | 一考    

 戸田と三郷の間を移動するには埼京線で赤羽へ、赤羽から京浜東北線で日暮里、日暮里から常磐線で松戸へ行くか、武蔵野線を使うかのふたつがある。地元のひとは武蔵野線が近いと云うが、とんでもない間違いで、まず電車賃が日暮里経由だと450円、武蔵野線経由だと540円になる。所要時間は日暮里経由が二時間弱、武蔵野線経由が二時間半はかかる。
 日暮里と赤羽間の連絡がうまくゆかない。この間がスムースだと所要時間は一時間半に短縮されるが、時間帯による。
 武蔵野線経由は埼京線で武蔵浦和へ、武蔵浦和から武蔵野線で新松戸、新松戸から常磐線で松戸へゆく。途中に三郷との駅があるが、これは三郷の北の端、拙宅は南端であって市を縦断しなければならない。
 JRは走行距離が正確に料金に反映される。駅の数は少ないが、武蔵野線は電車が遅いので時間がかかる。こちらは武蔵野線がネックになる。
 どちらを利用しようが、松戸から拙宅までは乗り合いバス、こちらは一時間に二本である。待ち時間は別にして所要時間は十五分から三十分、この時間差は上葛飾橋の混み具合による。朝夕は特に問題である。
 三郷、戸田間を車だと一時間から一時間半で走る。時間差は渋滞で、こちらも朝はひどく混む。500円を奮発して高速道路を走ればもう少し短縮され、三十分から一時間。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月30日 10:08 | 固定ページリンク




金喰い虫  | 一考    

 メドロール、グラセプター、セルセプト三種類の免疫抑制剤を服用している。他に健康保険が適用される同剤は四種類、その他の百種類を超える免疫抑制剤は健康保険の適用外。従って、用いようとすると数十万乃至数百万円の実費が必要となる。免疫抑制剤に関してはmoonさんが詳しい。
 退院後、初の外来。次回の入院の計画は出来上がったが、概算三百万円の実費が必要となる。用いる免疫抑制剤は体重一キロにつき、四万円ほどかかる。わたしは既にそれぐらいの金額を今回の医療に注ぎ込んでいる。一方、医師は治療が目的だから、一千万や二千万円は平気である。そこで、医師と話し合いである。
 仮に今回三百万円出費するとして、それでお仕舞いになるのかどうか、答えは否である、否と云うよりも個体差があって分からないが正確である。どうやら、わたしの身体は金喰い虫になったようである。
 わたしは医師に礼を述べ、これから先の治療を拒否すると告げた。折角の移植手術が無駄になると医師は残念そうな顔付きだった。しかし、決めるのはわたしである。十秒ほど置いて、それが渡辺さんの意見ならそれを尊重するしかない。現在罹かっているサイトメガロウィルスは治さなければならない、大量の薬を頂戴し、次回外来を一日と決めた。
 朝七時に拙宅を出て、帰宅は夕七時、丁度十二時間の迷える病院行だった。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月30日 10:02 | 固定ページリンク




飛脚  | 一考    

 佐川急便が「飛脚」との吟醸酒を株主はじめ関係者に配っている。中身は愛知の関谷醸造謹製の蓬莱泉純米大吟醸「空(くう)」でないかと思う。関谷醸造の酒はしぼりたてと生酒が旨い。特に生酒は貯蔵酒であって、磯自慢の生貯蔵や真澄のあらばしりを想起させる。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月28日 01:31 | 固定ページリンク




白耳義麦酒  | 一考    

 ヒューガルデンホワイトの瓶詰めを久しぶりに飲んだ。ですぺらを開店した際にわが国ではじめてヒューガルデンホワイトの樽生を置いた。西明石のような田舎では評判がよろしくなく、最初に旨いと誉めてくださったのは故太田さんと松友さんだった。同樽生は季節によって香味が変わる。その良いかげんなところが堪らない。日本の金太郎飴がごとき、品質の管理がすみずみにまで行き届いていない。酵母が生きていればこそなのだが、そこが白耳義麦酒の楽しみ方のひとつ。特に酸味と甘味の絶妙のバランスには舌を巻くの他なかった。
 ヒューガルデンは一時期米国資本になったと聞いたが、朝日ビールが取り扱う現在では生産は白耳義になっている。随分と苦み走った香味になり、日本人向けに改造されている。日本のメーカーが代理店になると酒の味は必ず変わる。香味に五月蠅かった太田さんなら、バッカスが宰る飲豪の煉獄でぎょろ目を剥いて居るに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月28日 01:30 | 固定ページリンク




無知の涙  | 一考    

 先日、掲示板で永山のことを書いた。そうすると早速ETVで永山の特集番組があった、奇遇としか云いようがない。わたしは運命論者なので、生まれ落ちることがアンガージュすることにはならないと思っている。サルトル流に云えば、彼は貧乏に生れたのでなく、貧乏に育ったとなるだろうが、そもそも貧乏などという概念が属性足りうるのかどうか。それはともかく、
 永山は多くの兄弟を有し、それらの軋轢もしくは暴力のなかで育った。とても一般でいわれる家庭とはほど遠い環境だった。彼の兄弟には犯罪者が多く、彼は間違いなく貧困者として、犯罪者として生れ、そして育った。犯罪者として育つ前にすでに彼は犯罪者だった。彼は生まれ落ちた偶然性を呪い、生活してゆく上での境遇を嘆き、割り切れない定めとして世の中を憎む。その結果がピストルによる連続射殺事件だった。
 彼は獄中で文筆に目覚め、その文筆から弁証法を倣う。その過程で境遇に対する、生まれ落ちた偶然性に対する抗いがたい理不尽な怒りと悲しみを知る。しかし、骰子は抛げられたあとであって、世の中に対する自らの行為は常に不可逆なものである。もしも、彼が事前に不条理の構造を知り得たとするなら、異なった生き方があったように思う。また、理不尽乃至不条理を理解するに、弁証法のみを武器にしたところに彼の重なる不幸があった。
 わたしは日本文芸家協会への入会問題になんら興味はないが,死刑廃止論議にはいささかの興味をそそられる。自らの行為が不可逆なものである以上、そこには一定の歯止めが必要である。わが国の法制度では無期懲役と死刑とのあいだの乖離が大きい。無期懲役の懲役期間の平均が15年から20年と聞くとその感をより深くする。イスラエルのように、無期懲役が真の意味に於いて無期に近づいたとき、死刑は廃止されるべきと思うが、現状では到底無理である。
 永山則夫、97年8月1日、東京拘置所で死刑執行。泣岐を思い、涙す。

追記
 裁かれるのは加害者であって被害者でない。だからこそ、加害者が犯行に到った経緯、その生い立ち、家族構成、境遇などが吟味される。昨今の裁判で被害者側の意見の陳述が多いように見受けられるが、被害者側の本音は報復判決でしかない。被害者側の意見を加味しての裁判などありえない。このところの厳罰化にもそのあたりの消息は顕著である。繰り返すが、裁かれるのは加害者である、加害者のための裁判を望む。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月26日 02:55 | 固定ページリンク




マックのソフト再び  | 一考    

 アドビの統合ソフトAdobe Creative Suite Premium Macの動作環境はMac OS X 10.2.4 〜 10.3 日本語版となっているが、10.4.11、10.5.8 でもインストール可能。問題なく使用できる。
 所収の
 Adobe Photoshop CS 日本語版
 Adobe ImageReady CS 日本語版
 Adobe Illustrator CS 日本語版
 Adobe InDesign CS 日本語版
 Adobe Reader 6.0 Professional 日本語版
 Adobe GoLive CS 日本語版
 などCSは最初のバージョンだが、これ以後はアクティベーション(ネット認証)が必要。従って、最初のCSが使いやすくて便利。

 OS 9ではATOK14と共に、EGWORD12、egbridge11.8も使っているが、今後はEGWORD/egbridge シリーズ(Universal シリーズもあり)を使わない。日本語入力システムはATOKに統一。そのATOKのパワーPC対応は以下のごとし。
 ATOK 2011 for Mac 動作環境:Mac OS X v10.6~v10.5.8(10.6以降はインテルマック)
 ATOK 2010 for Mac 動作環境:Mac OS X v10.6~v10.5.8
 ATOK 2009 for Mac 動作環境:Mac OS X v10.5~v10.4.11
 わたしが用いていたATOK 17 は2004年製、Mac OS 10.4.11 と Mac OS 10.5.8 を併用するなら上記 ATOK 2009 を、10.5.8 に完全移行するなら ATOK 2011 がお薦めだが、取敢えず、ATOK 2009を使うことにした。
 ATOK 2009は辞書が充実、単漢字情報などが出てくるのだが、これは行き過ぎ、わたしには五月蠅いだけ。同音語用例なども出てくるが、こちらも同様に不要である。環境設定でどうにでもなるが、辞書は辞書で大量にパソコンに入れてある。日本語入力システムの辞書機能を充実させるなら語彙を増やす方が遙かに役に立つのだが。許せないのは顔文字パレットが追加されたこと、バカにするなと即刻削除。
 ATOKに関しては、OS X へ移行してからは辞書はともかく変換の癖は一切読み取らない(読み取ると書いてあるが)。従って新しくなっても使いにくくなるだけなのだが仕方ない。OS 9 のときのシステムの方が使い込んでいただけあって良くできていたように思う。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 15:44 | 固定ページリンク




いまさらcube  | 一考    

 マックのキューブを買った、当然OS 9が動くからである。ついでに1.2GMHzのCPUと1.5ギガのメモリも買ったのだが、なんと1ギガのメモリが新品で1700円である。ディスプレイカードが16MBなので32MBに換装。64MBはなんと10000円もするが、32MBは1000円。DVDドライブは500円。ちなみに、黒姫の最後のパソコンはキューブだった。
 Mac OS X 10.5.6(PCマックで動く最後のソフト、ただしクラシック環境対応せず)、ATOK 2009 for Mac、ユーティリティー・ソフトのDiskWarrior 4.2とTECHTOOL PRO 5.0.4、それと統合ソフトのAdobe Creative Suite Premiumを購入した。
 ユーティリティー・ソフトは非常用だが、結構役に立つ。USBメモリをパソコンに差したまま10.5.6をインストール、USBメモリは壊れてしまった。その修理を簡単にやってのけた。
 ハードディスクとDVDドライブはパソコンのなかで唯一の消耗品、寿命がきたら取替えるしかない。ところで、マックの窓口は素人集団、あのようなところで修理を頼むと火傷を負う。

 Adobe Creative Suite Premiumには以下のソフトが這入っている。
・Adobe Photoshop CS 日本語版(Adobe ImageReady CS 日本語版を含む)
・Adobe Illustrator CS 日本語版
・Adobe InDesign CS 日本語版
・Adobe Reader 6.0 Professional 日本語版
・Adobe GoLive CS 日本語版
・Adobe GoLive Co-Author
・Version Cue ファイルバージョンマネージャ
 この内、インデザインは使ったことがない。ただし、イラストレーターが多少なりとも使えるのであれば大丈夫といわれて購入した。
 最もよく使うファイルメーカープロも最新ではないが上級バージョンを入手、クラシック環境最後の6と OS X 専用の7を購入。ついでにファイルメーカープロに付帯するソフト数点(Bento他)を購入。エクセルよりもファイルメーカープロはうんと軽い、項目が増えれば増えるほどさくさく動く。これがなければ数万種類に及ぶ酒のデータ処理はできない。ファイルメーカープロとフォトショップは共に1.0から使っている。最初は簡単なソフトだったのだが。
 moonさんからパソコンを触るなら書き込みに精をを出せと叱られたが、レガシーマックはわたしの楽しみ。インテルマックならウインドウズを使う方が合理的で、どうしてマックでなければならないのか。ずんと遅れて10.4.11だったのだが、ブラウザが扱いにくく、これでやっと10.5に生まれ変わった。
 それにしても、ソフトは高いがハードとしてのパソコンはデフレの世界にどっぷり浸っている。1万もしくは2万円もあれば、最新のパソコンが出来上る。ハード、ソフト共にわたしが購入するおそらく最後のマックになると思う(次回はウインドウズ)が、とにかくパソコンは頑丈である。LC475から十数台のマックを使いつづけて最近はBookが多いが、ただの一度として本体が壊れたことはない。

追記
 キューブのDVDは不良品だそうである。ミニ同様、スロットローディングはよく毀れる。車でもパソコンでもなんでもそうだが、早く組み立てたいが入院中ゆえどうにもならない。弄くっているあいだが一番たのしいのである。
 Mac OS X 10.5.6はG4用(PC用)を買ったが、機種によってはインストール不可。10.4のときもそうだったが、マックのシステムは機種によって細かく別れている。製品版の互換性がもっとも高いが、値も高い。さて、どうしたものか。余談ながら10.7にはリテール(製品)版がない。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 15:42 | 固定ページリンク




ナビレーダー  | 一考    

 意気揚々と出掛けたが、結果は意気消沈とは外泊のこと。遊びに出掛けたのでなく、また女人に惹かれてのことでもない。パソコンと車という大人の玩具に魅せられてのこと。つまりは遊びである。
 ユピテルのナビを買った。ユピテルはレーダーメーカーである。同社のGPSには全国最新のオービス情報が収録されている。警察の取り調べで捕まることはないが、オービスでは見事に捕まる。そこでナビの登場である。画面、要するに地図はどうでもよいので、4.5インチの小さいのを買った。スマホと同じ大きさである。前回は7インチのワンセグ付きだったが、それでも見られないことに違いはない。通常のテレビの字幕すら見られないのに、小型のモニタに写る図が識別できよう筈もない。仮にそのようなものを見ておれば事故を起こすに違いない。要するに、わたしにとって機能としてのナビなんぞ、どうでもよいのである。オービスが近づいた折にサイレンでも鳴らして知らせてくれればよい。
 そのナビに嵌め込むレーダーがあるのに気づいた。全国の道路に埋め込まれたオービスと取り締まりのレーダー波の双方を検知する優れものである。これは買わない手はない、しかし値が張る。ところが4.5インチのような小型に需要はない、と見た。読みは的中、音はでかいが可愛いナビがダッシュボードに鎮座する。
 夕べ、ナビレーダーをはじめて使った。怖ろしいほどの優れもの、一押しである。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 15:36 | 固定ページリンク




ボルボの車検  | 一考    

 乗れば乗るほど嬉しくなる車、ボルボにやっと馴れてきたものの、スイッチの数が多すぎてどうにもならない。先日は夜であるにもかかわらず、ダッシュボードが突然真っ暗になった。車内灯をつけてことなきを得たが、ちょいと周章てさせられた。
 おそらく前照灯のスイッチの接触不良だと思う。ボルボ解説の二枚組DVDは頂戴したのだが、ハイブリッドにあらず、ウィンドウズ専用でマック党の役に立たない。
 ショックとサスはがちがちに固められている。国産車のような乗心地優先の軟弱なショックとは次元を異にする。昔、チェーサーのターボ車に乗るに際し、ショックやサスをはじめ足回りをことごとく履き替えたのを思い出す。片方で一千万円の車を拵え、さらに片方で百万円の車を造る、これでは手を抜かずにできるわけがない。正規品というものが如何に役に立たないかを思い知らされる典型である。
 車検には20万円ほどかかったが、自動車税を減免されてこれである。最初の車検収得は費用がかかるもののだが、それが分かっているのでブレーキの換装は次回に見送った。ブレーキパーツの代金だけでも16万円はする。キャリパーが8万円、ローターとパッドで8万円。工賃を入れると重量税その他の車税はおろかブレーキ代だけで、今回の車検代と等しくなる。
 計量によると後輪の左は150、右は100とぎっちょんちょんである。性能に大差が出るわけでないので我慢している。
 それにしても、良く走る車である。一般道で追い越しでちょいとアクセルを踏み込むと立ちどころに140,50キロになる。それほどにスピード感がない、要注意である。

追記
 前照灯のスイッチの接触不良と書いたが、ボルボのウッドのダッシュボードは分解が大事である。スイッチの単価(13000円)は安いが工賃が心配、とはいえ、あれは自分では出来ぬ。
 大宮から春日部にナンバープレートが代わったのに伴い、障害者用ガソリン券も変更。身障者がスピード違反を犯しては申し訳がないのでナビレーダーを購入。これって発想が逆かも。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 15:34 | 固定ページリンク




いろいろ  | 一考    

 OS X のライブラリーの Desktop Pictures のなかに Black & White とのフォルダがあって、モノクロの写真が収録されているが、気に入っている。こういうのを見ていると横須賀さんの写真を頂戴しておくのだったなと思う。資生堂の宣伝写真だが、身の毛がよだつモノクロ作品が多く含まれていた。
 TechTool Pro 5.0.4のサーフェーススキャンは時間がかかる。不正なブロックを見つけるらしいが、病院へ持ち込んだiBookのHD250GB上のブロックをスキャンするに7時間を必要とする、ノートンの悠長な様を思い浮かべる。切るに切られないので捨て置き、書き込みに耽っている。二度とTechTool Proは使うまい。
 明日で茶が切れる、車があるときに二度ほど大量に運んだが、毎日2リットルだからすぐなくなる。このところ尿量は1.8から1.9で、規定量に達していない。ずっと烏龍茶だったが、移植手術を受けてからは日本茶を嗜んでいる。それも腎機能復活が前提条件なのだが。今回はどこで仕入れようか。(突然、退院となり杞憂に終わった)
 病院では平気だが、拙宅へ帰ると無性に煙草が咽みたくなる。今回の禁煙もすでに四箇月を超す、なか二週間を除いて計八箇月の禁煙である。にもかかわらず、咽みたくなるとは。畏るべし、下手な薬物より習慣性が強い。覚醒剤と共に習慣すなわち滅びゆく日常生活の怪物、謂わば鵺のようなものだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 09:36 | 固定ページリンク




名無しのさかな  | 一考    

 病院の日曜日の夜食(よるしょく)はみそ漬焼、まだ、名無しのさかな料理がつづいている。拙宅へ戻った土曜日の夜食はカレーとかで頗る人気があったらしい。爺さん、婆さんであってもカレーが持て囃されるとは不思議な気がする。隣の爺さんがピーマンが嫌いらしく、看護師にピーマンを抜けと小言を云っている。ピーマンが嫌いなのは子供の筈なのだが。その横の爺さんは牛乳が苦手らしく、ヨーグルトに取替えろと文句を云っている。あきれた老人たちである。本来非日常であるべき病院へ日常を持ち込んでいる。70歳代や80歳代ですら好き嫌いが口の端にのぼるとは。食事の世界でも世代交代が進んでいるのだろうか。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 09:34 | 固定ページリンク




追加書き込み  | 一考    

 水曜日、退院前にに三度の血液検査を済ませる。問題多発、サイトメガロウィルス再発、喉がいがらっぽく、肺上部に重みがある。微熱はないが、自覚症状有り。サイトメガロウィルスの抗体はすでに出来ているので大きな心配はしていないが、クレアチニンは下がるまい。それにしても、この時点でのウィルス感染は困る。医師もまた頭を抱える。にもかかわらず、退院強行。
 月曜日に血液検査の結果について話し合う予定。どうするかはその結果待ち。

 今回の医療費は138089円、保健医療適用外がこの金額になる。保健医療は高額医療費なので35400円の上限が請求されている。それ以外ということになる。帰りに役所へ趣き、医療費だけの生活保護について話し合うも不可能と云われる。入院はあと二度ほど続くのだが、これは問題が生じる。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月25日 09:31 | 固定ページリンク




一旦退院  | 一考    

 水曜日にひとたび退院となった。退院とすべきか保釈とすべきか。クレアチニンは2.0、(高値安定)となった。このままだと慢性の拒否反応となり、決してよろしくない。明日、もう一度、わたしの体内にあるドナーへの抗体の有無とその状態を女子医で調べる。医師は週末に女子医にて相談、来週月曜日の血液検査の結果で再入院を図る。もう一度、メドロールの点滴治療を試みるようである。
 以上が本日の決定事項。何時までも入院させておくのも残酷とかで、(有罪放免)である。有罪でもなんでも佳し。これでパソコンが組まれるのとソフトのインストールが出来る。大人の玩具の起動である。いよよ、愉しかりけり。
 (この項目追加有り)


投稿者: 一考      日時: 2012年10月24日 18:41 | 固定ページリンク




考えさせられること  | 一考    

 入院はあと十日から二週間かかりそうだが、今週の一週間でなんらの結論が出ると思う。出てもらわないと困る。
 それにしても医師は非日常の、謂わば達人である。拙宅に用事があるというと、どんな用事なのか、その用事と腎臓とどちらが大事か、と問いかけてくる。彼は何時も手術をしていて、患者のあいだを走り回っている。その過程で医師としてのぎりぎりの生き方を、最終的な価値観を自ら描いている。言い換えれば、非日常の頂点たる医師そのものを生きている。例え三人の子供を儲けたにせよ。そして、それは患者にも跳ね返る。おそらく、逆らう患者はいないだろう。
 どうやら、わたしが生活を気にするのが理解できないといった風情である。その度々にわたしは保守的になったなあ、との思いを抱く。こんな筈じゃなかったのに、どこで間違えたのかしら、もしくは老いてしまったなあ、と。
 人は若ければ若いほど、非日常を生きる。わたしもかつてはそうだった。生活なんぞ、他人任せだった。大体がどうでも良かった。唯々、がむしゃらに生きる日々があり季節があった。今回、瀬戸口医師を視て、わたしは惘然として自失している。もう一度、人生をやりなおそうか、と。
 六十五歳になって久し振りに孤独と向き合うひとと出遇った。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月24日 18:36 | 固定ページリンク




かきや  | 一考    

 「かく」(動カ五[四])「掻く」と同源。体内にある汚いもの、好ましくないものを外に出す。「走ったものだから汗を—・いた」「大きないびきを—・く」「人前で恥を—・く」

 戦後、青線にて「かきや」もしくは「掻き屋」という商いが流行った。「マッチ一本擦る束の間の快楽」からマッチ売りの少女とも呼称された。この赤線、青線というのはそこに立つ女が公娼か私娼かで決められたが、劃然と区分けされていたわけではない。戦後は双方が入り乱れ、赤線のあるところには青線があり、他の色線もあった。
 戦後のことゆえ、この掻き屋の掻く対象を蚤や蝨と勘違いなさる人がいるやもしれず、対象は十数センチあったことを記しておかねばならない。蒼い夜空めがけて迸る白い稲妻、抛物線あるいは双曲線を描く真珠の切り口、円錐曲線の屈折・透過する白い光、そうしたものを日々一所懸命に掻き出す為事であった。
 前述のマッチ売りの少女には異なる意味も付与されていた。マッチ一本燃えている間に陰部を照覧、その勢いをかって白いものを飛ばすという著しく能動的な商いである。かきやのマッチ売りは手を添えて相手が飛ばす手伝いをするという、客にとっては受け身のそれであった。
 つれづれなことを消(ショウ)すにマスを掻くは一番の代謝、往事はマスを掻く御仁多くありてかきやの商いも繁盛せりという。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月21日 11:10 | 固定ページリンク




駅構内  | 一考    

 このところ、何度もバスと電車で病院と拙宅を往復。一向に慣れない、その理由は休憩できる場所が極端に少ないから。通勤や通学で使っている人は休憩の要ががないからなんとも思わないのであろう。病人や障害者にとっては東京の交通機関は地獄である。
 まず、30分立ちっぱなしというのが無理なのである。ところが三郷のバス停からして、椅子やベンチは設けられていない。そしてバスは30分に一本である。松戸駅はホームに僅かだが椅子はある、しかし駅の構内に椅子はない。日暮里駅にも僅かに椅子はあるが、わたしが乗り換えるホームにはない。次は赤羽駅だが、松戸駅と似たり寄ったり。最後の戸田公園駅だが、ホームにはあるが、構内には一切設けられていない。駅から病院までは4,5分、雨天でなければ公園があって座るところはある。その4,5分にわたしは15分をかけている。
 気づいたことは構内で休憩する場所は一切設けられていない。これはきついと思う。みなさんは急ぎ足でひたすら歩いている、まるで軍隊蟻の行進である。誰かが止まると流れに異変が生じる。わたしはどこであってもべちゃっと地べたに座る。ヤンキー座りでなく、梓みちよ座りである。そうでなければ身体が持たない。今日は逆方向だが、田端駅で30分ほど動かれなくなった。諸外国はどうなのであろう。
 過日、山形へ行ったが、駅という駅にはことごとく休憩所があった。山形駅の休憩所は喫茶店なども併設され、かなりな広さをもっていた。もっとも、東京駅に休憩所があるのは知られているが。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月20日 12:46 | 固定ページリンク




思案投首の体  | 一考    

 病症が安定しないのが入院の理由。クレアチニン、体重、尿量の安定を指す、特にクレアチニンである。腎臓と退院のどちらが大事と切だされれば二の句が継げない。わたしはやはり病人なのか。一時は入院の強制終了も考えたが、医師と悶着を起こしたいわけではない。
 医師に特別な処方があるわけでない。もう少し、安定するまで様子をみようとのこと。そのためには外泊はおろか、外出すら控えろと、こちらはそれとなく示唆する。それを無視して土曜日は帰るが、医師の軍門に下るしかあるまい。
 最短十日間の延長、これで入院は二箇月を超えた。来週は点滴による新たな診療を試みる。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月20日 12:28 | 固定ページリンク




熱帯魚  | 一考    

 拙宅の干物は出自の明白なものばかりである。とは申せ、魚の見場が熱帯・亜熱帯産であろうがコーラルフィッシュであろうが、わたしは委細構わない。気にしないどころか、面白がるに違いない。温暖化によってこれからはそうしたケースが増えてくるからである。そして、わたしが娯しむのは魚の文様と味のコントラストである。
 日本人はいつ頃から食する魚の色を赤、黒、銀、灰と決めたのか。それだけを考えても、琉球の文化は日本のそれとはまるで違っていたことが窺い知れる。ベラとブダイのごく一部を除いて、日本人は箸を触れようともしない。モンガラカワハギやフエダイ、あとウツボ類に手を出すのはスキューバダイビングの心得のある人に限られる。

 註・1872年(明治5)の琉球藩設置から79年の廃藩、沖縄県設置にいたる明治政府の一連の措置を琉球処分というが、その過程で、形式上日清両属だった琉球王国は滅亡し、日本に併合される。この武力による併合に結論は出ていない。そして異議を申し立てたのは琉球人にとどまらない。清国もまた・・・。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月20日 12:27 | 固定ページリンク




居酒屋  | 一考    

 カラオケ居酒屋を開店すると書いたが、年内に明石でオープンする。明石駅のすぐ根際の大明石町である。現在は焼酎の店だが、焼酎プラス清酒の店にする。ビールはアイリッシュだが、なにを置くかは思案中。ウィスキーは置きはするが、基本扱わない。ワインは酒にあらず、酢か味醂に属するので、こちらも扱わない。要するに普通の居酒屋である。もっか駐車場を探している。
 わたしは料理当番で、魚がメインのかつての(明石時代の)ですぺらのごときちゃらんぽらんな調法に明け暮れる予定。いっそ世界の煮魚とか世界の白身魚フライ盛り合わせでも置こうか。カラオケと同じく一品百円。而るにカラオケ居酒屋である、唄うに決まっている。
 焼酎はブランド品は扱わない、小泉の規制緩和によって誕生した二千に及ぶ無名の蔵元の頑張りを評価したい。特に宮崎と鹿児島では小さいが、力(りき)の這入った焼酎が次から次へと生れている。以前の岩倉酒造のようにエールを送りたい蒸留所の五つ、六つは生れている。今、もっとも新しい酒の世界が展開されようとしている。わたしなどは新しいものにこそ興味を抱く。

追記
 金町で新規オープンの予定だったが、別に金町であろうが明石であろうがわたしには同じである。それと大事なことをひとつ。死期が近づいてきたようである。12月にわたしが生きながらえての話しである。店は1月にずれ込みそうである。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月20日 12:26 | 固定ページリンク




魚のグローバル化  | 一考    

 「久しぶりの病院食、お浸しと魚の煮付けか甘酢煮の繰り返し」と書いた。今回は甘酢煮、酒蒸、照焼、みそ漬焼、中華風、ソテー、ホワイトソース添などと調法を記して肝心の魚名は記載がない。何時かこうなるのではないかと思っていたが、やはり魚名は消えた、どころか魚とすら書いていない。
 例えば、ベラは沖縄から関西まで食するが、東京は熱帯魚みたいとして水族館の人気者だが原則食さない。同じ伝で東南アジア産の魚を東京人は一切食べない、これは表皮を見たら食べないのであって、見なければ食している。歌舞伎好きが派手な魚を忌嫌うのはどのような理由によるものか。
 地域地域で食べる魚、食べない魚がある。ちなみに学校や病院の給食に用いる魚はベトナム、フィリピン、タイ、マレーシアなど東南アジア産がほとんどである。その理由は小骨に到るまで完全に取り除くところにある。これらは魚名を付けないのではなく、つけようにも付けられないのだと思う。地元の名称を用いても混乱するだけ、ならばいっそ「骨なし魚」とか「白身魚フライ」というような商品名の方が通りがよくなる。過日、鯵のフライを「骨なし魚」として売っていた。「骨抜魚」でなく「骨なし」である。どうやら一部の地域では骨がない新種の鯵が捕れているようである。
 その白身魚フライだが、メルルーサ、ティラピア、ナイルパーチに混じって、背の青い魚であっても、身が白ければ白身魚になるようで種目が入り乱れている。国民は混乱していないのだが、業界だけが混乱している。なんだか、アフリカの海や川には白身魚という魚がうようよ泳いでいそうである。もっとも、この白身魚昨今では太平洋から大西洋に至る世界の海(海に限らないが)で日本の商社が血眼になって追っかけている。のり弁当に使うのか、聞くところによると、クロマグロやミナミマグロのそれを上回る争奪戦のようである。
 それにしても、病院では意地を張っているのかと思うぐらい、煮魚がつづく。なかには不味いものがあって困惑させられるが、それも愛嬌。一切れ10円20円という値段で骨を抜いた魚が食べられる。この際、名称に拘らず、大いにグローバル化に肖ろうではないか。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月20日 12:25 | 固定ページリンク




戻り鰹  | 一考    

 鰹は夏に黒潮と親潮とがぶつかる三陸海岸沖まで北上し、秋に親潮の勢力が強くなると南下する。夏の到来を告げるその年初めての鰹の水揚げを初鰹、南下する鰹を戻り鰹と呼ぶ。戻り鰹は低い海水温の影響で脂が乗り、北上時とは異なる食味となる。
 その戻り鰹と黄肌鮪(共に生)が安い。身四分の一の短冊が200円で購える。さらに安価になったのが鯖と秋刀魚で、鯖は大一匹が180円、秋刀魚は70円代へ下がった。鯖はマサバとゴマサバがあって、一切れ20円ほど。生海胆は200グラムの木箱が1300円、50グラムの木箱が380円。他にも甘藍、大根、ピーマンなどは50円を切っている。高値なのは白葱ぐらいなもの。物価のデフレは良いのだが、甘藍や大根のようになると輸送の箱代の方が高く付く、これでは生産者が堪らないだろう。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月20日 12:18 | 固定ページリンク




塩害  | 一考    

 病院の売店で松屋がさまざまなファーストフードの販売をはじめた。牛丼からカレーなどである。売れ行きは良好だが、これは良いアイデアだと思う。栄養士が管理した病院食以外に飯を食うことが良いかどうかとの問題はあるが、腹が減った人には格好の食い物である。ただし、松屋の食事はファーストフード店のなかではもっとも味付けが濃厚、カレーなんぞ、まるで塩のかたまりである。ひょっとして、戸田中央との病院の特殊性もしくは地域性を考慮して腎臓病向けの味付けに注意が払われているなら納得がゆくのだが。現実には味付けが濃厚であれば濃厚なほど、人口に膾炙する。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:33 | 固定ページリンク




カツサンド  | 一考    

 病院の売店のカツサンドとクロワッサンとメイプル・ラスクが滅法旨い。ところがクロワッサンの方は滅多に見掛けない。今日は久しぶりに入手、幸運である。
 このなかで味付けからもっとも遠い存在がカツサンドであるまいか。豚肉の質、揚げる油種と温度、油切りぐらいなもので、他は似たり寄ったりである。ベーカリーの技術がものをいうとは思われない。ところが、このような単純な食い物ほど実は味の違いが出てくる。
 まず、売店のカツには肉そのものに雑身がない。ヘレでなくロースを使っているが、きれいに油身を除去している。つまり肩ロースなどは使っていないのである。そして回し取りをしていない。一挙につくっているから揚げ方に斑が生じない。それらが成功の一因である。魚の甘酢煮とカツサンドとは奇妙な組み合わせだが、値は250円。お気に入りである。ちなみに、拙宅の近くのベーカリーは450円だが非常に不味い。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:32 | 固定ページリンク




珈琲各種  | 一考    

 アルミ罐に這入ったブラックコーヒーだけで、ボス(サントリー)、タリーズ(伊藤園)、UCCの三種類が売店で売っている。きっと他にもあるに違いない。中身の識別はわたしにはかなうべくもないが、おそろしく不味い。よくぞ、これだけひどい豆を揃えたものである。UCCなどもっと競いようがありそうに思うのだが、芸のないことこの上なし。
 大体、珈琲なるものは資本主義社会の標本のようなものである。寡占化の見本と言い換えてもよいし、搾取の、または民族蔑視の典型と云ってもよい。生産者価格と末端価格にこれほどの差があるのは麻薬と珈琲ぐらいなもので、比して煙草の生産者はまだ守られている方である。
 珈琲がなぜこのような飲料に化けたかについてはしかるべき歴史学者がいくらでもいる。ただ、珈琲愛好家は民族が血で贖った飲料だということを忘れてはならぬ。

追記
 ブラックコーヒーの味の順だが、書いた順に不味い。後ろほどましと云うこと。ましであって決して旨いとは云っていない。酸味が利いているのは伊藤園、珈琲というものがまるで分かっていないのがサントリー。生産者と販売者のどちらに責任があるのか分からないが、共犯と捉えるのが順当。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:31 | 固定ページリンク




 | 一考    

 病室の向かいのビルの屋上に大きなクレーンがある。何時もは風任せで、西を向いている。今日は風が逆、クレーンはどうなるのか見守っていたところ、30度回転して止まった。どうやらストッパーが付いているようだ。わたしは移動式クレーンの免許は持っているが、固定式クレーンの免許はない。従って固定式のシステムに暗い。あれは顛れなくていいなあ、と思いつつ眺めるばかり。移動式には車や列車、船があるが、倒れたり、フローティングクレーンなら顛覆沈没する。その分、移動式は3000噸といった超巨大なものがある。「倒れたり、沈没する」と書いたが、一度のミスも許されない世界である。事故が起きれば会社は馘になり、免許は取り消される。
 ところで、クレーンのことはどうでもよい。わたしの病状にストッパーはあるのだろうか。生理検査の結果待ちがつづく。いまひとつの方法もやはり免疫抑制剤の点滴、連続しての入院だけは止めてほしい。今週末で17日になる。移植手術を合わせれば47日の入院になる。どうあっても今週末は退院するが、次週の二週間を加えれば、二箇月の入院になる。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:29 | 固定ページリンク




氷の味  | 一考    

 病院から富士山が見えると聞かされて数箇月が経つ。今日はじめて富士山が見えた。見えたのは富士山、従って見えたからと云ってどうこういうことはない。多田智満子さんの娘の名は摩耶、神戸の加藤邸の裏山が摩耶山だが、摩耶との名はここからきた。こちらは名称が美しい。
 富士山より、利尻富士や羊蹄山の方がわたしには馴染みが深い。図体以外、富士山に魅力はなにもない。どうしてあれが日本を代表する山なのか。尖閣諸島のおまけとして付けてやればよい。立派なおまけとして重宝されるに違いない。
 国境ごときでなにを右往左往しているのか。今は間氷期、氷河に蔽われれば海も島も見定めがたくなる。同様に、氷河に蔽われれば温暖化によって破壊された筈の環境はどうなるのか。省エネは、原発はどうなるのだろうか。その原発が埋った氷河を国民総出で買い漁ろうと云うのかしら。部署部署で、氷の味でも違うのかしら。否、人は生きているのかしら。もし、死に絶えでもしていたら、地球はそれこそ美しいに違いない。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:28 | 固定ページリンク




長生  | 一考    

 お喋りな看護師がいて、移植後クレアチニンの悪化で入院中の患者について聞かせてくれた。個人情報とやらで、誰とは教えてくれないが、体調は佳いにもかかわらず入院が続き、はや一箇月と。わたしは三年の透析を経ているので、クレアチニンの最小の値が1.3というのは低い部類に属するらしい。透析中は14から18ぐらいはあった。
 低い部類に属するとは云え、1.0以下でなければ満足な生活は営まれない。それ以上だとたちどころに末期腎不全に罹ってしまう、既に罹っているのだが。おそらく、1.0未満でよほどこころして塩分制限食のみを頂戴し、うまく推移して10年は生きると云ったところか。わたしのクレアチニンは2.0、これでは三分の一も持たない。いささか酷い状態に陥りつつある。
 と云うことを気にしてもはじまらない。どうして長生きしなければならないのか。そのための入院なんぞ、いしだあゆみならどうする。永田耕衣も種村季弘も二百まで生きると宣っていたが、あれは質の悪い冗談。三分の一結構、三分の一あれば他人の三十倍の人生を生きられる。これから三十倍もの人生は考えただけで蒙御免。必要なら一週間で結構、moonさんと極上のウィスキーを聞こし召すべし。

 それにしても、診療拒否を医師は怒るに違いない。さて、いかに・・・。


投稿者: 一考      日時: 2012年10月18日 11:27 | 固定ページリンク




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