狐臭と長く連れ添ってきた。過去形なのは腎臓を疾んでから新陳代謝が衰え、汗をまったくかかなくなったからである。従って、長年世話になった制汗剤の類いは不要になった。体臭がなくなるというのは不思議なもので、なにかのはずみにわたしは存在しているのだろうかと疑念が湧く。動物が写真や鏡に驚かないのとおなじで、臭いのないところに存在はない。
人工透析をはじめたのが八月末、ほんの少し代謝が戻ってきた。その証拠に垢が出るようになった。うっすらと汗もかくようになった。平行してわずかながら体臭も感じられる。まるで存在が復してきたようである。年と共に体臭は薄れてゆくものだが、あまりに淡れるのは淋しい。流れる血と同じで、存在の数少ない証のひとつである。まだ用はないのだが、制汗剤を買ってきて飾っておこうと思う。いまだけだから。