身の回りを書物が飛んでゆく、わたしはパソコンを押さえていただけ、と幹郎さんが仰有っていた。拙宅は回りに積み上げた引越荷物が三方から崩れ落ち、蒲団のなかのわたしは身動きができない。隣の部屋では書物と酒が交互に乱れ飛んだようである。地震は経験済みなので愕かないが、割れたウィスキーの匂いには悩まされる。今のわたしは酒を嗜まないからである。
早朝から片付けをはじめて、やっと人が歩けるようになった。もっとも、ウィスキーは整理して並べていたが、それらは目茶苦茶になった。これから拭き掃除に使ったタオル数十枚の洗濯である。それにしてもアードベッグの六十九年蒸留の高級品は勿体ないことをした、十五、六万円はしたろうに。末期の水として取り置いていたボトルだったが、これは冗談。
片付けが一応済んだのでテレビを見る。どのチャンネルを見ても神戸の長田を想い起こす。わたしにとっては心底忘れられない記憶である。わたしが季村さんの書きものに惹かれるのは、それらの記憶と季村さんの存在とが混在しているからなのか。いずれにせよ、所有する「もの」に対する執着がなくなった。それは世界観が変わったに等しい。
東葛クリニックの猪俣さんのことは書いたが、わたしに残された日々を託すのはかかる病院なのかもしれない。いっそ、松戸で食堂でもはじめようか。
中村元昭さん、前田昌雄さん、隆さん、また電話をいただいた方々にも御礼申し上げる。