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男根扼殺者   一考   

 

 櫻井さんが菎蒻の罐詰拉麺について書かれていたが、あれは猫灰だらけを通り越してグロテスク乃至はデカダンスですらある。文学におけるグロテスクやデカダンスは私の好むところではないが、性的なデカダンスは謳歌している。
 ラテン語のim-potensが私の病名である。私の場合は器質的なものではなく、機能的な原因によるものだそうである。機能的インポテンツでは性交に際しては勃起しにくいが、それ以外のとき、たとえば自慰や睡眠時あるいは早朝などには勃起が起こるのが特徴だとものの本に書かれている。要するに勃起神経になんら異常は見受けられないのである。
 挿入に成功しても射精しにくい、または射精できない。それを女性から指摘されることによって萎えてしまう。その繰り返しのなかで、この次も射精できないのではないかという失敗恐怖観念にとらわれ、ついには自分はインポテンツであるという固定観念に陥ってしまう、その典型なのだそうである。「だそうである」 のであって、私はことなる意見を持っている。
 主治医にいわせると、そこいらの心理学や精神分析の専門家では一考に歯が立たないし、ましてや一考がいうことを聞くはずはなく、まったく無駄であるそうな。女が変わればできんじゃないのと、彼は鷹揚に構えている。
 別に射精できようができまいが、たいした問題だとは思わない。それをコンプレックスに思っていないからである。そんなことよりも、インポテンツにはインポテンツであるがゆえの気宇がある。
 冥草舎の西岡さんが書いて人口に膾炙するようになった「君、禁欲とは限りなく淫蕩になることだよ」との塚本さんの言葉がある。この文言に対する出自や詳細には一切触れない。私は扇動家であっても舌禍の一群ではないからである。問われるのは個性であって情報ではない。
 塚本や足穂のような似非ホモは多い。ただ、似非であろうがなかろうが、そのようなこともどうでもよい。本質となんらの脈絡も有しないからである。
 サドの女陰の封印同様、男根を扼殺しなければ淫蕩にはなられない。淫蕩とは妄想の謂いである。これは種村さんの「躄にならなければダメだよ」と消息を一にする。表現者とは人生の故買屋である。そして窩主で売買されるもの、それが妄想でなければなんなのか。

 昨夜、帰りの地下鉄のなかで櫻井さんが私の腹をさすっていた。呼応して「腹がへこみ、久しぶりに息子と対面できたのだから、性欲が黄泉帰えるかもね」


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2007年06月13日 15:17に投稿された記事のページです。

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