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「熱と理由」   一考   

 

 かつて澁澤、出口、種村さんと太宰コンプレックスと云うべき人たちと知り合った。私たちはその癖をダザコンと呼びならわしていた。1950年生れ以降はさすがに減ったのだが、1920年代から40年代生まれには蕁麻疹に罹るがごとくダザコン病が蔓延した。そしてその世代は1959年から1970年までの安保闘争となんらかの関わりを持っている。他方、1950年代の朝鮮戦争特需により1955年ごろには日本経済は戦前の水準に復興、1968年には国民総生産が資本主義国家の中で第二位に達した。1950年生れ以降は太宰コンプレックスと縁が薄いと書いた理由は、その世代が物心がついた頃、日本は戦中・戦後の影響からすでに脱していたということである。
 私は間違いなく戦後そのものを生きた。そしてまわりには私同様、遅れて戦後を生きたひとたちがいる。そのひとりが佐々木幹郎さんであろうか。幹郎さんに「熱と理由」と題する熱くかつ直向な本がある。1977年10月に国文社から上梓されたが、初刷がまだ新刊で手に入る。内容は69年から75年の間に書かれたエッセイ集である。
 「昔、シェストフと共にバンジャミン・クレミウの「不安と再建」がよく読まれた。戦後の1918年から1930年を超現実主義と逃避の期間とし、人格分解の時代、不安の時代と位置付けていた。要は花田清輝式二項対立の先駆を担うがごとき評論集だった・・・始源と終末を繰り返す歴史のなかにあって、第一次世界大戦であれ、第二次世界大戦であれ、戦後というのはひとを不安にさせる。櫻井さんのいう単孤無頼の独人も本を正せば不安がもたらす人格分解にある。よるべを喪えばパーソナリティーそれ自体が体を成さなくなる。振り返る過去がなければ感傷も追憶もなにもなくなる」と書いた。名状しがたい不安感について触れた文章だが、「熱と理由」を読んで同種の感慨を抱かされた。
 幹郎さんが二十代になにを思い、憬れ、抗い、闘い、書き綴っていたのか、それら桎梏が手に取るように分かる。自ら在した時代を克明に綴り、その進行形がいまになお続いているところに彼の表現者としての真骨頂がある。書評を書くつもりは毛頭ない。新本で入手可能と書くこと自体が彼に対する私の最大の批評であり評価である。

 学生運動に取り憑かれた者にとって熟読玩味し、反芻せざるを得なかった「イカロスの翼」が本書には収録されている。敗戦の玉音放送を聞かされた箇所、それは太宰の「トカトントン」の削除された部分でもあるのだが、「戦争体験であれ戦後体験であれ他のどのような体験であろうと、現実がある何かの引力によって歪めさせられ、歪みを歪みとしてとりあつかうことのできない世界のなかで、個人を中心点とした遠心力とも求心力とも切り離されて、人間の内部にあるもうひとつの現実がものとして浮かびあがり、それが最初に切り開いてくる滅亡感覚である」と幹郎さんは著す。文章はつづく、「わたしが一篇の詩を書くために深夜の机にむきあっているとき、わたしの胸とつりあった高さで一人の死者が、その死の固有の輪郭を求めて悶絶し浮游しているさまと出逢うことがある。彼は叫び声をあげず、ただ瞳をひらいたままだ。その瞳の奥にただよっている熱と苦悩の軌跡を追ううちに、声をあげるのは生者の側であるわたしの方であり、その声はまた死者の瞳と出逢って存分に叩きつけられる。そのたびに叩きつけられた上皿天秤の一方の皿から、手で触れ目で確かめることのできぬもう一方の皿の方へ乗り移ろうしては詩を書いてきた」
 友の死に逢着し、その惨劇を目の当たりにして、自らを「擦過してゆくもの」と位置づける彼ののっぴきならない純情に私は涙する。あの魘された時代の渦中にあって、否、魘されていたが故に「個」に、「私」に、幹郎さんは拘泥する。こだわるが故の擦過である。私ならさしずめ咲嘩とするところだが、そのような駄洒落が通用しない熱と弁証法的屈折が汪溢している。澁澤さんは重度の弁証コンプレックスに罹かっていたが、幹郎さんのそれも、澁澤に勝るとも劣らない複雑骨折である。ひとはどこまでゆこうが時代の申し子である。それは「熱の理由」でなく「熱と理由」と題されたところにも顕れている。さまざまな種類の自我の同時存在はあり得ない。と云って、統一された自我なんぞさらに無い。戦後の一時期、「私」を求めて人々は自己解体を繰り返した。その運動がいかに虚しく切ないものであったにせよ、その熱だけは死ぬ日まで忘れてはならない。


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2009年01月10日 03:02に投稿された記事のページです。

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