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日刊ゲンダイ 2017年8月22日    一考

 

今なお残る疑惑 血の気が引いた「日航123便 墜落の真実」 斎藤貴男

 乗員乗客520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故は、1985年8月12日に発生している。33回忌を迎えた先々週12日にも墜落現場となった群馬県上野村の御巣鷹山に259人のご遺族が集まり、追悼慰霊式が営まれた。

 忘れられてはならないのは、しかし、犠牲者たちの無念ばかりではないはずだ。単独機の航空事故では史上最悪の惨劇であるにもかかわらず残された、おびただしく、かつ根本的な謎の数々も、である。

 自衛隊ヘリによる生存者の救出作業が始まるまでに、墜落から17時間以上も要したのはなぜか。事故機の周囲に戦闘機を目撃したとする近隣住民らの証言が時に聞かれるが、そのことは何を意味するのか……。

 前者については、事故直後にたまたま近くを飛んでいた米軍輸送機の乗組員が、衝撃的な手記を週刊誌に寄せたこともある。現場はすぐに特定され、早くも2時間後には米軍ヘリが到着したのだが、突然、救助ストップの命が下ったのだという。

 事故調は“修理ミスによる後部圧力隔壁の損壊”に原因を求めたが、はたしてそうか。定説を覆しかねない情報や矛盾の分析を試みる論者はこれまでも少なくなかった。

 新説のいくつかには私も触れて、なるほどなあと感じてもいた。とはいえ矛盾の指摘にとどまっていては、残念ながら“謀論”の誹りを免れない。

 ところがこの7月に河出書房新社から刊行された青山透子「日航123便 墜落の新事実」を一読し、血の気が引いた。遺族や目撃者らの新証言や、当時の山下徳夫運輸相(故人)への取材などを積み重ねて、青山さんは確信に近い仮説を導き、強く示唆している。

 すなわち、事故機を仮想敵機に見立てた米軍ないし自衛隊機による誤射、あるいは突発的事故――。

 実際、技術畑の遺族の中には同様の疑いを抱き、独自に調査を進めた人もいるらしい。大手メディアが黙殺したので、私自身を含めた圧倒的大多数が知らないだけである。

 青山さんは日本航空の元スチュワーデス。本書の版元が定評のある大手出版社であることも、もちろん重要な要素だ。

 政府は今、過去にも増して米国との軍事的一体化を強行しつつある。青山さんには敬意を込めて、さらなる追及を期待したい。と同時に、彼女の成果をより発展させ、今度こそ真相にたどり着く努力を急ぐのもプロのジャーナリズムの責務であり、この国の将来を救う数少ない道のひとつだと、私は信じる。自戒とともに。


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2017年08月22日 21:57に投稿された記事のページです。

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