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椿花書局   一考   

 

 橋本真理さんのことを書きながら、いろいろと思い出した。一時期荻窪のミニヨンには青柳瑞穂、瀧口修造、西脇順三郎、窪田般彌、中井英夫、相澤啓三、種村季弘、三枝和子、斎藤慎爾などが集っていた。その中に真理さんもいらして、わたしなどは仰ぎ見ていた。同世代にも天才児や問題児が多く、大方は若くして亡くなられたが、一時は綺羅、星のごとき状況だった。例えば、編輯者にして造本家だった椿花書局の中山さんはわたしの手に負えない逸才だった。
 たった今、少年院から出てきましたと云うニヒルな相貌、あまりに冷たい眼差しに、どのような幼年期を過ごしたのだろうかと想像させるような暗い青年だった。わたしは礼儀正しい人間をまったく信用しない、その理由は誠実さに欠けるからである。寄らば斬るぞ、と云った雰囲気で懐に匕首をひそめるタイプのみ信用する。彼については掲示板1.0で詳しく書いたが、ミニヨンにかかわった他の編輯者など、彼に比べればまるで赤児である。
 中山さんと最初に遇ったのは神戸の拙宅だった。鈴木信太郎の訳詩集「ポエジー」の特装本を小脇に抱えて彼は現れた。装訂ではなく造本の基本について語りあかしたのを覚えている。装いは二の次ぎで、守るべきは麻糸による糸縢り、巻き見返し、捨て紙、額貼、本文共紙、遊び紙、限定記号の活版刷り。してはならないこととして回し取り、別丁立て、表紙や貼函への絵画の印刷(木版絵の直刷りを除く)、そして何よりも精興社に代表される東京式印刷(天地逆転)の拒否等々、造本に関してはなしができた生涯唯一の機会だった。
 先日、間村さんが「耕衣百句」の本文に用いた一号活字が分からないといっていたが、あの活字は元活の活字で今はなくなってしまった。昔は元活、日活、秀英、築地、岩田と云った活字メーカーがあって、文字の形や縦横の肉の比率が異なっていた。旧漢字を揃えるには上海や台湾から活字もしくは字母を輸入するしかなく、上海の活字にもっとも近いのが元活の活字だった。
 中山さんはわたしより二歳ほど年下だったと思うが、大変な人が現れたと畏怖の念に打たれた。暫時、彼が出版をはじめ、わたしにはできない基本を守り続けているのを知って嬉しくなった。旧漢字は当方の専門と思っていたのに、彼が上梓する書冊は見事な旧漢字が並んでいて、どこで揃えたのかかなり苦心の後が見受けられた。その彼を病魔が襲い、三冊の歌集を遺して逝った。昨今の出版界にあって、彼が大切にした基本はひとつとして守られていない。もっとも、そのような安価な書物をのみ大衆は求めているのだが。
 さて「ポエジー」である。わたしは丁寧にお断り申し上げた。貴重な典籍以上の贈り物を彼から頂戴したからである。一条の光を、夢を求めて彼は驀地に死地へ赴いた。彼もまた南柯の夢を追う幻の狩人だったと云えようか。


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2011年06月06日 16:21に投稿された記事のページです。

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