ですぺら
ですぺら掲示板2.0
2.0








蕎麦佶更  | 一考    

 シャントは成功して退院。その影響でカリウムが6.0を突破、クレアチニンも10.0を超え、危険な状態。特にカリウムは心筋梗塞を誘発させる。時間がないので14日に再院し、18日から7、10日ほど再入院、緊急透析を施す予定。通常はシャント造設から二週間ほど待たなければならないが、血管が丈夫なので、一週間で透析に這入る。パジャマが出血によって汚れたため、洗濯に帰ってきた。
 緊急透析後だが、北里研究所病院の医師が素敵なところを見付けてくださった。江戸川の対岸、松戸橋を渡ったところにある東葛クリニックである。駐車場も完備、火、木、土曜の透析が可能だそうである。拙宅から車で五分の位置にある。三郷市南部のクリニックは全滅、市役所の担当者は診療を断わるなど三郷ではあり得ないと云っていたが、実態は二年以上新規透析患者を受け付けていない。ひどいところへ引っ越してきたものである。

 北里研究所病院正門のすぐ横に「佶更」という蕎麦屋がある。蕎麦粉は北海道産、挽きぐるみとか十割でなく、二八蕎麦だが、これが結構旨い。とにかくよく締り、蕎麦の実のつぶつぶ感が残る。蕎麦の甘味が強く感じられ、汁なしでもおいしく頂ける。饂飩同様、汁なしで頂けると云うのは最高の誉め言葉である。天麩羅には異議あり、やはり蕎麦だけを楽しんでいただきたい。聞くところによると。立川で三十年ほど営業、白銀へ越してきたようである。店内にはジャズが流れる、煙草も可能とか、三日月もそうだったが、煙草が呑める蕎麦屋はわたしにとっては最高である。蕎麦は美味いが禁煙というだけで寄り付かない店が多数ある。佶更は田堀よりわたしは格上と見た。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月13日 12:05 | 固定ページリンク




ですぺらは十六日から  | 一考    

 身体のなかが大変なことになっている。自分の身体の制禦がまるできかない。二十七日になればなんとかなるのだろうが、それまで身体を維持させる自信が完全に消え去った。取り敢えず、明日十日から十五日まで店を休む。今回はシャントを造設するための入院だが、透析が可能になる二十七日までなんとか生き延びるための方策を医師に相談しなければならない。情けないはなしだが、なにかしらの薬物に頼るしかなさそうである。
 いずこの病院も同じだが、電化製品の持ち込みは禁じられている。よって入院中、掲示板への書き込みはできなくなる。

 ですぺらは十六日から前田さん(元バーテンダー)の手助けを得ることになった。おっきーさんや木村さんの知己でもある。いずれ、前田さんによってですぺらの営業時間は明け方まで延長される。詳細は決まれば掲示板に明記する。よき首尾を願っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月10日 05:15 | 固定ページリンク




連絡をいただいたみなさんに感謝  | 一考    

 十一日は白タクが向かえに来てくださるようである。しかも、運転手と看護師が一緒である。運転手の名前は詩人、ありがたい話である。これで安心して内シャント造設術を受けられる。
 尿毒素が左脚に回ったらしい、痛くて動かれない。昨日は無理を押して店へ出たが、今日は休むことになりそうである。気を張りつめてですぺらを営んできたが、ここへ来て全身は襤褸襤褸の有り様。二十六日までの辛抱なのだが、一日一日が重く憂鬱である。

 このところ、麺麭食が増えている。食パンやクロワッサンなど軽い麺麭ばかりだが、理由は便秘に関係がある。ブラックアウトに至るときの生理状態を考えるに、どうやら便秘が関係しているように思われる。一日、二食なのだが、便通は三、四日に一度である。その便秘が酷いときにブラックアウトが起こっているように思う。ブラックアウトのとき猛烈な吐き気を伴うことが多いのもそこに理由があるのでは、と思う。
 便秘になる因果関係はカリウムと水分の制限のために食物繊維に富む野菜類や乳製品、豆類、海藻類を充分に取れないこと、要するに繊維質の不足である。それとリンを下げる薬、カリウムを下げる薬、コレステロールを下げる薬など、便秘になりやすい薬の服用がある。
 いくら低蛋白米でも飯は腹にもたれる。麺麭の方が少しでもましかと思って摂っている。日本蕎麦や中華麺よりは饂飩やスパゲティの方がよいとか、白滝のようなより効果的な食品があると思うが、こちらはこれからの勉強である。日本蕎麦はわたしの好物だったがリンやカリウムが多く含まれるのを知って愕いている。好悪による判断は慎重に避けなければならない。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月07日 18:28 | 固定ページリンク




再度、ブラックアウトについて  | 一考    

 M・Aさんは幹郎さんの知己で、某病院の婦長を務めた人である。関さんを通して何度かお話を伺い、直接お手紙も頂戴している。彼女のような方が当掲示板を読んでくださるのは非常に嬉しく、また心強く思っている。わたしの書くことが戯言でないと理解してくださるのは医学の心得のある方に限られるからである。
 それでなくとも、わたしも死ぬような目にあったとか、死の淵から生還したなどと囂しい。わたしは病を自慢しているのでも泣き言を陳ねているのでもない。それが理解できない人に当掲示板を読んでいただきたくないとすら思っている。当初、今回の病について書くべきか書かざるべきか随分と迷った。しかし、同じ症例(腎不全は病名ではない)を抱える人が二十万を超えると聞いて、書く気になった。末期腎不全のさらなる症例を細かく書き留めておくのはこの種の病を客体視する上できっと役立つと思ったからである。
 わたしは特別な人間でないし、特異な人間でもない。人はいずれ死ぬのだからと屡々口にするが、そのような達観を持っているわけではないし、運命論者でもない。避けられるなら透析は避けたいし、人工臓器に繋がれて命永らえるほど価値のある人間だとも思っていない。要するに誰もが考える程度のことで自ら悩んでいる。ただ些かやんちゃだったので、喧嘩はよくした。今思うに、おぞけを震うような喧嘩の繰り返しだった。両手、両脚を何度か骨折し、また骨折させられた。交通事故で上半身が砕けたこともあった。そのような目にあっても怖いと思ったことは一度もなかった。それどころか、喧嘩で骨折とは滑稽以外のなにものでもないと思っている。今回ブラックアウトと遭遇してわたしははじめて真剣になった、はじめて恐怖心を抱いたのである。

 手に汗を握るとよく云うが、その因果関係が心理的なものか生理的なものかは意味をなさない。双方を分離して考えることはできないからである。気を失う時、人の身体は汗でびっしょりに濡れる。滴りおちる汗に個体差はなさそうである。あの汗は恐怖心からきているのでないかと思っている。わたしは自分の症例を知るに認知行動療法の手法に範をとっている。要するに、徹底的に自分と話し合っている、話し合いのなかから明日の自分が垣間見えてくる。
 ブラックアウトは意識の消失という一点においてすこぶる暴力的である。自らの意識や意志が奪われるが故におそらく最も死に近いものと思われる。ブラックアウトは事前に予知できる。衝撃に見舞われ、やって来るなと身構えた瞬間から気を失うまでに三十秒ほどのタイムラグが生じる。この三十秒は想像を絶するほど長く感じられる。薄れて行く意識と知覚を取り戻そうとする意志力との葛藤であり、闘争である。抗っても無駄なことは分かっているのだが、その抗いのなかにこそ、わたしの生に対する思惟の大略がある。生への思惟、それは生への深い悲しみでもある。
 昏倒するときに注意しなければならないのは頭部への打撃である。それを防ぐのは最後の最後まで抗うことだけ。途中で自分を投げ出して諦めたらお仕舞いである。意識が消え去る一秒か二秒前にわたしは自ら倒れるようにしている。しゃがみこんでから痙攣がはじまるようだが、その段階では既にに意識はなくなっている。やんちゃと書いたように反抗精神だけは発達している。それを逆手に利用しているのである。
 昏睡状態の記憶があるのかどうかはわたしには分からない。ただ、名状しがたい苦痛と恐怖が残される。可能ならば意識消失それ自体を把握し記録したいと願っているのだが、思うようにならない。ブラックアウトとはよく云ったものである。明晰さといってもさまざまな明晰さがある。一般的な意味に於いてわたしは明晰というものを信じない。ひとの生は想像する以上に渾沌としている。わたしはきっと、その渾沌を渾沌として捉えようとしているのかもしれない。
 それは夢の分析と似ていなくもない。異なるのは苦痛と恐怖に彩られている点であろうか。悪夢というものもあるが、その悪夢だけが抽出されて長く続くといった塩梅であろうか。あまりに酷い悪夢の場合、ひとは無意識に夢を遮断する、強制的に覚醒するのである。ところが意識消失にはそうした無意識の防禦反応がまるでない。きっと無意識自体が広い意味で意識の領域に属しているのと違って、別の領域の出来事なのであろう。言い換えれば、最初から安全回路が設けられていないのである。意識消失は死に寄り添う影のようなものと心得ている。
 状況があまりにも苛酷な場合、自らの意志で制禦できないことに逢着すると人は悲しみを憶える。その悲しみのなかにこそ文学がある。わたしは知識や書物を文学だと思ったことはない。自らの生に対する抗い、その息遣いこそが文学だと思っている。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月06日 15:08 | 固定ページリンク




M・Aさんへ  | 一考    

 お気遣いありがとうございます。先程役所から戻ってきたばかりです。介護認定は65歳以上もしくは糖尿性腎症のみ有効で、63歳、非糖尿性腎症のわたしは条件外になります。ちなみに、福祉タクシーは一種一級の場合、月二枚基本料金(1440円)のみ補填されるようで、しかも県内のタクシーに限るとのことでした。要するに、福祉タクシーはなんの役にも立ちません。
 介護タクシー会社に電話で問うたところ、歩けるならタクシーの方が廉く済ませられると云われました。一般のタクシーであろうが介護タクシーであろうが、料金に大差はなく、そこへ介護料金が加算されるとのことです。
 介護保険が不可能なので、ヘルパーはもとより、車椅子の補助も出ないそうです。当地のタクシー会社に聞いたところ、ハイヤーなら14000円で行くと云われました。二往復で56000円だそうです。諦めるしかなく、他の手立てを考えることにしました。
 いつもご迷惑をお掛けし、申し訳なく思っております。今回は当方で処理致します。この段階で他人様に甘えていては将来が思いやられます。どうも有り難うございました。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月06日 14:03 | 固定ページリンク




お近くの介護サービスの事業所に  | M・A    

毎日の暑さ、お身体きついことと思います。
一考さんのご自宅の近隣で、介護サービスをやっている事業所に相談されてはいかがでしょうか。
まだ介護認定は受けておられないようですので自費になってしまいますが、通院介助というのもあります。
1時間いくらという設定だと思うのですが、介護認定がおりればさか上って料金を返してくれる所もあるようです。
それから、お住まいの市で介護タクシーのチケットを出してくれる所もありますが。
付き添って電車で行かれるか、介護タクシーを使って車で行くか、予約状況や料金など検討してみてはいかがでしょうか。
それでも無理な場合は、ご連絡ください。11日から夏休みですので。
車は運転できるのですが。23区内には乗り入れたことがありません。
電車の付き添いならば可能です。


投稿者: M・A      日時: 2010年08月06日 08:21 | 固定ページリンク




中断証明書  | 一考    

 BMWの自動車保険契約中断証明書が送られてきた。新契約時のノンフリート等級は20等級、有効期限は平成32年7月8日となっている。明石の毎日自動車商会の手を煩わせた、感謝したい。
 もっともこの保険を再び使用する日がやってくるかどうかは分からない。過去に於いて自動二輪車に乗っていたとの証明にしかならないのかもしれない。

追記
 珍しく伊藤敬さん来店。ジャン・ロランの翻訳をなさっているとか。
 時悪しく、ブラックアウトの予兆、猛烈な吐き気と吹き出す汗、伊藤さんに失礼してトイレへ飛び込む。いつもの癖で鍵を閉めたが、もしもの時を考え周章てて鍵を開ける。十分ほどでなんとか押さえ込んだが、足下はふらついたまま、伊藤さんに申し訳ないことをした。それにしても体力のなさに呆れ返る、この辺りが限界かもしれない。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月05日 21:21 | 固定ページリンク




介護サービス  | 一考    

 二十七日から血液透析に這入るので二十七日からの入院にはなんの問題も生じない。退院時にはいささか元気になっている。それまでの間、どのようにして日々を送るかである。一番の問題はシャント造設のための十一日からの三日間の入院である。例によって運転ができる友人はいない。松戸から日暮里経由恵比寿までの道程だが、電車を利用するしかない。荷物があるのでブラックアウトに陥る可能性が多分にある。なにかしらの介護サービスはないものか、頭を抱えている。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月05日 18:05 | 固定ページリンク




交通渋滞  | 一考    

 今回も出血を伴う手術である。梅毒や肝炎はじめさまざまなウィルス検査が事前に必要になる。その内HIVは任意だそうである。わたしの身体には大量の血液製剤が注入されている、従って病院としてはなおさら調べる必要がある。三枚の同意書に署名したが、もしも患者がHIV検査を拒否した場合はどうするのだろうか。深部の動脈を引っ張り出して静脈と繋ぐのだからしかるべき出血はある。感染の危機に身を晒す医師はたまったものでない。
 北里の医師からも透析後の身体の疲れはさらに増すと云われた。それと水分制限をはじめなければならないようである。取り敢えず、五百ミリリットルにまで減らすように、と。一日、コップ三杯からのスタートになる。これぐらいならなんとかなりそう。
 ところで、水戸街道(六号線)の混雑をはじめて知った。拙宅を出たのが八時と書いたが、江戸川と中川を渡るまでに一時間を費やしている。中川大橋から浅草橋でさらに三十分、浅草から白金は一号線を利用したが、こちらは一時間三十分、併せて三時間掛かった。病院の近辺で迷ったのもあるが、夜間なら一時間強の道程、日中の東京都下を走るのは大事である。
 電車の利用をよく薦められるが、これは論外である。ホームからホームへの移動など、健常者にとってはどうと云うこともない距離がわたしにとってはフルマラソンに相応する。もしも電車を利用するなら昏倒覚悟で車椅子が必須になる。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月04日 15:12 | 固定ページリンク




北里研究所病院  | 一考    

 朝八時に出掛けて帰ってきたのは六時過ぎ、終日検査漬けだった。
 まず、憩室の出血ならびに大腸のポリープの進行によって腹膜透析は不可能といわれた。主治医の見立て通り、あと二箇月は持たないだろうといわれる。カリウム性心筋梗塞に襲われ、あっけなくご臨終だそうである。十一日から三日間の入院、その二週間後に一週間の入院、要するに八月二十七日から血液透析に這入る。ただし、これは予定で、そこまで持たない可能性が多分にあって緊急入院も有り得るといわれた。
 自分で車を運転してきたことを知ると医師は無茶だという。いくら金数が掛かってもタクシーにすべきだと。買い物にも自分で行くと応えると、それも到底無理な話ですね、と。
 最近はウィスキーのボトルが三十キロのダンベルに思われてくる。五、六本も動かすと全身が悲鳴をあげる。カウンターのなかでは終日座っているのだが、それが二時間と持たない。腰が痛くて呻き声を洩らす。ウィスキーをグラスに入れようとすると目眩いに襲われる。客には申し訳ないのだが、とても笑顔は出てこない。月曜日は増田さんがいらしたが、帰り道で目の焦点が定まらず、危険を感じて三度も四度も停車した。
 医師からは三箇月ほど経てば透析に馴れてくる。そうすれば店の再開は可能だと告げられた。わたしのことだからそれまでに再開するだろうが、その間の店の維持費を捻出しなければならない。居るわけがないのだが、これほど手伝いが欲しいと思ったことはない。

 北里研究所病院の医師は若い、なによりも正直な医師である。質問に対して曖昧な物言いをしない、決して期待を抱かせない、さすが山崎医師の友だと思わせる。わたしはすこぶる好感を持った。初回のシャントは左手首に設ける、十一日の午後三時から医師が直接執刀する。糖尿ではないので、血管は丈夫、脈搏も問題なし。T字帯(越中褌)を持ってくるように云われたが、手首の手術にどうしてT字帯が必要なのか、考えれば考えるほど不思議である。わが息子に予備のシャントを造設するつもりかしら。

追記
 明日から店ははじめるが、開店時間をさらに遅らせて、八時半にする。それ以上立っていられないからである。事情を知らない客に迷惑をかけるので、しばらくの間会員制とする。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月03日 21:08 | 固定ページリンク




つづき  | 一考    

 医師が変わるというのは大変なことで、手続き(検査)を一から始めなければならない。尿、血液、心電図、エコー、レントゲン、CT、MRIと続いて、結果が出るに一両日が必要である。それは仕方がないのだが、この真夏しかも日中に白金を往復するのは体力的に自信がない。それでなくても、気温の上昇に比例して、目眩い、吐き気、便秘の昂進ならびに全身の倦怠感はとどまるところがない。拙宅は外気温に関係なく二十五度に保たれているので大丈夫だが、外気に晒されて二十メートルも歩くと意識が薄らいでくる。個体差があるのでなんとも云えないが、他の末期腎不全の患者はどうしているのだろうか。
 現在は自力で小用を足している。そのために多量(一日二リットル)の水分を補給している。透析をはじめると早晩自力での小用は不可能になる。そうなると、一日一デシリットルの水分制限に陥る。ただし、この一デシリットルは飲まれない、薬の嚥下に必要だからである。水なしの人生なんぞ、わたしに耐えられるはずがない。大方は耐えられなくなって水に手を出す、それが浮腫や胸水の理由になるのである。
 透析は尿毒素の除去もさることながら、余分な血中水分の除去に主たる目的がある。通常は週三回三時間からはじまって七時間半にまで延長される。現在の機能では二日で二デシリットルほどの水分しか除去されない。一日一デシリットルというのは、そこからの逆算である。透析がはじまれば厳密な体重管理が必要になる。飲んだ分だけ体重が増えるからである。それを捨て置けば命取りになる。また、透析に伴う急激な血圧の変化が心臓に負担をかける。透析に至る前と這入ってからでは身体の疲れ方が数倍異なるようである。
 わたしは糖尿病ではないので、網膜症には罹らない筈である。しかし、このところ視力が異常に弱っている。視点を定めるのにとんでもない意志力が必要になってきたのである。先日店で聴力の衰えを指摘されたが、視力、聴力共に老いが理由ではあるまい。造血から骨粗鬆症に至るまで、腎臓はとんでもないものを引きずってくる。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月02日 11:22 | 固定ページリンク




今日は営業、休みは明日  | 一考    

 北里研究所病院へ行こうと思って準備を済ませるも、一抹の不安を感じ、念の為に調べてみる。主治医から紹介状を頂戴した医師の外来担当は火曜日と金曜日、やはり間違えていた。出掛ける前に気付いただけでもまし、近頃のわたしはどうかしている。


投稿者: 一考      日時: 2010年08月02日 08:27 | 固定ページリンク




お休み2  | 一考    

 モルト会はおっきーさんに面倒をお掛けした。棚からボトルを取り出し、閉店後にボトルを片付けるところまで、お世話になった。また、新規ボトル四十数本の運搬から棚差しは川畑さんを煩わせた。さまざまなご協力があって、現在のですぺらは成り立っている。忝なく思う。
 モルト会に限らず、あれもこれもとの希望はあるのだが、とにかく身体が付いてこない。昏倒まではいかないが、今週はひどい眩暈になやまされている。短い営業時間だが、それすら無理をしているのは分かっている。透析がはじまれば、さらにダメージが大きくなり、曜日を決めての営業になる。迷惑をお掛けするが、どうかよろしくお願いしたい。
 まだ決めていないが、本日土曜日は休みにしようかと思っている。日中に主治医を訪ねたため、ひどく疲れている。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月31日 14:54 | 固定ページリンク




お休み  | 一考    

 月曜日は北里病院へ行くのでですぺらは休業です。あとの予定は現状ではなにもなし。医師すなわち検査結果によります。末期腎不全の場合、高血圧になると同時に貧血にもなります。目眩いはともかく、意識消失の因果関係が貧血以外にあるのかどうかを知りたいのです。
 今週は目眩いがひどく、脱力状態に陥っています。なんとかしたいと思っているのです。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月29日 21:40 | 固定ページリンク




新入荷のボトル2  | 一考    

 新入荷のボトルはかなり書き直しました。前回とロットが異なるためヴィンテージは同じでも、アルコール度数や本数が異なるからです。ピアレスシリーズなどは、前回と比して大幅な値下げとなりました。また新入荷のボトルへ記載はしていませんが、クラガンモアのカスクストレングスも25パーセントの値引きです。後から入荷した商品の値下がりが理由です。初回は航空便のため、運賃が一本当たり八百円から千円ほど掛かります。船便を待てば確実に値は下がるのだが、その折には売り切れという商品もあって、悩ましいところです。
 このところ、インポーターのモルトウィスキーからの撤収が続く。ハードリカーは思うほど売れない、在庫を抱えなければならないので、個人会社ならともかく、企業としては難しいのではないだろうか。そのため、在庫限りの安売りを見掛けるようになった。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月29日 21:38 | 固定ページリンク




新入荷のボトル  | 一考    

 一年近く入退院が続き、店を捨て置いてきましたが、この度新規ボトルが四十種類ほど入荷しました。その内の一部です。詳細はですぺらの方で。

 【スキャパ '88(ケイデンヘッド)】※ 1700円
 オーセンティック・コレクションの一本。97年のボトリング、オーク樽の9年もの、63.6度のカスク・ストレングス。
 【レダイク '79】※ 2000円
 1998年のボトリングにして19年もの、43度のディスティラリー・ボトル。
 1983年に閉鎖され、93年にバーン・スチュワート社が買収して操業を再開。それ以前の蒸留。他に99年ボトリングの20年ものがある。
 【ハイランド・パーク '80(ハート・ブラザーズ)】 1300円
 ファイネスト・コレクションの一本にして、16年もの、43度。
 【ハイランド・パーク '88(ウィルソン&モーガン)】 1600円
 99年のボトリング。バレル・セレクションの一本にして、10年もの、57.2度のカスク・ストレングス。
 【ハイランドパーク '86(ダンカン・テイラー)】  1800円
 2009年のボトリング。ピアレスの一本。オーク樽の22年もの、55.7度のカスク・ストレングス。176本のリミテッド・エディション。
 【ブナハーブン '97(ダンカン・テイラー)】 1100円
 2009年のボトリング。NC2の一本。12年もの、46.0度。
 ピーテッド・モルト。
 【ブナハーヴン・ヘヴィリー・ピーテッド '97(シグナトリー)】 1200円
 カスク・ストレングス・コレクションの一本。リフィール・シェリー・バットの11年もの、55.8度。336本のリミテッド・エディション。
 【ボウモア8年】※ 900円
 40度のディスティラリー・ボトル。
 若いモルトを好む伊太利亜のみに出荷。12年ものと比して香味は硬く、華やかさに欠ける。
 【ボウモア・マリナー15年】※ 1300円
 43度のディスティラリー・ボトル。
 もともとは免税品店における限定商品。
 【アイリーク '89(ハイランズ&アイランズ)】 700円
 マン・フロム・アイラとのサブ・タイトルを持ち、通称はイラック。
 ハイランズ&アイランズ・スコッチ・ウィスキー・カンパニーのボトルにして、元々はドイツ向けの商品。当初はラガヴーリンを詰めていたが、ラベルに描かれた蒸留所の絵柄から推し量るに、現在は40度のラフロイグかと思われる。しかし、ブリニーなピート香にラガヴーリンのおもかげが色濃く、なお疑問は残る。
 【ラガヴーリン '91(スコッチ・モルト・セールス)】  2200円
 ディスティラリー・コレクションの一本。10年もの、55.0度のカスク・ストレングスにしてシングル・カスク。
 樽の提供はイアン・マクロード社。ボトリングはスコティッシュ・インデペンデント・ディスティラーズ社。
 【ラフロイグ '96(ウィスキー・エクスチェンジ)】 1600円
 エクスクルーシヴ・モルトの一本。06年のボトリング、オーク・カスクの9年もの、52.3度のカスク・ストレングス、311本のシングル・カスク。
 ウィスキー・エクスチェンジ社はスピリッツへの情熱と40年間の豊富な経験を持つシャキンダー・シンとラジャバー・シンの2人の兄弟によって創設された酒類専門会社。1500以上のウイスキー、100以上のコニャック、ラム、その他のスピリッツなど、豊富な品揃えを持つ。また、最近ではボトラーズとしても活躍、数々のシングルモルト・ウイスキーを発売している。
 【グレンヒース(スコッチ・モルト・セールス)】 800円
 10年もの、40度。中味はオスロスク。
 かつて、グレン・マレイを核とした同名のピュア・モルト・ウィスキーが頒されていたが、本品は全く異なる。オスロスク蒸留所のシングル・モルト3樽をボトリング。1000本のリミテッド・エディション。
 ディスティラリー・ボトルのシングルトンと比してまろやかさで優る。色は淡く、カラメル香もなく、シェリー酒のテイストが濃厚。
 【オスロスク '90(キングスバリー)】 2000円
 05年のボトリング。ケルティック・シリーズの一本。バーボン樽の15年もの、62.8度のカスク・ストレングス。240本のリミテッド・エディション。
 【キャパドニック '72(ダンカン・テイラー)】 2600円
 2009年のボトリング。ピアレスの一本。オーク樽の36年もの、51.2度のカスク・ストレングス。
 【クラガンモア '89(ケイデンヘッド)】  1200円
 オリジナル・コレクションの一本。01年のボトリング。シェリー・バッドの12年もの、46度。限定678本。
 【クラガンモア '78(ゴードン&マクファイル)】  2300円
 96年のボトリング。17年もの、61.3度のカスク・ストレングス。限定696本。
 【グレンアラヒ '69(ゴードン&マクファイル)】  2500円
 87年のボトリング。18年もの、56.8度のカスク・ストレングス。限定696本。
 【グレンキース '68(サマローリ)】  2800円
 72年のボトリング。オーク樽の24年もの、45度。限定318本。
 【グレンロッシー '80(マキロップ)】 1700円
 1999年のボトリング。マキロップ・チョイスの一本。19年もの、63.2度のカスク・ストレングス。
 【ダルユーイン16年(ユナイテッド・ディスティラーズ)】※ 1200円
 花と動物シリーズの一本。43度のディスティラリー・ボトル。
 【ベンリネス '85(マキロップ)】 1500円
 1999年のボトリング。マキロップ・チョイスの一本。14年もの、61.5度のカスク・ストレングス。
 【グレンモール '76(インタートレード)】 2200円
 97年のボトリング。オーク樽の21年もの、43度。
 【ティーニニック '83(マキロップ)】 1500円
 1999年のボトリング。マキロップ・チョイスの一本。16年もの、53.3度のカスク・ストレングス。
 【ティーニニック '73(レアモルト)】 2800円
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトの一本。96年のボトリング。23年もの、57.1度のカスク・ストレングス。
 この後、27、29年ものがボトリングされている。
 【ロイヤル・ロッホナガー '86(ハリス)】 1200円
 2008年のボトリング。12年もの、46.0度。850本のリミテッド・エディション。
 【ロイヤル・ロッホナガー '86(ダンカン・テイラー)】 2000円
 2010年のボトリング。ピアレスの一本。オーク樽の23年もの、54.5度のカスク・ストレングス。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月28日 03:03 | 固定ページリンク




泣き言其の二  | 一考    

 近頃は酒屋で見掛けなくなると、酒の値はたちどころに値上げする。ちなみに、焼酎でもっとも高価なものは森伊蔵の長期洞窟熟成酒で、720ミリリットルが八千円、これ以上高い焼酎はない。東京ではブランドものの焼酎はことごとくが万単位で売られているが、異常である。モルトウィスキーも同様で、昨日まで一万円だった商品がある日突然二、三万円に値上がりする。それも値を上げているのは数人のマニアと便乗組の一部の酒屋であってインポーターではなかった。それがローズバンクの値上げのようにインポーターまでが悪乗りするようになった。
 どうしてこのようなせこい商売が流行るのか、先日書いたゼロスタイル(定価三百円)がオークションで千八百円で売られている。販売が東京だけなので、もっかのところは需要があるのであろう。それもこれもすべてはオークションに理由がある。前述の森伊蔵にしたところで、昔から予約をしているところへはコンスタントに這入っているし、どうしてもという向きは山形屋か高島屋へ予約をすれば入手可能である。どうして定価の三倍ないしは四倍の金数を払うのか理解に苦しむ。越の寒梅なども灘の酒と比して安価だったので流行ったのでなかったか。
 モルトウィスキーはほんの一部に代理店形式が残っているが、大半はインポーター経由である。発売即売り切れという商品もなかにはあるが、数本ならインポーターの手元に残っている場合が多い。高いものを掴まされる前に打つべき手立てはある。わたしは酒の仕入れにオークションは使ったことがないが、インポーターへの連絡は繁くしている。
 古書値は本の美醜によって四、五倍は開きがある。その最も高い値を地方の古書店は参考にする。要するに、通信の発達によって古書は神田がもっとも安くなったのである。それと同じでモルトウィスキーも一度高値が付くと下がらない。ところがインポーターのダンピング商品が東京には出回っている。前述のローズバンクも、東京では一万円を切ったが、地方ではいまなお高値で頒されている。
 蒸留所のオーナーが変われば酒の香味も変わる。しかし、ディスティラリー・ボトルは基本的に変わるものでない。ハイランドパークやタリスカーなどは瓶が変わり、ラベルが変わっても香味にさしたる変化はない。にもかかわらず、旧ボトル、旧ボトルと囂しい。まるで一億総商売人と化したようである。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月28日 02:44 | 固定ページリンク




泣き言  | 一考    

 ヤフオクでモルト・ウィスキーを購入したことはないが、参考までに見てはいる。ハートブラザーズ社のラガヴァーリンが64444円で出品されている。1988年蒸留2000年ボトリングの12年ものだが、この十年間に飲んだラガヴーリン(ラガヴァーリンの方が正しいのだが、わたしはラガヴーリンと表記している)のなかでは最高の品質だった。十年前、三箱十八本を一本当たり8900円から10080円で購入、一杯1800円で売りきった。三年後、某インポーターが35000円で取り扱い、前回のヤフオクでは50000円だった。従って、64444円はけっして高くないと思う。
 マッカラン1935、1936、1937、1947が出品されている。価格は85000円から110000円の間である。ひとの出品をよいしょする気はないが、液面に異常はなく、こちらも廉いと思う。とてもじゃないが、海外のオークションで買える値ではない。60年代の一部のボウモアやスプリングバンクが300000円から500000円、70年代のアードベッグが120000円から160000円、それらと比して破格値と云えようか。明石時代なら間違いなく購入していた。
 ですぺらはアードベッグに力を入れているが、60年代、70年代のアードベッグを一杯2500円から5000円で売っている。2500円だと20杯売れても50000円にしかならない。店売りはやめてオークションへ出品しようかと思う。それにしても、とんでもないものが出品されるようになった。いよいよ宝籤の購入に走ろうか。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月26日 15:08 | 固定ページリンク




ひとりモルト会  | 一考    

 モルト会で困ったことがある。当日はお手伝いさんがいるので大丈夫なのだが、モルト会以外の日のひとりモルト会である。数人そのような方がいらっしゃる。今までは喜んで対応させていただいたのだが、手間暇は同じ、現状では到底無理である。従って、モルト会はその日限定の催しにさせていただきたい。勝手を云って申し訳ないのだが、どうかよろしくお願い致します。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月23日 22:25 | 固定ページリンク




任意保険の凍結  | 一考    

 10年ほどの期間限定だが、任意保険を凍結できるのを知った。末期腎不全による骨粗鬆症でオートバイに乗られなくなった。顛倒の度に骨折するからである。自分の身体を大事にするのは趣味ではないが、こればかりはどうにもならない。
 自損事故は別にしてオートバイでは無事故である。従って、任意保険は20等級、割引率は60パーセントである。オートバイは遠慮するが、スクーターなら乗ってもよいと考えてる。スクーターはフルカバーなので足が保護されている。ところがオートバイは廃車にした。折角下がった保険がもったいないと思っていたところ、明石の毎日自動車商会から凍結すればというありがたい連絡が這入った。再契約の折に元の等級が復活するのである。しかるべき契約証と元の契約証、それと廃車証があれば可能だそうである。さっそく手続きを取ったが、任意保険にかかる項目があるのをわたしは今まで知らなかった。大体が保険証書など読んだこともない。迂闊といえば迂闊である。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月23日 22:11 | 固定ページリンク




ウィスキーもいろいろ  | 一考    

 一年ぶりに寡多録が新しくなった。カウンターに並べていたボトルも棚へ収納、随分とすっきりした。あとは今週一杯かけて新規ボトルの調整である。簡単に見えて休みのすべての時間を費やした。
 モルト会の解説は概略である。細かく書けば際限がなくなり長くなるので打ち切った。記憶違いは訂正した。「寡多録が新しくなった」と書いたが、こちらは随分と手を入れた。さらに修正を施してゆく予定である。とんでもない間違いが散見されたが、人から注意を受けたことが一度もない。やはり自分で訂してゆくしかない。この種の為事に終わりはない、人生と同じである。
 人の生き方の間違いを指摘するのは煙たがられるだけである。とはいえ、自分の間違いは正してほしいと思う。少なくとも、わたしはそう思っている。なぜなら、生きることに対してわたしは素人だからである。何歳になろうとも、これでよいという生き方がわたしにはない、ないと云うよりも理解できないのである。
 この消息は調法とも似ている。例えばわたしの田舎は高田だから蛍烏賊の生は子供の頃から馴染んでいる。しかし、物流の発達していなかった時代の神戸では蛍烏賊と云えば湯掻いたものしかなかった。過日引越でmoonさんがいらした時、蚕豆を買ってきたが、彼は湯掻くより焼く方が旨いという。それはきっと湯掻いたものばかり食べて育ったからではないかと思う。料理屋はどこでも焼いたものを出す、従って、わたしにとっては一分以内で湯掻いたものの方がおいしく頂戴できる。第一、面倒でないのがよい。虎魚などは千差万別で、刺身、揚げ物、椀物と囂しい。
 それでは調法の極意は珍しさにあるのかとなるが、それはどうやら正しい。わたしは人品骨柄にしても、珍にして奇なるをもって貴ぶ。そう思って今回のモルト会のウィスキーを見回せば納得できる。次回は決して旨くはないが、強烈な個性を持ったウィスキーにしようかと思う。輪ゴムの味、濡れた製材所、黴の生えた下穿き、出来損ないのパヒューム香等々、抱腹絶倒空前絶後のモルト会になる。題して「突飛なるものの」飲み会。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月21日 04:34 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会解説  | 一考    

01 グレネスク '82(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの12年もの、40度。
 VAT69の核をなす原酒だったが、1985年に閉鎖。モルト・ウィスキーの生産は休止したままである。今後、入手が困難になることは必定。
 モルトの生産は停止されたままだが、麦芽製造部門はフル稼動。ディアジオ社傘下の蒸留所に麦芽を供給し続けている。ディアジオ社のモルトスターでは他にグレン・オード、ブレチン(グレンカダム)とポートエレン・モルティング社がある。
 ライトでドライな飲み口だが、アルコール臭がある。フィニッシュは長く、スパイシーななかに甘味が残る。
 蒸留所名が幾度となく変わっているが、グレネスクと改名された1980年までの名称はヒルサイド。ケイデンヘッド社とゴ−ドン&マクファイル社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社からカスク・ストレングスが頒布されている。なお、ヒルサイド名義のボトルがユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトから97年に頒されている。

02 グレンアギー '67(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの27年もの、40度。
 スコットランド最東端に位置する蒸留所。1831年にビール醸造所として創立。何度もオーナーが変わるも、1970年ロング・ジョン・インターナショナル社が買収、その後ウィットブレッド社の傘下に入る。ディスティラリー・ボトルは一度も頒布されないまま、1983年に閉鎖。蒸留設備は取り壊され、再開の見込みは全くない。
 ポマードのような香りと苦みを伴う濃厚な味わい。飲む人によって大きく好みが分かれる。
 シグナトリー社、ゴードン&マクファイル社、ダグラス・レイン社、ブラック・アダー社、マーレイ・マクデヴィッド社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスがボトリングされている。

03 グレン・アルビン '77(シグナトリー)
 オーク樽による21年もの、43度、限定402本のシングル・カスク。
 スペイサイドを想起させる花の香り、豊かでスイートな芳香、胡椒のキャラクター、フィニッシュは頗るドライ。同年蒸留の16年ものあり。
 ネス湖の畔、ウィスキー産業の中心地として栄えたインヴァネスには多くの蒸留があったが、時と共に廃れ、最後まで残っていたグレン・アルビン、グレン・モール、ミルバーンも80年代に相次いで閉鎖。グレン・アルビンは83年に操業停止、88年には蒸留所も完全に取り壊され、スーパーマーケットに。
 グレン・モールとは姉妹蒸留所。1972年にはスコットランド最大手のDCL社の傘下に入り、その後ユナイテッド・ディスティラーズ社のグループに吸収。仕込み用水はネス湖の水を用いる。
 加水タイプがシグナトリー社とゴードン&マックファイル社のコニッサーズ・チョイスから、シグナトリー社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社からカスク・ストレングスが頒されている。

04 グレン・モール15年(ゴードン&マクファイル)
 40度。
 夏の牧草地と蜂蜜の香り。いまいち個性に欠ける。
 1892年に創立、マッキンレーの原酒。道を挟んでグレン・アルビンに隣接する姉妹蒸留所だったが、83年に共に閉鎖、88年には完全に取り壊された。仕込用水にネス湖の水を利用。観光客が多く、近頃はネッシーも姿を見せなくなった。地元ではグレン・ヴァーとも。
 加水タイプがハートブラザーズ社から、カスク・ストレングスがダンカン・テイラー社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトから頒されている。

05 グレンユーリー・ロイヤル '76(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの21年もの、40度。
 アーモンドの香りに、蜂蜜、ピスタチオ、アンゼリカ、ミントの味わい。ライト・ボディだが、酒質は堅く、しっかりしている。緑葉もしくは樹皮を噛んだようなフィニッシュは長く、シナモンの華やかな芳香が残る。
 アロマティックなウィスキーを代表する、東ハイランドの隠れた美酒。宅地開発のため、1985年に蒸留所は閉鎖、ライセンスは92年に取り下げられた。
 他ではカスク・ストレングスがシグナトリー社、ダンカン・テイラー社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトから頒されている。ユナイテッド・ディスティラーズ社のボトルは例によってオロロソ・シェリーのアロマが顕著。そのユナイテッド・ディスティラーズ社から1953年蒸留のの50年ものがボトリングされている。1953年はDCL社(現在のUDV社)がオーナーになった年。

06 グレンロッキー '75(ダグラス・レイン)
 オールド・モルト・カスクの一本。26年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。258本のシングル・カスク。
 かすかにトフィーやバターの香りがするものの、バンフ同様、印象が薄く、余韻の残らないモルト。
 創業は1898年。悲運の歴史を重ね、1983年に閉鎖。パゴダ屋根の蒸留所は歴史的建造物として保存されたが、内部の設備は取り払われ、再開の可能性はなくなった。
 ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスが1995年に頒布されたがすでに絶版。本品以外ではゴードン&マクファイル社のコニッサーズ・チョイスから40度のボトルが、ダンカン・テイラー社、シグナトリー社、ケイデンヘッド社からシェリー樽熟成のカスク・ストレングスが頒されているのみ。ダグラス・レイン社から52年蒸留の49年ものが2002年に発売されたが、高価につき、店主は飲んでいない。

07 ノース・ポート '74(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの18年もの、40度。
 ねっとりとしたアプリコットフレーバーが特徴。ライトでドライな飲み口、いささかホットな味わいのなかに甘味が残る。グレネスクとよく似た香味を持つ。
 アンガス地方のもっとも古い町のひとつブレチンの蒸留所。1983年に突然閉鎖され、建物は取り壊された。現在ブレチンに残る蒸留所はグレンカダムのみ。共にディスティラリー・ボトルのシングル・モルトは一度も頒布されていない。1823年にブレチン蒸留所となり、1839年にノースポートと改められた。
 ゴ−ドン&マクファイル社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社、マキロップ社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスが頒布されている。

08 バンフ '80(シグナトリー)
 オーク・カスクの22年もの、43度。限定378本のシングル・カスク。
 熟成年数の割にアルコール臭があり、後口に渋みと苦みが残る。全体としてはソフトでクリーン、要するにすべてに於いて物足りないモルト。加水するとジンジャー・ビスケットのような味わい。
 1824年に創設されたが、1863年には近郊に立て直された。83年に閉鎖、建物は取り壊され、蒸留所自体過去のものとなった。バンフという名称と共に土地の名前でもあるインヴァボインディーを名乗っていたこともあり、当時イギリス国会(下院)にも納入していた。
 70年代に閉鎖されたガーヴァン(レディバーン、エアシャー)、キンクレイス、ベン・ウィヴィス、または80年代だがモファット(グレン・フラグラー、キリーロッホ、アイルブレイ)のようなローランドの蒸留所のモルトも自己主張のない、すべてに於いて物足りないモルトだった。かかるボトルが一部のマニアの間で高値で取引されているのは、なにかしら、胡散臭さや虚しさのようなものを感じる。
 加水タイプがゴードン&マクファイル社、シグナトリー社、イアン・マクロード社から、カスク・ストレングスがウィスク・イー社の土屋守コレクション、シグナトリー社、ケイデンヘッド社、ダグラス・レイン社、ヴィンテージ・モルト社、ブラックアダー社、ボトラーズ社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトから頒布されている。

09 ブローラ '82(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの26年もの、40度。
 ナッツのオイリーな風味と熟した果実の甘さ。煤の臭い、焦げたオークのスモーキーなキャラクター、噛みごたえのあるタンニンを伴うスパイシーなフィニッシュ。クライヌリッシュと比してドライ、また極めてスモーキー。
 1967〜8年に新築された蒸留所がクライヌリッシュと名付けられるまでは、旧蒸留所がクライヌリッシュと呼ばれていた。そして、その旧蒸留所がブローラと改名されたのである。従って、ブローラ蒸留所名義で造られたモルト・ウィスキーは69年から83年までの14年間のみ。69年以前に蒸留されたクライヌリッシュはブローラと同じものである。現在、跡地はクライヌリッシュの熟成庫とヴィジター・センターになっている。
 アイラのポート・エレン、ローランドのセント・マグデラン同様、ストックが尽きた段階で飲めなくなるモルト。強烈な個性を味わえるのは今を除いてない。

10 ミルバーン '72(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの22年もの、40度。
 北ハイランドの中心地であり、ネス湖の畔、インヴァネスの蒸留所。ディスティラリー・ボトルが頒布されないまま、1985年に閉鎖、4年後にはレストラン兼パブに改装。近い将来、飲めなくなるモルト。足腰の強いモルトで、長期熟成ものにも若さがある。
 加水タイプがスペイサイド・ディスティラリー社、シグナトリー社から、ダグラス・レイン社からプリファード・ストレングスが、シグナトリー社とユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスが頒布されている。

11 ロッホサイド '81(マーレイ・マクデヴィッド)
 リフィール・シェリーの18年もの、46度のシングル・カスク。
 軽くスムースな味わい、ドライなフィニッシュだが余韻が残らず、なんら特徴を持たない。グレンモーレンジ同様、ミネラル分を含む硬水を仕込み用水に用いる。本品のラベルには「真の主役 東のスプリングバンクを楽しんでください」と記載されているが、何かの間違い。
 もともとジェームス・ドーチャーと言うビール醸造所、1957年にウイスキー蒸留所として創業。スペインの会社(マグナブ・ディスティラリー社)がオーナーだったため、マグナブスの主要モルトとして、またディステラリーボトルも主にスペイン市場で売られていた。
 モントローズにはロッホサイドとグレネスク、ふたつの蒸留所があったが、共に80年代半ばから操業停止、90年代に閉鎖された。ロッホサイドの閉鎖は92年、操業期間はわずか35年。ただし、グレネスク蒸留所はモルトスターとして活躍中。
 加水タイプがゴードン&マクファイル社、スコッツ・セレクション社から、カスク・ストレングスがゴードン&マクファイル社、シグナトリー社、ブラック・アダー社からボトリングされている。

12 インヴァリーブン '84(ゴードン&マクファイル)
 11年もの、40度。
 1938年に操業開始、ハイラム・ウォーカー社がバランタインに用いるグレン・ウィスキーのダンバートン工場を建設した際、モルトの蒸留所も同時に創設。1970年後半からローモンドスティルの使用を停止。操業停止は1991年だが、2002年にバランタインの蒸留所の複合施設が取り壊された時に蒸留所も消滅。過去、ディスティラリー・ボトルが販売されたことはない。
 インヴァリーヴンには、まったく異なる二つのタイプのポットスティルがあり、インヴァリーヴンとローモンドという別々のモルトウイスキーを生産。ローモンドスティルは、ハイラム・ウォーカー社が開発したもので、導入は1959年。ローランド地域で最後までローモンド・スティルを使用した蒸留所。ちなみに、ローモンド・スティルを用いたモルトではアイランズのスキャパが有名だが、他にも、グレンバーギ蒸留所のグレンクレイグ、ミルトンダフ蒸留所のモストウィ等がある。
 現在ゴードン&マクファイル社で瓶詰したものが少量で回っているがこれはインヴァリーブンのモルトで、ローモンドスティルで蒸留したモルトは完全に幻のウイスキーとなっている。
 シグナトリー社、ケイデンヘッド社、ダンカン・テイラー社、マキロップ社、パール・デ・ザンジュ社からカスク・ストレングスが、ダグラス・レイン社からプリファード・ストレングスが頒されている。

13 セント・マグデラン '81(ゴードン&マクファイル)
 コニッサーズ・チョイスの16年もの、40度。
 ローランドモルトとしてはボリューム感があり、ソフトでスムースな飲み口。クリーミーで、モルティーな甘さのあとにドライフルーツ、ナッツなどのキャラクター。ニートが似合うミディアム・ボディ。フィニッシュは程良く、スイートからドライへ。後口にごく僅かな苦み。
 セント・マグデラン蒸留所が建てられたのは1765年、一方で創業は1797年ともされる。いずれにせよ、リトルミルやローズバンク等と共に、最古参の蒸留所だったが、1983年に閉鎖、現在ではアパートメントになっている。ストックが尽きた段階で永久に飲めなくなるモルト・ウィスキー。地名のリンリスゴー名義のボトルもある。
 ゴードン&マクファイル社から加水タイプが、ケイデンヘッド社、シルバー・シール社、スコッチ・シングル・モルト・サークル社、ダグラス・レイン社、ダンカン・テイラー社、ハート・ブラザーズ社、ブラック・アダー社、マキロップ社、ウイスキー・エクスチェンジ社、ユナイテッド・ディスティラーズ社のレアモルトからカスク・ストレングスがボトリングされている。ゴードン&マクファイル社の100周年記念ボトルはお薦め。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月19日 09:06 | 固定ページリンク




ですぺらモルト会  | 一考    

ですぺらモルト会

モルト会のウィスキーは差し替えました。
7月24日(土曜日)の19時半からですぺらモルト会を催します。
1月以来、半年ぶりのモルト会です。
今回はハイランドとローランドのサイレント・スティルから選びました。会費は15000円。
ウィスキーのメニューは以下のごとし。詳しい解説は当日お渡しします。

ですぺらモルト会(ハイランドとローランドのサイレント・スティルを飲む)

01 グレネスク '82(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの12年もの、40度。
02 グレンアギー '67(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの27年もの、40度。
03 グレン・アルビン '77(シグナトリー)
  オーク樽による21年もの、43度、限定402本のシングル・カスク。
04 グレン・モール15年(ゴードン&マクファイル)
  40度。
05 グレンユーリー・ロイヤル '76(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの21年もの、40度。
06 グレンロッキー '75(ダグラス・レイン)
  オールド・モルト・カスクの一本。26年もの、50.0度のプリファード・ストレングス。258本のシングル・カスク。
07 ノース・ポート '74(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの18年もの、40度。
08 バンフ '80(シグナトリー)
  オーク・カスクの22年もの、43度。限定378本のシングル・カスク。
09 ブローラ '82(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの26年もの、40度。
10 ミルバーン '72(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの22年もの、40度。
11 ロッホサイド '81(マーレイ・マクデヴィッド)
  リフィール・シェリーの18年もの、46度のシングル・カスク。
12 インヴァリーブン '84(ゴードン&マクファイル)
  11年もの、40度。
13 セント・マグデラン '81(ゴードン&マクファイル)
  コニッサーズ・チョイスの16年もの、40度。

ですぺら
東京都港区赤坂3-9-15 第2クワムラビル3F
03-3584-4566


投稿者: 一考      日時: 2010年07月19日 01:52 | 固定ページリンク




遺伝子組み替え  | 一考    

 今夜は外食、今年に入ってはじめてである。外食とは云え、近所の回転寿司へ行く。これだと体調がおもわしくなければ一皿で中止できるからである。金目、伊佐木、目鯛、鮃、鮪トロの五皿で千円、一巻百円である。廉いと云えば廉いのだが、抹茶に閉口。考えてもみなかったが、鮨屋へ行くには烏龍茶を持ち込まなければならない。白湯で鮨は勘弁願いたい。
 あとからクレメジンを飲めばいいや、と思って抹茶を一口啜る。旨い、お茶の味を忘れかけていた。日本人であるであることを再確認、やはり煎茶、抹茶の類いは美味。遺伝子組み替えによる、カリウム抜きの緑茶の登場が待たれる。もっとも、日本ではほとんどの県で遺伝子操作の食品は製造すらが禁止されている。弱者に対して寛容さがこれほどない国も珍しい。遺伝子組み換えが自由になれば、食事制限はおおよそ解放されたものになるのに、と愚痴りつつ残りの抹茶を一気に呷って店を出た。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月19日 00:35 | 固定ページリンク




正規品と並行輸入品  | 一考    

 もっかモルト会の解説を起こしているが、気づいたことを一言。
 寡多録で触れたが、限定品を別にして、ディスティラリー・ボトルには正規品と並行輸入品とがあって、香味が随分と異なる場合がある。またはボトリングの年次によって味がまったく違う場合もある。さらに売値も倍から異なることがある。そのような場合は双方を在庫するように心掛けている。大半のお客さんは細かい味の違いでなく、安価なものを求められるので問題は生じないが、ごく一部に香味に五月蠅い客がいらっしゃる。そういう場合は仰有っていただければ対応する。
 売値が一万円と二万円といった場合、必ず香味に差違がある。ワインと同じで廉いとの理由だけで購入するのはいささか無謀である。まず、ヴィンテージの確認をすべき、一方でヴィンテージの記載がないウィスキーも多いが。マッカラン、ラフロイグ、ボウモアなどは要注意である。なお、オーナーやマスター・ブレンダーが入れ替わった場合も香味が徐々に変化してゆく。余談ながら蒸留所の消長もしくは閉鎖によってブレンドウィスキーが変化するのはやむを得ない。
 ボトラーズ・ボトルの大半はシングルカスクなので、並行、正規の違いはない。言い換えれば、カスクの違いはともかく、もっとも安心して飲まれるのはボトラーズ・ボトルである。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月18日 23:29 | 固定ページリンク




寡多録  | 一考    

 土曜日は店へ助っ人が這入った。ビールとおしぼりと足りないウィスキーを六本補填、しばらくは大丈夫である。(六本のなかにはラフロイグ18年のように一箇月を経ず、売り切れたウィスキーもある。同品には並行輸入もあって香味にマッカランのような違いはない。今回は並行もので1600円に値下げした)。二十四日のモルト会のウィスキーを確認、併せて寡多録と店内在庫の調整を計る。こちらは三日ほど掛かる。序でに家の在庫品を店へ運ばなければならない。
 去年の七月から入退院が続き、寡多録はそのままである。寡多録に掲載していないウィスキーが三十本ほどあって、逆に寡多録に掲載されているが在庫切れのウィスキーが三十本ほどある。それと新規ボトルが二、三十本。おそらく二十六日の月曜日に寡多録は一新される。
 やっと念願のウィスキーと寡多録に手を加えられる。これが今のわたしにはもっとも嬉しいことである。文面にも手を入れようかなどと欲が出てくる。いっそ定番商品はすべて外した寡多録にしようかと迷ったりもする。そう云えば、蒸留所のオーナーも随分と入れ替わった。先日も書いたが、マッカランのように香味がまるで変わったウィスキーもあれば、シーバス社が抱えていた蒸留所は約半数が店仕舞をした。ウィスキーの歴史も日々変化している。
 お名前は存じ上げないが、最近面白いお客がいらっしゃる。金曜日にもいらしたが、舌がずいぶんと鍛えられている、と云うよりは自分の舌を持っている。迂闊な酒は出せないが、なにを出しても実に適確な判断を下される。ウィスキーについて饒舌にならざるを得ない客、そうした客がもう少し増えて欲しいと願う。そうすれば、わたしも少しは元気になるのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月18日 04:53 | 固定ページリンク




蔚藍天  | 一考    

 意識が、自分という存在のひとつの側面にしか過ぎないことはよく分かる。意識が消失したところで、やがて意識は戻ってくる。その間にも存在はあるのであろう。ただ、意識が失われて行くときに次に現れるであろう意識を想定するのは不可能である。それっきりになることだって起こりうる。
 それにしても、意識が失われていくときの苦痛、全身の緊迫感はなんだろうか。背中のかゆみが一瞬にして全身に拡がる。非常事態のサイレンが身体中に谺する。知覚は視力から奪われ、皮膚感覚がなくなり、全身が熱のかたまりとなって、純白の残像を結ぶ。やがて真っ白の像が汗を迸らせる。なにかから逃げだそうとするのだが、その対象がなんだか分からない。知覚を取り戻そうと必至になればなるほど、身体は制御不能になってゆく。身体の先端から痙攣がはじまる。痙攣が腰へ来る頃、無駄な足掻きを諦める。ただただ、汗で濡れそぼった頭と顔と熱そのものが不愉快である。誰か熱を拭き取ってくれないだろうか、そうすれば安らかに眠れるのにと。記憶が跡切れ、時が失われる。
 記憶が再開されるとき、それはいつもなにかしら冷たいものからはじまる。冷たい地面、冷たい壁、涼しい風、氷か鏡のように凍てついた手、そうしたものに触れたもしくは触れられた気がして徐々に目覚める。目覚めと同時に記憶を辿るのだが、肝心なところは虚ろである。この時になにかを掛け違えると再び昏睡状態に陥る。そのなにかは名状しがたい。身体は常に消失の方向へ向かっている。従って気を張りつめなければならない。おそるおそる半眼で遠くを見る。見慣れた光景がおぼろに浮かび上がってくる。あと一息、蔚藍天を取り戻すにはあと三十分ほどの我慢である。

 意識消失を誰かさんに擬えてわたしは「小さな死」と名付けている。意識消失が繰り返されることによって、思いも知覚も身体も垣根がなく、存在はひとつの「もの」であることがよく分かる。だからこそ死を直前まで描写できても死そのものは理解できない。死は突然、天から舞い降りてくる。抗いようがない。例え、契機が自死であったにせよ、やはり死はにわかに翔け降りてくる。生活苦とか心象風景によって死を撰ぶほどわたしは軟弱でない。しかし、自らの意志によってどうこうなるようなものではない。死は想像を絶するほど暴力的である。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月18日 04:13 | 固定ページリンク




M・Aさんへ  | 一考    

 お手紙ありがとうございました。返書はこちらで書かせていただきます。簡略に掲示板を巻き戻してみます。
 末期腎不全であることを知ったのは去年の七月、当掲示板で「腎不全」なる文章を書いている。あの段階でクレアチニンが7.21、尿素窒素が79.9だった。担当の腎臓内科の医師からは即刻透析に入るべしと勧告された。突然、腎不全だ、透析だと云われても、こころの準備がなにもなされていない。考えるから待って欲しいとの願いに、待っている暇はない即刻透析に入るべしと繰り返されるばかりだった。末期腎不全がどういう病気なのか、因果関係は奈辺にあったのか、放置すればどのような死に至るのか、どのような対処療法があるのか、詳しいことはその時点ではなにひとつ分からなかった。説明不足に対して、医師に不信感を抱いたこともあった。
 同年十月、身体障害者手帳が交付された。当初は一種三級、要介護と大きく印刷されている。同じく十月、大腸憩室炎による大量出血と輸血。この折に死んでいてもなんの不思議もなかったと医師から云われました。命拾いとはこのこと。
 山崎医師のインフォームド・コンセントによって末期腎不全の概略が分かるも、透析や腎移植に対する抵抗感は一年を経た今もなくなりません、輸血をしたのですから同じことなのですが。

1 腹膜透析か血液透析かは決めておりません。身体の問題点が腎不全だけではないので、合併症を心配して医師は血液透析を薦めております。
2 電動車椅子の簡易バージョンですが、40万から300万円、あまりの高値なので迷っています。中古車なら5万円、スクーターで10万円、助手席に置ける小径の折り畳みの電動アシスト自転車なら新車で10万円ですので、そちらで間に合わせようかと思っております。
3 意識消失に伴う介護ヘルパーはぼちぼち考えなければなりません。仰有っての通り、買い物からゴミ捨て、風呂の掃除、市役所や郵便局、銀行の往復なのです。家では立ったり座ったりがきついので、ずっと寝そべるか匍匐前進です。
 問題は店の方で、今日お手伝いさんが来るので、ビールの購入をお願いしますが、今のわたしに仕入れはまったく不可能になりました。おしぼりや水の補給もいつ止まるか分かりません。手伝うと云ってくださる方は多いのですが、当方が望むようなことはなにひとつお願いできません。従って、お気持ちだけ頂戴しております。

 同封の資料、忝なく読了、腹膜透析を今一度考えてみましょう。
 今年の一月の血液検査でクロアチニンが9.25になり、医師からこれ以上は無理だろうと云われたのですが、その後、今月にいたるまで8.2から8.4の間を行き来しています。通常5.0位でさまざまな症例がでてくるのですが、わたしの場合は8.0を越えてから特有の症例に悩まされるようになりました。病気の進行ならびに症状の現れ方があまりに遅く、現れたたときには意識消失になってしまいます。これも個体差だと思っています。ただ、意識消失は因果関係が分からず、悩んでおります。意識消失は事前に予知できるのですが、手の施しようがなく、あの苦痛だけは避けたいと願っているのです。
 永らえるには腎移植しかないのは分かっています。結果的に移植になると幹郎さんとも話し合っています。それまでの間、応急処置として透析になりますが、その透析に這入るまでの期間を医師はあと二、三箇月とみているようです。

 医学的なことよりも、一番の問題は介護ヘルパーです。早晩、ヘルパーなしでは生きて行かれなくなります。もっか全エネルギーをですぺらの維持に費やしています。そのため、五時間の営業時間外は耄けたようになっています。何時この緊張感が切れるか、時間との格闘が続きます。
 最後になりましたが、この度はいろいろとご心配をお掛けし恐縮いたしております。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月17日 11:04 | 固定ページリンク




できる限り永く  | 高遠弘美    

拙訳のこと、かくまでお書き頂き、恐縮してをります。
先日は久しぶりにお目にかかることができて嬉しく存じました。
お元気さうで何よりでしたと、書けないところが何とも残念でなりませぬが、それでも、一考さんの強い意志の力をひしひしと感じてをりました。
どうかあらゆる手だてを尽くして、可能な限り永らへて頂きたいと切に切にお祈り申し上げます。 

お見せ頂いた佐々木幹郎さんのエッセイには私も深く感銘を覚えました。御礼を申し上げます。


投稿者: 高遠弘美      日時: 2010年07月16日 12:58 | 固定ページリンク




 | 一考    

 カワハギ、イサキ、メバルと毎日刺身を店へ持ってきている。もっとも、一人前か二人前なのだが、今日のメバルは売れ残りそうな気がする。とにかく活きがよいので、昨日は好評だった。売れ残りそうだと書いたのは、わたしが食べたいからでもある。
 妙なもので、忙しい筈の週末にはあまりよい魚が這入らない。ハマチ、カンパチ、タイ、ヒラメなど月並な魚ばかりで、磯魚は寡ない。ただ、常備品にさまざまなつぶ貝、ホッキ貝、トコブシが這入っているのが嬉しい。贔屓筋に鮨屋が居るに違いない。
 トコブシはアワビと同じミミガイ科の貝だが、殻の背面に並ぶ穴の状態で識別する。アワビでは4、5個なのに対し、トコブシでは6、8個の穴が開いている。昔は子供のおやつ替わりだったが、近頃は高値になった。四センチぐらいので一箇百円ほどする。客がコンスタントにあれば、いろんな刺身が置けるのだが。


投稿者: 一考      日時: 2010年07月15日 21:03 | 固定ページリンク




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