ブラックアウトのような処理仕切れない痛みはどうにもならないが、昨今の穿刺による痛みは異なる感慨をもたらした。まず生きているとの実感、言い換えれば生に対する執着である。執着するほどの未練があるわけではないが、このようなことで死んでたまるかとの気概である。
痛みというのは不思議なもので、限界を超えるとひとは受け身にならざるを得ない。しかし臨界点以前だと無性に戦闘意欲が湧いてくる。
わたしの余命はと云う前に、こんなことでは死なないな、と思う。かつて憩室から下血した折にも同じように思い、そして死ななかった。思い込みがすべてとは云わないが、寿命が近づいてきたとき人はそれとなく悟るものである。透析をはじめて四箇月、少なくともわたしの死因は別なところに在ると信じるに至った。
震災で生き延びて十六年、下血で生き延びて一年余、腎不全で死に損なって半年、まるで悪霊にでも取り憑かれているようである。