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医師から学ぶ   一考   

 

 薬を飲まない医師はいないし。治療を受けない医師もいない。埼玉には透析治療を受けている医師がいたし、東京には臓器移植をした医師がいた。ただし、わたしに臓器移植手術を施した医師は、わたしなら移植はしないと云い、もうひとりの医師は透析治療もしないと云っていた。この辺りは個々の人生観によるものと思う。
 透析は延命治療であって拒否すれば即、死を意味する。それを承知で医師と話し合えるのは、患者の選択権、自由意志を大切にする医師でなければかなわない。かつて山崎医師と出会い、そのような医師が現実にいらっしゃることに気付かされた。山崎医師との晤語は治療でなく、定めなく迷い、揺れ動く人生についての語らいだった。
 2010年夏、わたしは生き延びる途を選んだ。当時の書き込みを読むと、こころのほつれ、懊悩が如実に顕れている。生き延びる途を選んだことが息苦しく、後ろめたくて、山崎医師に別れも告げず逃げるようにして東京を後にした。

 自らが病むことによって、さまざまなことを知った。例えば、透析治療の種類の多さに驚かされた。わたしが受けた透析、すなわち慢性腎不全の透析はその内なる一療法で、血液や血管、肝臓、心臓などなど、あらゆる病気から人工透析に至ることを知った。
 臓器移植で逡巡するわたしに山崎医師は輸血はどうなんでしょうか、輸血は臓器移植の基本ですが、と。独断と偏見などと嘯いてみてもなにもはじまらない。ひとの知識はあまりにも偏っている。それゆえ、一般論で括るのはほとんどの場合意味をなさない。また、反対意見は必ずしも誤謬に当たらない。あらゆる意見に耳を傾け、個々の違いにこそ思いを致すべきでないだろうか。


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2017年03月31日 18:19に投稿された記事のページです。

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