鴨鍋に必要なものの一部を仕入れにゆく、併せてビールもである。何時ものマーフィーズ、ボディントン、ギネス、白生などを各四本づつ、手に持ってですぺらへ戻る。道半ばにして動かれなくなる。あとは休みながら時間を掛けて歩くしかない。
わたしが子供のころ、アトピーなる概念は一般的でなかった。よって分類はアレルギーもしくは蕁麻疹である。そしてわたしは蕁麻疹に苦しめられた。因果関係はいまだに分からないが、発疹、鼻炎、吃音等々、さまざまな疾病に遭遇してきた。
例えば、よく喧嘩をしたのは吃音がもたらす精神的緊張と意志疎通が思い通りにいかないことが理由である。先日、「すうどん」のことを書いたが、あれは「かけうどん」の最初の「か」が発音できないからである。わたしが「かけうどん」を注文すると必ず「ぶっかけ」が出てくる。それが分かっているので「すうどん」としか注文できないのである。これは吃音者にしか理解されないが。
蕁麻疹は二十歳ぐらいで収まっていたのだが、腎臓が悪くなってから同じ症状が再発した。わたしが風呂嫌いになったのは、風呂自体は良いのだが、その後は全身が引きつれたようになる、あの感覚が嫌なのである。毛細血管かリンパ管か汗管かなにか分からないが、その一本一本に七味唐辛子を擦り込むようなぴりぴりした感覚なのである。弱電気を流されて皮膚が剥がれ浮游してゆくような感覚、それが長く続くといつしか激痛に変化する。
人と暮らすと、風呂へ這入ることを強く勧められる。当たり前といえば当たり前なのだが、それがいかような苦痛をもたらすかについては前述の吃音と同じで、おそらく経験者にしか理解されない。
右足の痛みもさることながら、ビールをぶら下げた手にはじまって、ぴりぴりしたもしくはびりびりした痛みが全身を蠢く。それが理由で立ち止まってしまったのである。狂いそうになる種類の痛みであって、全身を掻きむしりたくなる。この種の痛みには慣らされてきた筈なのだが、どうにもならない。汗をかく夏が思いやられる、その頃まで生きていたとしての話だが。