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緊急入院1   一考   

 

 31日 下血 37.0度 腹痛
 01日 下血 37.6度 腹痛
 02日 下血 37.5度 腹痛
 03日 下血 37.3度 腹痛
 04日 下血少量 37.3度 腹痛
 05日 下血止む 37.3度 激しい腹痛
 06日 37.3度 激しい腹痛

 1月31日から2月4日まで拙宅で下血。病院へ到着したのは7日の8時、その時点で下血は止まっていた。一時間後の9時に下血による貧血で昏倒。よく分かったことは、下血初日にお襁褓をして、垂れ流しの状態ででも病院へ行くべき。それだけが今後助かる唯一の手立てである。
 7、8日は完全看護の元に置かれ、禁飲、禁食。9日の昼食から粥が出たが、5日後の14日には再度下血で二進も三進も行かなくなった。
 繰り返すが、初日ならどのような無理をしてでも病院へ行かれる。ただし、病院の駐車場が初日2000円、後は一日500円、一箇月17000円かかる。垂れ流しのお襁褓履きで電車に乗られるかどうかは疑問、おそらく援助がなければ階段の上り下りができないだろう。

 今回ばかりは簡単に病院から出られないと覚悟した。外出はおろか、風呂へ這入ることも、売店へゆくこともできない。そこで、病気に関する記述を日誌仕立てで書き継ぐ。

追記2
 2月14日15時50分、再度下血。今までの下血とは傾向が異なるような気がする。深夜より点滴再開、15日10時の段階でデノシン(サイトメガロウィルスの薬、1日2本)や抗生物質を含む8本の点滴。入院時の状態に逆戻り。免疫抑制剤を限界まで落とし、その間に憩室からの出血を治す予定。
 9日から出ていた粥が停止、14日夕から取り敢えず17日まで禁食。Hb(ヘモグロビン)が6.8、来週には輸血の予定。それにしても、透析時と違い、今はドナーの腎臓が生きている。それで造血されないとは。

追記3
 16日3時、6時ふたたび下血、血量いささか多く、下腹痛し。退院は愈遠のく。今回の下血でさらにヘモグロビン値が下がる。いつ失神してもおかしくない状態、持って行かれないように全神経を集中、気の張りを弛めたらおしまい。

追記4
 穿刺に自信のある看護師が輸血ラインを拵えに来る。血管はさらに硬化していて、傷跡だらけで刺す場所がない。最初に来てくれれば良かったのにと思う。一度目は失敗、二度目に成功。取敢えず5単位を16日午後から緊急輸血。栄養剤、デノシン、止血剤、抗生物質など多数を平行して点滴。禁食の間、点滴は24時間間断なく続く。

 血液検査の針は細いのでどこへでも穿刺可能。左手の血管は基本的に動脈である。ただし、シャント箇所は手首、そこより先は静脈なので問題ない。そこで左手の甲の血管を用いることを提案、3本の血管を遠慮なくぶすぶす刺していただく。看護師は大喜びだった。

追記5
 輸血によってヘモグロビンが8.8まで好転、しかし予測より低いのは下血分か。
 17日午前3時下血。どうやら本格的な憩室下血がはじまったようである。輸血しながらの下血ゆえ、安心と云えば安心だが。禁食期間は下血終了後プラス3日の日数で順延。

追記6
 18日、やはり下血。
 これだけ禁食が長引けば体重への影響大。moonさんによると、神戸のインド人は部族(宗派)によって一週間から一箇月の断食期間があるそうな。時間はたっぷりある、その一箇月に挑戦してみようか。

追記7
 19日14時、20日5時、相変わらず下血は続いている、と云うことは禁食もつづく。微熱なく血圧等体調良好、この体調良好に医師は嗤う、良好なら下血はせんだろうと。わたしもそう思う、思うが体調がよいのも事実である。看護師はわたしが今にも下血によって昏倒するかの扱いだが。
 それにしても、憩室は出血しやすいが、普通は4、5日で止まるものである。内視鏡をもう一度入れてみようかと医師、私は下血が止まるものならなんでも試していただきたい。

追記8
 20日9時半、下血止まる、少なくとも止まったように思われる。これで止まれば嬉しいのだが、糠喜びにならぬよう願う。

 心電図を取り、心臓血管センターで診断を受ける。改めてホルター心電図を装着、24時間の不整脈を調べるそうな。失神の原因を多方面から調査中なのだが、わたしは貧血だと睨んでいる。他方、医師は念のためにヨード造影剤によるCTスキャンを撮ると云う。こちらは憩室以外の出血の有無を全身の血管から調べる。二度の内視鏡(結局三度になった)、三度のCTスキャン、検査漬けとはこのこと、どこの重病人かと思う。

追記9
 21日6時、下血が止まって二日目。順調だが気は許せない、と、ここまで書いて昼頃下履きに結構な血の跡。予定は御破算に。

 ホルター心電図、造影スキャン共に異常なし。異常は偏に憩室からの出血。
 ヘモグロビンが僅かに上がっている。輸血時の8.8がもっか9.5。この程度だと再度輸血が必要になるのは明らか。

追記10
 22日5時、液状もしくは粘液状になった血が大量に下履きに付着。自身の消化器系のコントロールを失ってしまった。看護師がパットを貸そうかと、紙オムツを購入するので不要と応える(オムツの私物は使用禁止だそうである。病院の専属業者との契約が必要とか)。
 憩室ではないが、出血が止まらず、一箇月ほど禁食を続ける患者が屡々いらっしゃるとか。どうやら今月中の退院は難しくなった。

追記11
 22日、消化器内科の診察を受けることになった。これがわたしにとって最後の「藁」。こうなれば何でも彼でも掴む覚悟。
 消化器内科の医師はさらなる内視鏡は必要なし、と。この二日間の下血の色に濁りがある、それゆえ、出血は憩室からサイトメガロウィルス腸炎へ移った。憩室からの出血なら鮮血だそうである。
 内科医の指示によって昼から食事が出ることになった。これで「虐待」は終了、八方塞がりから一転、なにかが見えてきたような心地す。慎重に食を進めるようにとのアドバイスあり。

追記12
 久しぶりの粥に鮭が一切れ、それと吸い物の低残渣食。カリウム、塩分制限食(6グラム未満)。自炊の場合は塩は一切使わないので、さらに低い。
 それにしても美味い。賤しいはなしだが、食物は噛むもの割くものであって、栄養補給剤のように飲むものではない。
 入院生活が長くなると味のない粥がとっておきの馳走に思えてくるから不思議。その粥との縁によってふりかけの達人になった。食品制限ゆえの自炊が基本である、よってプレタポルテは一部の寿司と病院食ぐらいなもの、そこへふりかけを加えなくてはならない(ふりかけは塩分が高いが、一食で使う量が5グラムなので問題なし)。

追記13
 23日2時40分下血、鮮血。食事は昨日の昼と夜でお仕舞い。わたしの知識など葦の髄から天井のぞくの類だが、どのように考えても憩室からの出血。「出血は憩室からサイトメガロウィルス腸炎へ移った」と云えるのかどうか。長い禁食からか、便そのものは未だ出ず、便通をもって判断すべし。

追記14
 23日5時45分、6時50分、9時25分、11時10分、18時15分、20時40分便通。海嘯のごとき下血。憩室とサイトメガロウィルス腸炎の双方からの出血でないのか。これでまた貧血が亢進する。症状が貧血に止まるわけもなし、気が滅入るのを禦ぐ手立てなし。
 お襁褓を二重三重に穿けばもごもごして歩かれない。しかし、二重三重では溢れてしまう。一体、何を穿けばよいのか。看護師はゴム引きのお襁褓しかない、と云う。

 23日14時、車は7日から病院の駐車場に起きっぱなし、このままではバッテリーが上がる。そうなればレッカー移動だが、レッカー車が病院の駐車場へ這入らない。林自動車に泣きつき、車を引き取っていただくことにする。

追記15
 23日深更、14日の下血再開後、最大の出血。
 入院が長引くほど危機的状況に到る。禁食を続けた方が良かったかなどと様々な思いが心に浮かんでは消える。

追記16
 23日に続き24日はさらに大量の下血。ヘモグロビンは6を切る。別項を設ける。

(註 追記を屡々遣いますが、意味なく遣っております。どうかよろしく)


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2013年03月19日 03:46に投稿された記事のページです。

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