若き友、日髙夏生さんが帰郷するというので、目白の田中屋を紹介した。もちろん栗林幸吉さんである。田中屋には電話ボックス風の区劃があって、展示品の倉庫代わりに使われているのだが、そこにわたしの名刺が張り出されているそうな。
「一考さんとの酒はたのしい、笑いころげて飲みました」と栗林さん。いまは日髙さんや細川のママと酒を酌み交わしている。「ウイスキーを飲むのは時を呑むこと」とは栗林さんの名言だが、旨いウイスキーは氷とおつまみ、そしてマキアージュを峻拒する。虚構・虚飾・脚色を捨てたところにのみウイスキーは存在する。
種村季弘さんが死の直前、頻繁にですぺらへいらしたことがあった。ウイスキーは飲まれなくなり、ワインのミニボトルすら覚束なかった。それでも、実に旨そうに呑まれる。帰られたあとに残されたボトルのワインの量は日々増えていった。遣る瀬なさだけがあとに残る、わたしは厨房でひとり涙ぐんだ。