自らの命が危うくなるまで透析をしない、このような患者も珍しかろう、と山崎医師から一言。相済まぬことで申し訳ない。自分の身体の限界点を知りたかっただけなのです。流石に透析をはじめようと思ってからはじまるまでのあいだは死ぬ思いを味わいました。何度か諦めかけたのです。済んだことだから云えるのですが、渦中にあってすら、生きるべきか死ぬべきか迷い続けていたのです。意識が跡切れる瞬間、これですべて終わったと思いつつ、三十分後には意識が戻る、そのような莫迦なことを何度か繰り返して、状況を記憶させようとする自らの意志を確認して参りました。同時に、意識とか意志と云ったものが存在の本質とはなんら縁のないものと知りました。肉体から肉体が内包する意識に至るまで、およそ即物的なものだとよく分かりました。
当たり前といえば当たり前なのでしょうが、わたしにとっては未知なるわたしの部分と何度か再開したような気持がします。山崎さんの示唆するところを我流に曲解し、不要なご心配をお掛けしたことを深くお詫び致します。でも、わたしのようにざわざわした人間にはあのような生き方しかできなかったのも事実なのです。なにごとによらず、おそらく死ぬ日まで狼狽し、迷い続けるのでしょう。
透析には這入ったものの、新しい病院で懐疑的なことを口にして看護師を困らせています。どういう状況に至っても逡巡はなくなりません。きっとわたしの癖なのでしょう。どのように処理すべきなのか分からなくなれば、これからも何度も浦和へお伺いします。その折はどうかよろしくお願い致します。