二号線を走っていて新幹線西明石のガード下で他のバイクに追突した。先方は大した損傷もなかったが、当方のバイクは動かなくなった。降りてきたひとが「大丈夫ですか」といいながら当方のバイクの修理を試みる。「アクセル・ワイヤーが切れてるし、他にも・・・まかせてください」といいながら懇意のバイク屋を呼びつける。オカマしたのは当方、わたしが一方的に悪いのである。ほどなくトラックが到着、わたしのバイクを積み込んで、一緒に乗ってください。行き先は伊川谷のオートバイショップ。まったくの偶然だが、そのバイク屋の当時の店長もぶつけた相手のバイク乗りもですぺらを知っていた。店に集まってくる走り屋と同じ仲間だという。お近づきのしるしにと云って修理代を受け取らない。
moonさんもご存じだが、西明石のときの走り屋仲間に中尾さんや小松さんがいる。中尾さんは介護の仕事を、小松さんはもっか職に溢れている。前述のバイク乗りは小野でFRPの専門工場を、バイク屋で働いていた尾鼻さんは独立したと聞く。明石で唯一旧車(カワサキ)のパーツをハンドメイドで造っていた稀少業者、当時の愛車CBXの面研をやっていただいた大久保の専門業者、BMWのヘッドのバルブシート面を修整していただいた内燃機関屋さん(ガスを有鉛から無鉛に切り換えるのに必要)、忘れてならないのはチェイサーを185馬力から260馬力にまで改造してくださった毎日自動車商会、さまざまな業態のひとがバイクや車を中心にしてですぺらへ集まった。
昨夜、中尾さんから電話を頂戴した。多くは昨年の金融危機以来、酷い目に遭っていると聞いた。なんとか生き残っていただきたいと願っている。