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ある書物   一考   

 

 このところ、のんちさんと本を読んでいる。某死刑囚の句集である。3・11の具象はなにもない。、ただし、抽象としての3・11は存在する。3・11に限らない、ことごとくの事象は濾過されてある。具象とは社会であり、抽象とは精神である。戦後、弁証をここまで掘り下げた書物はあるまい。封じ込められた窓との数十年に及ぶ対話、窓に吹き込むわずかな湿気が彼の手に震えをもたらす。
 わたしは何年ぶりに書物を繙いたろうか。何年ぶりに文学と出遇ったろうか。自分が読む書物は自分で撰ぶ、この当たり前を何年忘れていたのだろうか。

 掲示板のはじまりに「年始の挨拶は辞宜します。世界二十八箇国三十二地域で殺戮が行われているなかにあって、何がいかように「めでたい」のか迂生には皆目見当がつきません。
 挨拶は日常の人間関係を円滑に取り運ぶための儀礼的な相互行為であると同時に、人間関係を疎遠にするためにも交わされます。仮に前者であっても、紐帯を深めるための儀であれば控えさせていただきます。友とは影のように付き従うものであって、決して獲得するものでも出遇うものでもないのです。眼前に私情を携えての友誼など迂生にとっては毒にも薬にもなりません。
 私情すなわち好悪、言い換えれば趣味と称する自己宣伝を諾うことに難儀致しております。あまつさえその能書に追従や欺瞞が加味されるソーシャル・ネットワーキングなど論外だと思います。当掲示板の行き先はまったく異なります。個の搏動を伴わない虚礼を排し、どっちつかずな不本意な遣り取りを廃するところからなにかしら滲み出てくるものがあればと、それだけを冀っているのです」と書いた。
 その原点に立ち帰りたく思う。従って、今後一切の書物の寄贈をお断り申し上げる。美辞麗句を並べ、考えることを失念した書物など今後一切読みたくもない。また情念があると思い込んでいるような浅薄な書物はさらに無用である。世間を狭めるとまた叱られそうだが、わたしは与えられた余命を思うがままに律したいとおもう。(7月25日) 


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2012年07月28日 14:23に投稿された記事のページです。

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