ですぺら
ですぺら掲示板2.0
2.0








オーロラソース  | 一考    

 病院のオーロラソースについて苦言を呈しようかと思ったが、そもそも高級と名の付くレストランでオーロラソースを旨いと思ったことがない。香辛料についての知識が浅薄なのである。そして病院のそれは香辛料など月並みなものしか使っていない、それを云々するのは可愛相。洒落たつもりだろうが、よく分からない料理に手は出さない方が良いに決まっている。
 オーロラソースのオーロラは極光(白色)でなく、ローマ神話の曙の女神アウロラからきてる。ホメロスの叙事詩にいう「薔薇色の指をもてる」「番紅花(サフラン)色の衣をまとえる」女神である。
 病院では花甘藍(カリフラワー)をよく使う、それが理由でサフラン色にしたいのだろう。オーロラソースの基本はマヨネーズ大6、ケチャップ大1、生クリーム大1、ブランデー小1、檸檬汁小1、タバスコ少々、ウスターソース少々。スパイスはセロリ、タラゴン、デイル、オールスパイス、パセリ、カエンペッパー、ファインハーブ、胡椒、塩から選択。
 序でに、カリフラワーは塩と小麦粉同量を加えて茹でる。茎を上にして落とし蓋、硬く絞った濡れ布巾を2枚被せたまま冷ます。市販のマヨネーズを用いるときはどんなときでも生クリームと少量の砂糖が必要、嘘のように旨くなるのでお試しあれ。
 オーロラソースは元来がサラダ用のソースだが、いっそ和風で酢味噌、梅肉和え、すき焼き風味の方がよほど美味だと思うのだが、いかが。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月05日 08:17 | 固定ページリンク




種物  | 一考    

 岩手県陸中海岸の腹子蕎麦について書きたくて稿を起こした。
 岩手県南部の鼻曲がりの鮭は有名だが、三陸沿岸を遡上する鮭の腹子をかけ蕎麦に上置きした郷土色豊かな種物。手がやっと這入るぐらいの熱い湯で筋子の表皮(この表皮がもっとも生臭い)をとり、ぱらぱらにほぐしてイクラにしてから蕎麦の上へ配う。暖かい出汁を入れるが、イクラがちょうど半熟になるように仕上げる。生臭さを除去するために軽く白濁しない程度の温度が良い。温度が高いとイクラは白く濁って臭みが出る。低いと生のままで、違った意味で生臭い。そのところの兼ね合いが難しい。

 汁蕎麦にいろいろの具を配ったのが種物で、加薬(かやく)蕎麦とも呼ばれた。ただし、月見かけ、納豆かけ、おろしかけ、狸かけと呼称した。幕末ころまでに花巻き、霰(あられ)、天婦羅、卵とじ、鴨南蛮、おかめなどが売り出された。花巻きは焼海苔、霰は馬鹿貝の柱をのせたもの、鴨南蛮の南蛮は葱のことである。おかめは結び湯葉、蒲鉾などの具を上置きしておかめの面をかたどったもので、卓袱もほぼ同じものである。
 地方の名物蕎麦には、青森県の津軽蕎麦、岩手県盛岡の椀子蕎麦、福井県のおろし蕎麦などが知られ、身欠き鰊を巧みに生かした京都の鰊蕎麦も独特の風味をもつ。そのほか蕎麦切りの食べ方としては、蕎麦鮨、蕎麦サラダなどがある。
 調べただけでも33種類の現行の加薬蕎麦があって、なかには奇想に属するものあり。そのうちに紹介する。

 下記の麺類雑学辞典はお薦め。
 http://www.nichimen.or.jp/index.html


投稿者: 一考      日時: 2013年04月05日 08:15 | 固定ページリンク




嘗物2  | 一考    

 嘗物(なめもの)は、塩辛、醤(ひしお)、嘗め味噌など半固形体の副食物の総称。醤は古くは比之保と書いた、味噌や醤油の祖型。戸田中央総合病院では粥に醤や嘗め味噌を入れて食べたが、これは昔からよくある食し方。
 前項の北京味噌は北京ダックに用いる北京味噌でなく、通常の焼き味噌に大蒜を加え甜麺醤を入れて甘くしたもの。それを浅い盃(さかずき)に塗り付けて炙る。

 なお、魚醤(ぎょしょう)は醤から発展したもの。わが国では秋田の塩汁(しょっつる)、能登の魚汁(いしる)、香川のいかなご醤油、広島の牡蠣醤油、北海道の鮭醤やほっけ醤油、熊本の隠しあじの達人、南知多町豊浜のしこの露、新潟の南蛮えび醤油、大分県日田市や秋田県横手市で開発された鮎魚醤などが知られる。南米や南欧のアンチョビーソース、ベトナムのニョクマム、タイのナンプラーなども魚醤に含まれる。

 醤と嘗味噌について書いたので、味噌と醤油の関係について一言。
 江戸の頃まで醤油は庶民にとって大変貴重な調味料だった。醤油が普及する以前は、酒と鰹節と梅干しでつくる煎酒(いりざけ)で刺身を食べた。他方、蕎麦を食べるときは、現在の醤油ベースのめんつゆでなく、味噌から作る煮貫(にぬき)で食べていた。
 江戸っ子は外皮や甘皮も除去したぬき実を製粉した白い蕎麦を持て囃した。魚や鶏肉に熱湯をかけて霜降りにするのも灰汁抜きが目的だが、蕎麦の実も徹底的に灰汁抜きして嗜むのを粋とした。いわゆる一番粉のことで「さらしな」とも呼ばれる。
 原料ソバは石臼にかけてゆっくり挽くが、粉の歩留りは70パーセントほどである。歩留りを高くするほど粉は黒くなるが、風味はかえって良くなる。一番粉や二番粉とは別に挽きぐるみがあって、外皮をとっただけで全部挽くか、外の殻まで一緒に挽いたもので、色が黒くごつごつした感じである。出雲蕎麦や出石蕎麦などはそうした蕎麦粉が使われる。江戸っ子は見て呉れにこだわり、繊細な香りには一顧だにしなかった。
 「料理物語(1643)」には生垂(なまだれ)、垂(たれ)味噌、煮貫の名が見える。生垂は味噌1升を水3升でといて袋に入れ、滴り落ちる液汁を濾したもの。垂味噌は「みそ一升に水三升五合入せんじ三升ほどになりたる時ふくろに入たれ申候也」とあって、3升ほどに煮詰めて生垂同様に濾したもの。煮貫は生垂に大量の鰹節を入れ、煮たてて濾しとったものとされる。江戸時代の料理書には「常の如く」とか「よき加減に」などとあり、分量など詳細については書かれていないことが多い。それこそ常の如し。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月04日 14:57 | 固定ページリンク




嘗物の梅びしお  | 一考    

 低残渣食に嘗め味噌は付きもの、塩味のない粥を食べるに必要なのかもしれない。緊急入院3追記15で梅醤(うめびしお)について触れた、そこで一言。
 梅醤に似たものに梅が香、梅醤油(うめじょうゆ)がある。
 梅が香は梅肉を裏漉しして大量の鰹節と合わせ、少量の醤油と酒で味を整えながら伸ばしたもの。懐石にも使われ、ですぺらで人気の肴だった。「合類日用料理指南抄」(1689)に掲げられている。
 梅醤油は通常云う梅肉のこと。塩抜きした梅干しを裏漉しにかけ、醤油を加え酒で伸ばす。鱧の湯引きの他、さまざまな魚貝類や野菜などの和え物に用いる。一部の地域では鱧に酢味噌を用いるが、あれはもっての他。
 梅醤は塩抜きした梅肉に砂糖を入れてジャム状にしたもの、江戸時代に愛好された。同様のものでは鉄火味噌、鯛味噌などが知られる。

 鉄火味噌は江戸の庶民が愛好したもの。江戸時代すでに鮪は定置網漁業の発達によって庶民の食べ物だったが、それとはまったく関係ない。鉄火味噌の鉄火とは鉄火場の雰囲気を唐辛子の辛さでもって表現せしもの。大豆、刻み牛蒡、麻の実などを胡麻油で炒め、赤味噌、砂糖、味醂、生姜、赤唐辛子の微塵切りなどを加えて練り上げる。
 江戸の鉄火味噌に呼応するのが京阪の鯛味噌と桜味噌。鯛味噌は鯛を蒸してほぐしたそぼろを、砂糖、味醂などで味をつけ、味噌を加えて練り上げる。最後に水飴と片栗粉を加えて仕上げる。大坂の料理屋八百源の売り出し。現在では市販品の多くが鱈、竹麦魚(ほうぼう)、鰈などの白身魚を用いる。桜味噌は牛蒡、生姜などのほか水飴や砂糖を加えた甘いもの。
 江戸後期の三都に共通して見られたのは径山寺(きんざんじ)味噌で、嘗味噌(なめみそ)の代表選手。煎った大豆を挽き割り、麦麹と塩を合わせ、塩圧した瓜、茄子、生姜などを刻んで混ぜ、さらに茴香、山椒、紫蘇などを加え,密封して3箇月ほど熟成させる。風味のよい赤褐色の味噌である。「金山寺みそは紀州若山金山寺の名物にて、江戸に流行出しは享保年中よりとなむ」と「嬉遊笑覧」に書いてある。享保は他の文献で調べても正しいが、和歌山に金山寺という寺はない。
 嘗味噌にはご当地物が多く、柚子味噌、鶏味噌、胡麻味噌、生薑味噌、牡蠣味噌、榧(かや)味噌、蛤の剥き身を加える時雨(しぐれ)味噌、田楽味噌、甘口の八千代味噌などがある。なお、八千代味噌は最近味噌つけ麺に使われている。
 新しいところでは岩手県紫波町の「ばっけ味噌」。岩手では蕗の薹をばっけと云う、そのばっけを突きいれた味噌で、蕗の薹のほろ苦さを楽しむ和え味噌。同じく岩手県奥州の「弁慶のほろほろ漬」。人参、胡瓜、大根、茄子、紫蘇の葉などを細かく切って塩抜きし、醤油と味噌の中間のようなもろみ(唐辛子入り)と混ぜ合わせて熟成させた刻み漬け。

 嘗味噌のバリエーションに焼き味噌がある。杓文字や盃に味噌を塗って炙ったもので、飛騨の郷土料理朴葉(ほおば)味噌や帝国陸軍のレシピ集である「軍隊調理法」に取り入れられた鉄火味噌は有名。焼き味噌は当初、味噌、鰹節、おろし生薑、大葉を混ぜていたが、やがて蕎麦味噌や北京味噌などさまざまな種類が派生し、左党を娯しませている。奴豆腐には梅が香が似合うが、焼き味噌を添えるのも一興。
 鉄火味噌について一言。鉄火味噌は八丁味噌と根菜(牛蒡、蓮根、人参、生薑)を胡麻油で炒める。梅醤の鉄火味噌と間違わないように。梅醤は練り味噌、こちらは焼き味噌。余談ながら、鉄火味噌は極陽性食品、貧血防止になるそうな。塩分が気にならなければ、わたしに相応しいのかも。
 梅も味噌もわたしの好物であり、北京味噌を専門とする大阪阪急の居酒屋には、よくお邪魔した。今ではその梅も味噌も食べられなくなってしまった。「焼味噌を好く者は金得延ばさぬ」(「えのばさぬ」はふやせない、貧乏するの意)、金を命に置き換えれば今のわたしである。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月04日 00:25 | 固定ページリンク




木の葉丼と蒲鉾  | 一考    

 「辺つ風」で、山陽、中国の窯元へ行きたいと書いたが、明石からもっとも近いのは篠山市今田町上立杭である。車なら1時間半ほどで行く。そこに立杭陶の郷があって、レストランがある。そこの木の葉どんぶりが滅法旨い。過去、木の葉どんぶりなど旨いと思ったことはないのだが、ここのどんぶりは蒲鉾が少なく山菜が大半を占めている。それなら山菜どんぶりに名称を変更すればと思うが、よほど店主が木の葉の名が好きなのであろう。もしくは木の葉とは山菜のことと思い込んでいるのかもしれない。篠山名物の鴨や猪肉のどんぶりもあるのだが、わたしは陶の郷へ行けばいつも木の葉どんぶりを食べていた。

 どんぶりの端緒はうなぎどんぶり、簡便な方式が庶民の愛好するところとなり、「江戸名所図会」に見られるごとく「丼物」なる語を生むに到った。鰻丼、天丼、カツ丼、親子丼、開化丼(親子丼の鶏を牛肉に)、牛丼、鉄火丼、木の葉丼など種類はさまざまである。掛け蕎麦の種物ほどではないが、20種類ほどある。
 鉄火丼のみ、寿司米を用いる。木の葉丼は通常、蒲鉾、椎茸、長葱を用いる、店によって鶏卵も。

追記
 木の葉丼の具材、蒲鉾について一言。魚肉を擂りつぶし竹串に塗って焼いたものの形が蒲(がま)の穂に似ているところから蒲鉾と呼んだ、と室町時代中期の古文書に見える。要は竹輪である。古文書とは「四条流庖丁書」(1489)と「宗五大双紙」(1528)。
 小田原式の蒲鉾が現れるのは江戸末期。蒲鉾の命ともいうべき強い弾力を「足」と称する。現在は弾力補強剤として臭素酸カリウムを擂潰(らいかい)の際に加える。多くの煉り物同様、塩分もしくはカリウムが多く、ハムやソーセージと共にわたしには禁制品のひとつとなった。
 なお、板つき蒲鉾には小田原式の蒸して作る蒸板(むしいた)、京阪地区に多い蒸し上げてから表面を焼く焼板(やきいた)、関西各地のはじめから焙焼(ばいしよう)する焼抜(やきぬき)の3種がある。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月03日 06:57 | 固定ページリンク




醗酵食品  | 一考    

 パン並びにバターとマーガリンは控えるようにと云われた。パンは残渣の問題にあらず、醗酵食品が理由である。許可が出たのは食パンのみ、それも一日一枚まで。それはともかく、バターやマーガリンが罷り成らんとはこれいかに。もっとも、入院中は各種ジャムしか当たらなかったが。
 原料油脂が植物油であれ植物硬化油であれ、乳化剤や乳成分が添加されるのは当然。それ故にバターとマーガリンが融会混同されるのであろうか。
 前項で書いた発酵食品のうち、わたしの食生活で觝触するのは、酒、酢、味醂、醤油、味噌、鰹節、紅茶、烏龍茶そしてパンだが、量を摂るのは紅茶と烏龍茶である。透析時代なら引っ掛かっていた緑茶が移植によって今では問題なし、紅茶と烏龍茶双方を緑茶に切り替えればうまく収まる。
 酒、味醂、醤油、味噌、バターは元来控えている。従って酢、鰹節、パン、マーガリンの四点が觝触する。酢は塩の代わり、鰹節は塩と出汁の素の代わり、マーガリンは乳製品すなわちバターの代わりとして摂取していた。出汁の素、バター、醤油、味噌はいずれも塩分の塊のような食品である。
 パンは量は減らすが止めるつもりは全くない。一々云うことを聞いておれば、粥と菠薐草の浸し物しか食えなくなる。JAと書くと問題が生じる、米問屋から賂でも貰っているのかしら。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月03日 06:55 | 固定ページリンク




ジオスとマージ  | 一考    

 東間医師と話し合い、貧血と低血圧とがまったくの別物と聞く。目から鱗とはこのこと、わたしは医学に関してあまりにも無知だと思う。簡単に書けば、貧血は血液中のヘモグロビン濃度が低くなった状態をいい、低血圧は最大血圧が100〜110mmHg以下の場合をいう、とあるが、100ぐらいなら普通だと思うが。わたしのそれは貧血で、度重なる失神のはなしをしたところ、医師も調べてみようとのこと。

 東間医師は自転車好き、以前に著したようにイタリアのジオス、正確にはジョスに乗っている。1948年設立、本拠地はイタリアのトリノ。ちなみに、チネリはチネッリが、マジーはマージが正しい。
 わたしが乗っていたマージは梅木英治さんに譲ったが、気に入りの自転車だった。もっとも好きだからこそ彼に譲った。往事のジオスの鋼材はコロンバス、マージの鋼材はレイノルズ531、違いはレイノルズの方が剛性が低く靭やか、一方コロンバスは剛性が高くハードな乗心地。
 かつジオスの方がシートピラーが立っており、マージと比してフレームサイズがずんと短い。要はジオスが現代的、かつプロ向けの自転車ということになる。
 その後、わたしはコロンバスを乗り継ぐが、やはり乗心地が堅く、やがてチタニウム、アルミニウム、ジェラルミンなどの柔らかい自転車に乗り換える。今では舶来でなく大阪のアラヤのアルミニウムのトリプルバテッドのフレームを自家用に持っている。理由は自分の体力の限界を知ったからで、プロの乗る自転車はわたし向けでないと悟ったからである。もっとも、それすら乗られなくなってしまった。
 東間医師と自転車のはなしをはじめると、他の医師は呆れかえった顔でそそくさと退室、遊びの世界とはそういうものなのです。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月02日 00:22 | 固定ページリンク




車と吸排気  | 一考    

 このところ入院がつづき全く乗っていないので、折角購入したボルボS80-t6に愛着が湧かない。実はスタイルや車の寸法すら頭に這入っていないし、エンジンの癖もよく分かっていない。ダッシュボードの改造もまだだし、ETCの手続きさえ済んでいない。明瞭なのはエンジンがポルシェの設計であり、セルシオよりボディの幅が広いということぐらいで、前の850-t5の方がよほど記憶に鮮明である。
 そもそもグレーが好きでないのだが、車は道具、色なんぞ詰るところはどうだってよい。要は走るか走らないかである。その点、ボルボS80-t6はよく走る。ただし、四輪駆動と二輪駆動が選択できるので燃費はよろしくない。燃料消費率6.2km/Lとなっているが、現実には5.0kmから5.5kmが精一杯である。
 4速ギヤ1880回転で100km/h、3380回転で180km/h、これほど低い回転数であれば高速道路での巡航は向かうところ敵なし。この車の新車価格をわたしは知らなかったが、8520000円だそうである。
 足回りの改造は考えなくもないが、明石へ引っ越せば毎日自動車商会という行きつけの自動車屋がある。彼なら説明しなくても、ことごとく了解済みである。かつて1Gや1Jを気が済むまで改造してもらった。まず、吸排気だけでも変えたいと思っている。

追記
 スバルのBRZがトヨタの直噴技術である「D-4S」を組み合わせただけで120psから200psに化けた。さすがにトヨタの実力である。あの回らないスバルのエンジンをよくぞ蘇らせた、レースでの実績はこのところ目覚ましいものがある。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月02日 00:17 | 固定ページリンク




道路交通法マナーバージョン  | 一考    

 病窓から戸田公園駅が見える、駅から戸田中央までは一本道である。その道を電動車椅子が走ってくる、四つ辻を斜めに突っ切って一方通行の道へ逆走で這入ってゆく。運転者は婆さんなのだが、道路交通法をご存じないようである。
 昨今、自転車の無法走行が問題になっているが、ここ戸田も朝の通勤時、自転車の一方通行逆走、右側通行、一旦停止無視、信号無視、大人の2人乗り、携帯電話、雨天の傘等々は常態化している。取り締まればきっと大混乱が起きるに違いないが、と云って捨て置いて良いものでもあるまい。
 例え弱者であろうと、軽車両の入手の段階で道路交通法マナーバージョンを学ぶ(敢えて「学ばせる」ではない)べきでないだろうか。
 あまりに常識的すぎて書くのが躊躇われるが、同じ自転車乗りとして一言述べておきたい。

追記
 同じ一方通行を125ccの小型バイクが逆走、ドライバーは女性、戸田は一体どうなっているのだろう。この女性、先々週も逆走していたような。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月01日 01:40 | 固定ページリンク




衛生マスク  | 一考    

 看護師がN95マスクを着用しなければならない患者2人が入院した。1人はわたしが輸血を受けたナースセンター内の病室A1422(4階の最終番号で窓が一切ない)で、重度の治療が必要である。いま1人は個室、共に五月蠅いほどシーリングチェックをしている。詳細は分からないが呼吸器感染症に違いない。
 N95は細菌の遮断効果が要求されるマスクで、不織布の中にフィルターとしてグラスウールと活性炭が這入った3層構造のもの。もっともこのマスク、15分以上は苦しくて使えない。手術用のサージカルマスクなどとは区別し、レスピレータ(呼吸用保護具や防塵マスクとも呼ばれる)と呼ぶ。サージカルマスクは装着者の側から発する飛沫の拡散を防ぐために用いるが、レスピレータは装着者を空気中の微粒子(有害物質やウイルスなど)から防ぐために用いる。なお、N95は普通に販売されているが、微粒子用マスクなど何に使うのかしら。
 序でにマスクについて一言。最大の用途は咳、嚔(くしゃみ)、痰、唾液の飛沫による病原菌の放出を防ぐ。風邪の予防としても用いるが、ウイルスや細菌はマスクのガーゼを通過して鼻腔や口腔内から体外に飛散、また逆に侵入するので役に立たない。さらに、マスクそのものが呼吸によって温まり湿潤すると、細菌の繁殖を助ける。従ってマスクを使用する場合、1時間以上同一のものを使用すると逆効果になる。10枚100円の安物を頻繁に交換するのが最も効果的。安物が嫌な神経質な方は防毒マスク着用を。


投稿者: 一考      日時: 2013年04月01日 01:38 | 固定ページリンク




落書き  | 一考    

 ひだる神は憑物の一種、とくに空腹時に峠道で憑かれることが多い。ダリ神、ダリ仏、ダニ、ダラシ、ジキトリ、ヒモジイ様、イザリ神などともいう。行逢神に同じ。愛知県北設楽郡の花丸峠には非人の行き倒れを奉ったというダリ仏の石像があるそうな。行き倒れの石像であれば、さぞかし瘠せたダリ仏かと思う。

 ひもじい(形シク)、ひもじがる(自ラ四)、ひもじげ(形動)、ひもじさ(名)、「ひだるい」とも。

 病院に峠道はないが、ひだる神はうじゃうじゃいる。わたしの病室にもいるが、こちらは神などと云う代物にあらず、綴れを纏ったヒモジイ様が似合いである。このヒモジイ、何時までわたしにまとわりつくのか。小腸の内視鏡検査が済めば即解放されるかと云うと、そうでもなさそうである。結果次第で下血の心配があれば一層強く取り憑きそうである。
 羸痩(るいそう)は身体に浮腫がみられないので乾性飢餓とも云う。この場合、水をまったく摂らなければ1週間くらいで死亡するが、水を摂取すると20〜40日間は生存可能と云われる。羸痩の逆は栄養失調症で、尼崎で虐待や監禁の結果、飢餓死を招いた事件があった。犯人は警察の留置所で縊死した。
 さて、水を摂取すると20〜40日間と書いた。わたしの場合は20日目だが、点滴を注入しているので死にはしない。ただし、身体はますます見窄らしくなってゆく。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月31日 01:24 | 固定ページリンク




面会  | 一考    

 このところ面会が厳しくなってきた。インフルエンザやノロウィルスのせいである。ところで、腎臓に限らず移植患者が惧れるもののひとつに青黴がある。この黴菌がもっとも多く含まれている食品がロックフォールチーズ、要するにブルーチーズである。ブルーチーズの好きな人が面会に来ると大変なことになる。病室に止まらず、病棟全体が汚染される。チーズ好きは忘れないでいただきたい、移植病棟だけはオフリミット。ちなみに、納豆菌と乳酸菌は問題ない。

 チーズについては過去にも書いている。なお、免疫抑制剤は骨髄、心臓、肝臓などの移植患者に用いられる。しかし元々は膠原病などの治療用に開発されてきた。わたしが移植患者と書いたのは免疫抑制剤を必要とするすべての患者である。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月31日 01:21 | 固定ページリンク




MacBook Air  | 一考    

 iPadについて各位からご教示に与った。お名前は明記しないが深く感謝している。
 まなさんのご指摘通り文章の打ち込みではなんの役にも立たないようである。Bluetoothでキーボードの接続はできるが、辞書の移し替えはできないらしい。辞書なしで文章なんぞ書けるわけがない。
 櫻井さんのお薦めはMacBook Airである。iPadよりはMacBook Airの方が遙かに有用で、金額も大して変わらない。購入するならもっとも廉いMacBook Airをと云うことでした。
 11インチだと新品で64799円、中古だと3万円から5万円。フラッシュストレージとメモリの換装は至って簡単。重量は1.08kg。パソコンの代わりになるタブレットなど存在しないようである。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月31日 01:07 | 固定ページリンク




皮相の見  | 一考    

 タブレットと云えば、通票もしくは錠剤のことだが、どうしてコンピューターの入力装置をタブレットと名付けたのだろうか。タブレット方式(閉塞方式)との関連性がなにひとつないのだが。
 名称の理不尽さ同様、近頃のパソコンはあらぬ方向へ進みはじめたように思う。パソコンが出はじめた頃、マウスとキーボードが必ずセットで付いていた。要するにパソコンは入力装置だった。入力装置とネットとの合体によって、一億総表現者との言葉が踊ったのは何時のことだったのか。
 それが何時の間にか、人様から与えられるコンテンツ(この言葉の遣い方がよく分からない)に溺れ、一億の表現者は今や百万人もいるのだろうか。揚句はつぶやき一色になってしまった。
 140文字との限定に一億の人間が慣らされたのか、それとも一億の人間が140文字で十分だと判断したのか定かならず。ただ、携帯電話からタブレットに到るまで悉くが軽率、軽躁、軽挙、軽佻浮薄、妄動、粗忽、不謹慎、無思慮、暴虎馮河の世界へと驀地に突き進んでいる。
 まなさんは書く、閲覧向きであって文章の作成には不向きだと。この「閲覧向き」との文言が意味するのは、前述の「人様から与えられる」ところのものと同じく、発信者のそれではなく受動者のそれである。
 考えてみれば、携帯は電話であって入力装置ではない、にもかかわらずその携帯で文章を書こうと云うのだから、短くなるのは当たり前。今後「つぶやき」は「つぶ」になり、やがて「つ」になってゆくに違いない。パソコンの世界に巣食う軽薄子の浅知恵をどなたか退治していただけまいか。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月30日 11:39 | 固定ページリンク




懐石と低残渣  | 一考    

 昔、袂に用意する残菜袋もしくは残肴袋というものがあった。懐石料理のとき、箸をつけられなかったものや、食べ残したもの、また魚の骨や、向付に添えられた防風(セリ科の多年草。若い葉柄は紫紅色で香気があり刺身のつまに使う。お浸しや和え物にも。浜防風とも)、穂紫蘇の芯などの残肴、残菜を入れる袋である。建前上、懐石で皿上に盛られたものはすべて食べられることになっている。従って、亭主に気づかれぬよう手早く処理する心遣いが肝要。
(註 懐石で向付といえば膾のこと。懐石と本膳料理では全く異なる。現在の懐石では初めに亭主が持ち出す折敷に飯、汁とともに向付が配され刺身を盛る。これで個々の腹加減を同じように調整してから山海の珍味に具える。要するに懐石では最初に飯が供される)

 残渣から残菜を連想、次に懐石を連感したまで。懐石料理は珍味であるがいずれもが粗食揃い、植物繊維の塊のようなものが多い。懐石に屡々登場する野菜に椎茸があるが、これは茸類のなかではもっとも消化が良さそうである。
 他に高残渣の野菜を代表するものに、牛蒡、蓮根、筍、和蘭雉隠し、白菜、小松菜、胡瓜、セロリ、玉蜀黍、隠元、絹莢、貝割れ大根、もやし、葱、韮、春菊、茸、海藻などがある。では低残渣の野菜にどういうものがあるかと云えば、馬鈴薯、里芋、大和芋、甘藷、菠薐草、人参、南瓜(皮を除く)、茄子(皮を除く)、オクラ、大根、蕪、冬瓜、玉葱、蕃茄(皮を除く)、甘藍、ブロッコリー、カリフラワーなどである。一読、疑問に思うのはもやしである。わたしの頭のなかで植物繊維ともやしは結びつかない。後で出てくる「木の葉丼」を書いていて気づいたが、固い、柔らかい等、見て呉れは残渣と直接関係なさそうである。

 低残渣食を摂るひとは醗酵食品を控える、という項目がある。すべての酒類、酢、味醂、醤油、味噌、納豆、鰹節、塩辛、くさや、なれ寿司、魚醤、アンチョビ、漬け物、キムチ、ザワークラウト、ピクルス、ナタ・デ・ココ、ヨーグルト、チーズ、麺麭、紅茶、烏龍茶等々である。「控える」だからまだしも、醗酵食品が禁止されるということは調味料の禁止に等しい。それでは食生活が成り立たなくなる。
 それにしても、低残渣の米は不味い。国産米というが、ミャンマー、ラオス、カンボジア、どこの国産米なのか。あれでは残渣でなく残滓米である。
 野菜ではないが、鶏の唐揚げなんぞ、油濃くて食べられなかったが、米粉を使えば油臭が抜ける。腎不全になったときから食べられなくなった縮緬、畳鰯、目刺しなど、小魚はどうしようかと思っていたが、粉末にして振り掛けにすれば問題解決。高残渣で知られる大豆にしても「納豆も豆なら豆腐も豆」という。女性の化粧のごとく、要はちょっとしたことで食材はどうにでも化ける。それが割烹の醍醐味である。

追記
 水溶性食物繊維は十分に摂取することとある。水溶性食物繊維と不溶性食物繊維については改めて。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月30日 08:14 | 固定ページリンク




低残渣と野菜  | 一考    

 烟草は完全に止めた、酒もほとんど飲んでいない。低塩分は当然として、これからの食生活の問題点は低残渣である。残渣は辞書では「溶解、濾過などのあとに残った不溶物。残りかす」となる。要は食事のあと腸に残る食べ物のかす、と解釈すれば結構。その残りかすが潰瘍と擦れて出血するのである。よって、極力低残渣の食品を食べれば良い。とは云え、低残渣食はわたしにとってまったく新しいカテゴリーで、一からの勉強となる。
 かつて腎不全になったとき、食事のことで途方に暮れた。それを思えば低残渣食を簡単とは云わないが、決して難儀な問題とは思わない。以前のように、イモ類、ムギ類、イネ科、マメ科、タデ科、果菜類、根菜類、葉菜類、茎菜類(たけのこ類)、花菜類、山菜、藻類、菌類と分類し、片っ端から高残渣か低残渣か分類して行けばよい。
 例えば、果菜類だとウリ科のキュウリ、スイカ、カボチャなど、ナス科のナス、トマト、ピーマンなど、マメ科のインゲンマメ、ササゲ、フジマメなどは若莢(わかざや)を、またダイズ(枝豆)やソラマメの未熟種子を、エンドウは若莢と未熟種子の双方など。根菜類だとアブラナ科のダイコンやカブ、セリ科のニンジン、キク科のゴボウ、ユリ科のタマネギやシャロット、スイレン科のハス、シソ科のチョロギ、オモダカ科のクワイなど。葉菜類だとアブラナ科のキャベツやハクサイ、セリ科のミツバやパセリ、キク科のレタスやフキ、アカザ科のホウレンソウやオカヒジキ、ユリ科のニラやネギ等々となる。野菜ひとつ取上げてみても、約1万種類と云われているが、普段食べる野菜は季節物を入れても100種類ほどである。

 低残渣食の基本は、1日平均17g前後摂取している食物繊維を3g以内に制限することのようである。食物繊維専用の量りがあればともかく、みなさんはこの3gをどのようにして計量しているのであろうか。
 腎不全に罹った最大の生活習慣は野菜不足とやら。しかし、罹ってしまうとカリウムが理由で野菜が食べられなくなる。それが今回は食物繊維でやはり食べられない。皮肉なものである。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月30日 08:12 | 固定ページリンク




まなさんへ  | 一考    

 入院の度に、iBookを抱えてうろうろするのが重いので、ご教示いただけないかと思ったのです。軽量のノートPCなら、ウインドウズの方が便利かつ安価でしょうね。面倒をお掛けしました、ありがとうございます。
 大室さんは元気ですか。彼の実家は震災のど真ん中、しかも福島ではありませんか。以前の入院の折、見舞いを受けましたが、御見舞いが必要なのは彼の方なのでは。
 まなさんは病院の方はうまく行っていますか。仲良く暮らしてください。またお会いできる日を楽しみにしております。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月30日 06:46 | 固定ページリンク




iPadのこと  | まな    

お久しぶりです。

iPadのこと、大室氏に聞いてみたのですが、Padは閲覧には使いやすいのですが、作成にはしんどいそうです。
短い文章をメモ的に残すのならいいのですが、長い文章を書くのには不向きとのこと。
あと、ATOKが入っているメモアプリはありそうですが、ATOK単体ではおそらくないだろう、と。
一考さんの用途だと、使いにくいだろう。とのことです。

彼は持ち歩き用に以前iPadを使っていましたが、文章を書くのがつらくなって、結局今はノートPCを持ち歩いています。


投稿者: まな      日時: 2013年03月29日 23:32 | 固定ページリンク




iPadについて  | 一考    

 iBook 800MHz PowerPC G3を入院の際に使っている。ワープロとしての機能さえあれば良いので、これで十分である。ところが、このiBookが重たくなってきた。そこでより軽量のiPadはどうなのかしら。
 条件は三つ、まずワープロソフト(LightWayText)が機能すること。大量の単語一括登録(ATOK17)ができること。Jammingによる辞書の検索ができること。登録単語と辞書で10GBである。
 どなたかiPadに詳しい方のご教示を願う。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月29日 16:43 | 固定ページリンク




新幹線  | 一考    

 松戸ー上野間の移動に2時間かかる、と書いた。移植後、わたしは2度山形へ行っている。2度とも松戸ー上野間と上野ー山形間の所要時間がほぼ同じだった。電車は座っていればよいのだが、松戸ー上野間は階段を下りたり上ったり、特に上野駅の新幹線乗り場は地下深くに設けられている。歩く距離が長くて、身体がもたないのである。
 東海道新幹線はさらに大変である。体調を崩してからこの電車には1度しか乗っていないが、まず、ホームや車両が長すぎる。東京駅では八重洲側へ辿り着くのに一苦労、構内をやはり小1時間歩かないと到着しない。問題はそれからである。指定の車両へ行き着く時間がなく、適当なところで飛び乗ることになる。わたしにとって1両の長さが一息で歩ける限界である。要するに青息吐息で1両5分、連結部での休憩に5分、仮に16両を歩くとすれば160分、そのころ電車はどこまで走っているのだろうか。
 それを考えると、目的地までの所要時間は長くても深夜バスは身体が樂である。乗るまでに時間はかかっても、乗ってしまえば歩かずに目的地へ着く。新幹線が1両乃至2両編成になれば乗ってやっても良いと思っている。
 長い距離は不得手だが、短い距離をちょこちょこ歩くのは得意である。要するに途中に休憩場所さえあれば、思いのほか歩く。病院なんぞ椅子だらけ、2キロでも3キロでも、隅から隅までもってこいの散歩道である。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月29日 06:53 | 固定ページリンク




辺つ風  | 一考    

 明石へ行けば、まず中国、山陽の窯元へ行きたい。次に日本海である。敦賀、もんじゅ、美浜、大飯、高浜などの原発の傍らには必ずキャンプ場がある。そして贔屓にしていた久美浜兜山のキャンプ場がある。すぐ根際の魚屋でいつも角飛(かくとび)を買っていた。小振りだが1匹100円。それを刺身や洗いにして日本酒をちびりと飲む。
 飛び魚の洗いと飛びっ子を混ぜた食べ方は当掲示板で何度か紹介した。京都の鮒の洗いと同じ食べ方である。確実に角飛の方が美味い。ところで、鮒の洗いの前身は鯉である。江戸後期には鯉の刺身より洗いが賞美された。洗い鯉と呼ばれ、江戸では向島の葛西太郎、大黒屋孫四郎などの料理茶屋が有名だった。
 ちょっと長くなるが折角なので紹介しておく。「料理物語(1643)」の鱠の部に「鯉の子付けなます」がある。古くからの料理で、鯉を三枚におろして細作りにし、煎った鯉の子をまぶしつける。その後の調理方法がいささか凝っている。鯉の身の半分には、熱くした煎酒酢(煎酒に酢を加えたもの)をかけ、半分には冷やした山葵酢をかけ、両方をかきまぜて供するとある。暄寒入り乱れた様が興味津々、味わってみたくなる逸品である。なお、煎酒(いりざけ)については「嘗物2」で触れている。

 兜山のキャンプ場は晴れた日も雨の日も年中通して出掛けた。松葉蟹は昔から高価だが、小さな雌蟹はセコと云って子供のおやつで、笊一杯7、8匹が300円ほどだった。どことは書かないが東京某ホテルのランチで松葉蟹雌1匹付き5000円というのがあった。メニューに雌蟹がいかに貴重で美味かを繰り返し書いている。当然セコ蟹のことだが、現地でセコを松葉とは云わない。わたしに云わせれば松葉を語ったインチキ商品である。
 海産物はともかく、原発の金で拵えたキャンプ場は立派すぎて面白みがない。造りは劃一、ゲートで区切られていて、出入りにカードを使う。ACアウトレットが全サイトに完備され、客は照明、炊飯器、冷蔵庫、テレビ、髭剃りなどを持ち込む。日常生活をそのまま持ち込むのをキャンプとは云わない。だからわたしはちょっと離れた久美浜へゆくのである。
 久美浜湾は内湾になっていて牡蠣の養殖で知られる。波は穏やかだが、立ち泳ぎなどすると、結構な底流があって愕かされるときがある。辺つ風が爽やかな海水浴場でもある。久美浜は京丹後市だが、すぐ隣は兵庫県の城崎温泉、反対側には丹後半島、天橋立と観光地がつづく。むかしから割烹旅館の多い地域だが、湾の左岸にもへきすい苑や碧翆御苑旅館など知られた割烹が並んでいる。
 出石には1軒だけ十割蕎麦の店がある。研究熱心な主人で全国の十割蕎麦店を歩き回っている。日本海とは逆だが、瀬戸内しまなみ海道はぜひ行きたい海道である。虎魚(おこぜ)の産地があって楽しみにしている。こちらも刺身もしくは洗いが美味い。

追記
 「出石には1軒だけ」と書いたのは、「そば庄・鉄砲店」(兵庫県出石郡出石町鉄砲27-13 0796-52-5479)である。しかし、今では出石を中心に4、5軒増えたようである。
 丹波篠山・今田黒石の県道141号線沿いの時夢館(たいむはうす)にねじき蕎麦と号する十割そばを喰わせる店ができた。

 http://www.oct.zaq.ne.jp/papua/tajima-so.htm
 http://sobajin.toured.jp/tabearuki/hyogo/


投稿者: 一考      日時: 2013年03月29日 00:04 | 固定ページリンク




逝者  | 一考    

 戸田の病窓から遠く9時の方向に奥多摩が、7時の方向に箱根が、そして中央に富士が見え、ずんと手前を埼京線が走る。埼京線は新幹線と在来線が併行する。日中は2階建て新幹線の一回り大きながたいが際立ち、在来線のそれは貧相で目立たない。ところが夜ともなると様相が一変する。新幹線の小さな窓は闇から闇に紛れ、一気に存在感が薄れる。他方、電飾に色彩られた各駅停車の電車は輝きを増す、多くの人生を積み込んだまるできらびやかな特別車両のごとく。
 ひとの生死にも「泡沫人は息消えて、帰らぬ水の泡とのみ散りはてし」から「のたうつ藍の虫の息」までさまざまである。新幹線がうたかたなら、さしずめぬたうつのが各駅停車であろうか。きわめて予後の悪い膵臓癌と大腸癌との違いとでも云い換えようか。死ぬ日まで時がなければひとは駈け抜けてゆくだろうし、死ぬ日までいささかでも余裕があれば自らの死について筆舌を累ねるやもしれない。
 沈黙を守って死んでゆくのと、もがきころびまわって死んでゆくのとどちらが潔いか、ことは簡単には済まない。この場合の潔いは未練の問題であろうか。未練を抱くのと未練を捨て去るのと、いずれにせよ、死にゆく人の未練であり、死にゆく人の時の過ごし方である。軽重を口にするのは生き残る人。いわずもがな。

追記
 梅木英治さんを慕びつつ。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月28日 04:02 | 固定ページリンク




現場の人  | 一考    

 病院A棟の隣ビルはマンションだった。それが取り壊され、病院の一部として改築に這入った。パワーショベルやクラムシェル、クレーン、ミキサー、ダンプなど、さまざまな重機が入れ替わり立ち替わり送り込まれる。職人から土工、鉄筋工に到るこれまたさまざまな人々が現場に群れる。
 かつて福井県のダムサイトで、わたしも働いたことがある。重機のオペレーターとしてである。重機の運転免許証は公道を走らせるためのものであって、現場(閉鎖された特定の地域)では免許証は不要である。わたしも免許証は持っているだけで、現場で叩き上げた人の技術には到底かなわない。
 隣のショベル(関東ではユンボと云われる、ユンボはメーカーの商標名)の運転は実に巧い、見惚れるほど鮮やかである。わたしにはそのような腕前の持ち合わせがなく、福井では固定式クレーンの運転を仰せつかった。ちなみに、わたしが持っているのは移動式クレーンの免許証とショベルローダーの掘削、積み込みである。それほどに、有免許と例え無免許であっても現場の人間の実力は違う。
 重機の運転はメーカーごとにまったく異なる。わたしが習ったのはKOBELCOだが、確か日立建機とはレバーの位置がことごとく反対だった。隣の現場はKATOとICHIHARAだが、大分違うようである。極端な云い方をすると重機のメーカーごとに免許証が異なるようなものである。この煩雑さが現場の人間の実力をさらに高める。

追記
 鉄筋工が持っているきらきら耀く短い指揮棒はなんだろうか。左手に細い鉄線を持ち、右手で持った棒をくるくると回す(左右は単なる癖、どちらでもよい)。鉄筋と鉄筋を結びつける小道具に違いないのだが、その様がまるで手妻遣のように見える。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月28日 04:01 | 固定ページリンク




新胡椒  | 一考    

 わが国では新胡椒(生胡椒とも云う)はあまり売られていないが、新と旧では香りの種類がまるで違う。大半がインド産だが、カンボジア、タイ、インドネシアから新胡椒が少量輸入されている。恰度3月が収穫期。香辛料で個性を発揮するごく一部の割烹やレストラン向けである。
 緑色の未熟の果実を房ごと収穫し、2日間日干しにすると皺がよって黒くなる。足で踏んで柄を除き、粒だけにしたものが黒胡椒。新胡椒は黒くなる前の緑色の果実。えぐみが出る前の胡椒で、さっぱりとした爽やかな辛味が特徴。海鮮料理に良く合う。神戸では売っていたが、見つけたら是非一度お買い上げを。

 近松門左衛門の「大経師昔暦」に「本妻の悋気と饂飩に胡椒はお定り」とあるように、江戸前期温飩(うどん)には胡椒と梅が付きものだった。後期になってそれが廃れたようで、大田南畝は「近頃まで市の温飩に胡椒の粉をつゝみておこせしが,今はなし」と「奴師労之」に書いている。唐辛子は渡来当初は胡椒の一種と考えられていたが、温飩の薬味は胡椒と梅からやがて七味唐辛子と刻みネギへと置き換えられてゆく。
 江戸期の温飩は「かけ」である。現在云うかけ「熱いだし汁をかけただけの饂飩」、関西で云う素饂飩とは異なり、加薬の這入った「熱いだし汁をかけた饂飩」となる。すなわち、卓袱(おかめ)かけ、天麩羅かけと云うように用いる。そのかけに胡椒が合うかどうか疑問だが、冷やし温飩に胡椒と梅は不思議に合う。後段で書く梅が香ならなお美味。

追記
 クラタペッパーのホームページでカンボジア胡椒入り「天むす」が紹介されている。また本文中に「胡椒は、香り付けや辛味といった味覚成分だけではなく、カリウムを多く含むため塩分の排斥を促進したり、菌の繁殖を防ぐ防腐作用があったり、胃を強くする健胃作用があったりと体にいい成分も多く含まれて居ます」と書かれている。なお、沖縄の八重山に伝わる島胡椒「ピィパーズ」は国内唯一の胡椒である。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月27日 07:41 | 固定ページリンク




大間クロマグロ  | 一考    

 「茉莉花(まりか)」「瑛美花(えみか)」と名付けられた犬はどうなったのだろう。大間のクロマグロを喰っていたというが、セレブを感じるのはセレブを意識する人間だけで、犬にとってはマグロもカツオも大間もへったくれもあるまい。主人が殺される前にどこぞ山奥の道端にでも棄てられれば、生き残ることすらかなわない種類の犬だったに違いない。
 主人にとっても、気懸かりは犬のことで、目減りした相手の資産など最後まで眼中になかったに違いない。彼等にとって、客とは愛犬が食する大間のクロマグロを背負ってくる鴨に他ならなかった。
 金持ちはさらに資産を増やすことに精を出し(結局、自滅したが)、貧乏人はセレブを目ざして奔走する。1億数千万円のマグロを1貫270円で喰ったとか320円で喰ったと、例えそれが2億であれ3億であれ同じこと、世はあさましい限り。
 マスコミはとかく猟奇的に捉えようとするが、実体は単なる金の奪い合い。何かありそうでなにもない、今回の事件はあまりにも単純な分捕勝手、合戦の一絵図。

 セレブとはセレブリャコワのことかと思っていた、と云うような冗談はさておき、セレブはセレブリティの略語。宮崎哲弥さんは「セレブは誤用であり、成金ときちんと言うべきである」と発言している。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月27日 07:39 | 固定ページリンク




西明クリニック  | 一考    

 西明石の西明クリニックを検索するも口コミはひとつもなかった。同クリニックの医師は神戸大学医学部出身の麻酔科医で、同大学医学部の元学部長の紹介で知った。なんでも20年に一度出るかどうかの名人らしく、ブロックの巧さで右に出る医師は関西に居なかったとされる。
 わたしは西明石で商売をしていた頃、しばしばお世話になった。下手な医師のブロックは痛くてうめき声を上げる、ところが、西明クリニックで痛みを感じたことは一度もなかった。今回知った戸田中央総合病院消化器内科の羽山弥毅医師は内視鏡検査に鎮静剤や鎮痛剤の類を使わない。それと同じで世の中には達士がやはりいらっしゃるようである「達人解其会、逝将不復疑」。
 西明石を離れてからわたしは一度もブロックを打ったことがない。腰痛には悲鳴を上げているが、信頼できる医師を知らないからである。
 今回、明石市医師会のホームページの2012年7月27日の項を読んでいて「姉崎外科医院、西明クリニック、閉院のため検索システムより削除しました」とあった。西明石でお会い出来るのを楽しみにしていたのだが。ちなみに、電話は通じない。

 西明クリニック
 兵庫県明石市松の内2-1-6 コーポ山口3F
 電話番号 078-927-5910


投稿者: 一考      日時: 2013年03月26日 16:02 | 固定ページリンク




嗽(うがい)  | 一考    

 90歳の男子、30分毎の頻尿で看護師を困らせている。トイレまでの往き来に介添えが必要なのである。頻尿には理由があって、夜になると30分毎に含嗽を繰り返し水を飲む。嗽はともかく、水を飲まなければ頻尿にならなくて済むのだが。
 薬では治らない、謂わば生活習慣。看護師には迷惑だが、90歳になって生活習慣は変わらない。さらに、トイレへの往き来、深夜であるにもかかわらず、カーテンを力一杯開閉する。
 彼の妻は80歳、見舞いの時の晤語は聞いていて微笑ましい。この年齢で会話に笑いが途絶えない、そして互いによく喋る。欠点は夜通しガラガラと嗽の五月蠅いこと。検査の結果、どこかを手術することになったらしい。全身麻酔に具えて器具を購入していた。
 その彼がトイレの近い病室へ引っ越しとなった。実はナースセンターにもっとも近い角部屋は、夜っぴてナースコールを鳴らし続ける問題児の溜まり場である。行った先でのトラブルをわたしは案じた。しかし、わたしがいる病室は重症患者のそれである。勝手は云えない。

追記
 検査で直腸癌が発見され、切除は成功した。6日間は元気だったが、突然の脳出血によって、右半身に重度の障害が残った。脳出血の理由は分からず、もっかICUで検査中とのこと。とても仲の良い老夫婦である、奥さんの悲しげな顔を見るのは辛い。トラブルにならなければ良いのだが。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月26日 02:30 | 固定ページリンク




認知症  | 一考    

 わたしがいる病棟にも認知症患者が入院している。上品そうな老女なのだが、昼夜の別なく叫んでいる。「ヘルパーさん、来てください、お願いです」「ヘルパーさん、助けてください」「食事をしておりません、誰か食べさせてください」「ごはん、ごはん、ごはん」7種類ほどの文言の繰り返し、張りのある明瞭な発音である。彼女は自力での食事はかなわない、従って発言は悉くが食事とその介助を求めるもの。要するに終日、飯はまだかと叫び続けているのである。
 認知症には一過性と完結型とがあって彼女は典型的な完結型である。完結型だとコミュニケーションがまったく取られない。看護師はあの手この手と考えている。昨日は静かだったが、睡眠薬が効いたらしい。その薬がまた効くとは限らない。
 一過性の認知症患者を同室させるのは有効である。一種の気取りのようなものが生じるのか、かなり温和しくなる。重症患者が同室したが、こちらは重症ゆえの無反応。そうすると彼女は朝病棟に電気が灯る6時から食事が出る8時まで、重症患者を一顧だにせず、寸暇を惜しんで「ごはん、ごはん」と叫んでいた。
 完結型であっても、環境に対しては敏感に反応する。この反応、意識の変化に興味を持たされる。わたしは医者ではないのでよく分からないが、「意識の変化」の底流に流れる大きな無意識を治療に利用できないものか。人はもともと無意識のかたまりのような存在だし、意識などというものは表層のごく一部にしか過ぎず、それ自身客観的な実在性をもたない一種の仮象に過ぎない。健常者はどうも意識を過信しすぎるきらいがある。本来、基軸や中軸を持たない意識は揺れ動き、常に変化しつづける。言い換えれば、認知症そのものが治療を要する病気かどうかきわめて猜疑わしいと思っている。

 それにしても愕くのは男女を問わず、ベッドから動かれなくなった患者もしくは自力で食事が摂られなくなった患者の食欲への執着である。食事の時間が近づくと催促し、出たものは一切残さない。結果、看護師には大量の糞尿の片づけが待っている。その糞尿の山を前に病院とはなにかを思う。

追記
 今朝、老女が元いた施設へ戻った。彼女に訪人(まれびと)は絶えてなかった。と云うことは、身辺を気にかける者が居ないと云うこと。にもかかわらず、彼女の日常生活は続く。病院は静かになったが、施設での彼女の無意識(埋没する自己なのか、それとも解放された自己なのか)の徘徊はつづく。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月26日 02:28 | 固定ページリンク




EDのことなど  | 一考    

 「貧血と失神」が一つのヒントになった。息が切れるようになり、階段を上られなくなり、走られなくなり、自転車に乗られなくなった。この8年、半年に1回は失神に襲われるようになった。糅てて加えて同時期にはじまったEDである。わたしの場合は自慰を含む勃起能力が完全に損われた、という書き方は好きでない。「御利生もいざりの立つははぜらしい(柳多留拾遺)」という、なまくらはぜになったとでも云っておこうか。
 これらの症状に通底するのが貧血である。さまざまな理由が考えられるが、腎不全による血圧の急激な変動、シャントによる血液の逆流、それらにわたしの血管が耐えられず、血圧と血管の管理能力双方に狂いが生じたのであるまいか。
 EDに関しては、かつて主治医と話し込んだことがある。透析の段階で勃起不能、射精不能になるケースが多いとか、もちろん結婚し子供を拵える透析患者もいて個体差は大きい。わたし自身は勃起しようが勃起しまいがそのようなことはどうでもよろしく、EDであるからと云って治療しようとは思わない。
 もっとも、わたしの場合の治療は一重に造血となるだろうが、これは問題点が多すぎて実現は困難である。慢性の貧血患者が云うようなことでないが、体重から推してヘモグロビンが13g/dlを超えれば勃起するのかもしれない。世の中には極度の貧血で性欲旺盛な吸血鬼と呼ばれる一族もあって、こちらの個体差も大きいようである。
 腎不全患者の場合、高血圧かつ糖尿病もしくは貧血のどちらかになるようだが、何年にも及ぶ貧血によって身体が徐々に馴染んでくる。ヘモグロビンが7g/dlから9g/dlぐらいなら平気で動き回るようである。その貧血の症状が現れやすいのは、酸素消費量の多い部位である。中枢神経(脳)、心筋、呼吸器(肺)、消化器(胃腸)、生殖器(卵巣)などがそれにあたる。わたしの場合は海綿体用の血液がまるで不足している。
 腎臓の病とは血の病である。血を拵え濾過するのが腎臓の為事、それゆえ腎臓が毀れれば血も毀れる。今回、息が切れる、失神、EDが一直線に結びついただけでも、わたしには十分納得が行く。

 腎不全は移植手術でお仕舞いではない。移植腎が十全に機能すれば健常者と変わらない生活が可能だが、拒絶反応や腎疾患の再発がある。さらに1度移植を受けると、例え移植腎が壊死し人工透析に戻っても、生涯免疫抑制剤を飲み続けなければならない。その免疫抑制剤には副作用や感染症に罹りやすくなるなどの致命的欠陥がある。拒否反応にばかり目が向けられがちだが、げに怖ろしきは感染症の増大。問題はそこにこそある。

追記
 先般2人の歌舞伎役者が亡くなったが、免疫抑制剤による感染症(肺炎)が直接の死因だった。免疫抑制剤を服用する者にとって、1度罹った感染症が根治することはない、体内に残存し出番をしぶとく窺っている。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月25日 02:53 | 固定ページリンク




貧血と失神  | 一考    

 「トイレで昏倒、その後悶絶するような患者を帰すわけには行かない」と医師から云われたが、この失神はなんとかならないものか。96年に野戦病院からはじまった失神だが、すでに8年になる。この間半年に1回は襲われている。
 東間、瀬戸口両医師が口を揃えて危険を指摘する。車の免許証に貧血や低血圧の条件はないが、もしあれば取得できないだろうと。車は捨て公共機関に切り替えなさい、と瀬戸口医師の持論である。
 総合造血剤(あまりにも高価)による貧血の急速な回復が期待できないときは、対症療法としてしばしば輸血(極力輸血はしたくないし、するべきでない)が必要である。輸血だと十分な鉄分が補給される。しかし輸血で正常ヘモグロビン濃度まで回復させると、エリトロポエチン産生刺激がなくなって赤血球産生能は低下してしまう。よってヘモグロビン値で云うと10.5ぐらいで抑えるべきなのか。いずれにせよ、薬物療法を試みるべきなのは分かっているが、さまざまな副作用があって、この造血ほど難儀なものはない。
 わが国のヘモグロビンの正常値は成人男性で14〜18g/dl、成人女性で12〜16g/dl とされる。国際的な貧血判定基準として、ヘモグロビンが幼児(6箇月〜6歳)11g/dl、小児(6〜14歳)12g/dl、成人男性13g/dl、成人女性12g/dl、妊婦11g/dl に達しないとき、とする基準が設けられている。
 わたしは低いと7g/dl、よほど高いときで10g/dl、幼児以下で端から問題にならない。7g/dlを切るといつ失神してもおかしくないそうである。貧血でも低血圧でもどちらでもよいが、誰か失神から解放してくれないものか。

追記
 短時間の一過性の意識消失。昏睡はもっとも高度の意識障害で、種々の反射機能の消亡、尿、便の失禁などを伴った意識の完全な消失を意味する。わたしの失神の特徴に痙攣がある、それから推してアダムス‐ストークス症候群かもしれない。理由は全くないが、癲癇なのかもしれない。


投稿者: 一考      日時: 2013年03月25日 02:30 | 固定ページリンク




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