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若さについて   一考   

 

 「ほぞ」で書いたが、七日以降の二十三日間で体重が六キロ減った。精神に変化があれば体重が変わり、体重に変化がもたらされば精神も派手な活動をはじめる。やはり精神と肉体は密接な弁証法的まじわりを内包しているようである。体重の変化はひとときのことなので気にはしていないが、あまりに急な変化のために体力の消耗が著しい。痩せるのは好ましいが、月二キロに抑えなければならない。
 体重の減少を止めようと、このところ無理をしてでも食べるように心掛けている。しかし、先日も海苔弁当や丼の並盛にチャレンジしたが、食することはかなわなかった。朝飯の一日一食に戻ってしまったようである。しかし夜はかかさず酒を飲むので、その肴で栄養を補給している。前項で書いたおおむろさんにもマルゲリータを注文していただき、その内の二切れを頂戴した。

 のんちさんこと川津 望さんの精神の変化が私の体躯にも似て目覚ましい。若さがなせるわざなのか、ひとの言葉の読み取り、解体、透過、吸収という一連のサイクルに非凡なものがある。「断碑」で触れたTさんもそうなのだが、人生にカルノーサイクルはない、ことごとくが不可逆なものだということを彼等は身体で諒解している。
 自然界におこる変化は厳密にはすべて不可逆であるという当たり前のことを人はしばしば忘れる。その理由は分からなくもない。これ以上傷つきたくないとか、傷口を拡げたくないといった自己保身が底流にあるように思う。しかし、外界から遮断されたところでなにをいくら書こうが、それは文学とは看做されない。
 エントロピーが最大値になれば、もはやどのような変化も起こらなくなる、それを避けるために、精神は常に動きを、動揺を、搖れを、振れを冀求する。振れとは場の変改であって、精神はその変改を余儀なくさせる。変改を哲学するこころと受け取っていただいて問題ない。ここで強調しておきたいのは精神とは一刻の休みなく揺れ動いているものだということである。
 心にとって外界は唯一の栄養の補給路である。書くことが目的になっては本末顛倒である。なぜ書かなければならないのか、なにを書くのかが反芻されなければならない。そして反芻の原資もまた外界にしかない。「二切れを頂戴した」と書いたのはその消息を示唆している。人生に過剰な変化を意図してもたらすところに大事があり、その過剰な変化を意図して翳めるところに文学があるのではないだろうか。


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2007年06月05日 15:28に投稿された記事のページです。

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