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懐疑   一考   

 

 昨夜、伊波普猷や仲宗根政善の生涯を描いたETV特集を見ていて涙す。日本人なら標準語を遣えと命令され、沖縄方言を遣う者は米国の間諜とみなされ処刑された。旧軍部は朝鮮に於けるのと同様の振る舞いを沖縄でも続けた。それは戦後も長く続き、琉球大学の琉球文学に執筆した多くの学生は退学のやむなきに至った。琉球大学国文科の助手や学生など若者たちによるおもろ研究会(沖縄の万葉集と云われる)の発足が1968年。その学生たちによって細々と続けられた琉球方言研究クラブが中心になって沖縄言語研究センターが設立されたのが1978年。禁じられていた「しまくぅとば」が小学生に解放されるのは沖縄返還後、十数年を経てのこと。
 ちなみに、同じことをアイヌ民族相手に日本人は強いてきた。いづこの国も同じであろうが、日本の歴史も血で彩られている。日本語に恨みはないが、日本語を用いる国民、大衆には恨みを感じる。ひとは常に徒党を組む、数は権力を生み権威をもたらす。その権威は伝統や歴史の名でもって少数者の生命を簒奪する。日本の歴史もまた多民族の否定であり、異民族虐殺の歴史である。
 「国旗掲揚」で触れたことと消息は同じである。日本語や国旗そのものに罪があるわけでない。運用する側の心根に問題がある。特定の民族や社会、団体が長い歴史を通じて培い伝えてくるところのものは個とのあいだに齟齬を生む。その食い違いに常に身を晒しつづける精神的在り方があっての歴史であり、伝統だと思うのだが。


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2011年06月20日 11:39に投稿された記事のページです。

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