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書きたくないこと   一考   

 

 選択が自由意志によってなされると思ったことは一度もない。そもそも、自由という言葉の概念の持ちようがまったく異なる。しかし、それを書き出すと長くなる。従って、いずれ別項を設ける。
 ここで書きたいのは私のようなやんちゃな人間と紳士淑女は付き合うべきではないということである。北海道行きを書いたときに憶いだしたことがある。十代のころ、旅をするから付き合えと飲み屋の女性を引っ張り出した。そのまま松山まで趨き、半年ほど寝起きを共にした。その彼女もヒロポン中毒で、松山で親しくするやっちゃんに面倒を掛けた。
 先月、連載の一度の休載を求めて季村さんにメールをお送りした。ひとさま宛のメールだが、書いたのは私なので、一部を転載しても構わないだろうと思う。

 私もいろんな女性と付き合いましたが、過去はおろか、実家、親、兄弟、学歴、賞罰等々、訊ねたことが一度もございません。また、今どこでなにをどうしているやら、皆目見当すらつきません。
 私を育ててくれた父の愛人は界の方にいると聞いたのですが、捜す気はありません。十代なかばの頃、圧倒的な影響を私に与えた同性愛者のピアニストも、吹田の方で存命と聞きましたが捜す気はありません。ある日兵庫署から電話があって、付き合っていた女性の身元引き受けを依頼されましたが、覚醒剤で前科三犯と聞かされました。盲判を押してとりあえず引き取りました。私のもとを去るまでかかわりは続きましたが、ヒロポン中毒だということ以外、あれが本名だったのかどうかも訝しく思っているのです。ただ、海の好きな女性でよく須磨の海岸へ行きました。ひとは描かれては波に掻き消される暫定的な存在です。ひとは現れては去ってゆくもの、それでいいのだと思っています。

 繰り言は以上である。福原で生れた人間に真っ当な人生など送れるはずがない。それを承知しているものの、よく忘れるのが私の欠点である。されば、相手を怒らせてでも、深入りする前に縁を切るのが私の調法である。回りに迷惑を掛けっぱなしで申し訳なく思うのだが、やんちゃに常識は通用しない。
 「当時の私の仇名は『狂犬』、それだけでお分かりいただけるかと思う。十代の頃は荒れていた、ひとも社会も許すことができず、手当たり次第に叩き壊すといった反抗的な生活だった。煉瓦や鉄パイプは言うにおよばず、刃傷に及んだことも一度や二度ではない。触れれば傷つき、火傷するような熱い日々を送っていたのである」とかつて書いた。毒を持つ人間は恐い。唾でも吐きかけて立ち去ることをお薦めする。


 6月15日 23:25に投稿したものの、操作ミスによって消えてしまった。消えたものは消えたでよいのだが、一応再投稿しておく。「北へ」を除く四編はリンクしている。その顛末は後日触れることになると思っている。


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2007年06月16日 05:56に投稿された記事のページです。

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