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脳死と植物状態   一考   

 

 かつて、脳死になった娘を看取る本を出版した。脳死と判断されたとき、大脳や脳幹の神経細胞のすべてが死んでいるわけではなく、神経細胞群がシステムとして働いたときの機能が非可逆的に停止しているにすぎない。とは申せ、やがてすべての細部が死ぬ運命にあることは十分に予測できる。
 その娘さんの場合、脊髄の神経細胞がまだ生きていたので、システムとして働くことがあり得た。それゆえ、親御さんは脳死を死として受け取ることかなわず、親御さんのいう心臓の停止まで看病することになった。
 ここで問題なのは、脳幹が障害された状態で、人工的な呼吸の介助なしには生命を維持することはできない。要するに、人工呼吸器によって強制的に呼吸は続いているが、実態はとっくに心停止だったのである。その結論は無惨だった。液状化した脳細胞が、目や鼻、口から漏れ出たのである。

 脳死の判定でいちばん注意深い区別が必要なのは植物状態との区別である。脳死と植物状態はまったく異なる。植物状態というのは、重症な脳損傷による継続的な意識障害であり、神経反射や自発呼吸はほぼ保たれ、脳波も平坦波ではない。また発声、開眼あるいは眼球運動などを示すことがある。その名のとおり、脳のいわゆる植物中枢の機能は保たれているわけである。
 脳幹と脊髄が無傷であれば、それより上位の中枢が障害されても、いわゆる植物人間の状態で生命を維持することができる。要するに、脳幹に障害があるかないかで決定的な違いが生じる。

 本題に這入る。死者が生前に臓器摘出を書面で承諾しており、かつ医師がその旨を遺族に知らせ、遺族が摘出を拒まないとき、または遺族がいないときには、遺族の書面による承諾がなくても摘出できるものと定められていた。しかし、現実には遺族の承諾に基づく摘出がほとんどで、例えば1995〜96年度の死体腎移植についていえば、180人のドナーのうち、ドナーカードに基づいて提供に至ったものは15人にすぎなかった。
 臓器移植法が施行された1997年10月から11年間で脳死と判定された上、臓器提供の意思表示をしていた1090人のうち、実際に提供されたのは76人。理由はことごとくが家族の反対である。
 私の周りにも意思表示カードで臓器提供を申し出た方が多い。しかし、提供されるかどうかは疑わしい。日本人の生死観は今も昔も揺るがない、脳死が死として受け容れられるのは何時になるのだろうか。


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2017年03月03日 01:01に投稿された記事のページです。

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