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伊藤敬さんの翻訳   一考   

 

 「図書館創設のための提言」ガブリエル・ノーデの翻訳が伊藤敬さんから送られてきた。400字詰め133枚の労作(原本は167頁)である。私信が添えられてい、「・・・十七世紀フランスの「図書館論の元祖」ガブリエル・ノーデの翻訳をお送りします。然るべき版元をみつけて上梓するには数年はかかる見込みですが、ぜひとも一考さんの元気なうちにお読みいただければと考えてのことです。ここに、なにがしかの面白味を見出していただければ幸いです」と書かれている。
 伊藤敬さんはわたしが知る限りもっとも博識な方である。例えば、フェイスブックでシェアした「あべおろしそば始めました。もり・かけ継続中」に対する伊藤さんのコメントが振るっている。「サイドメニューにピラフも出しては如何? そのココロは阿部比羅夫」阿部比羅夫は飛鳥時代の日本の将軍であり、蝦夷地の侵略者である。日本国憲法の侵略者である安倍晋三の安倍にかけられ、かつピラフと比羅夫を捩ったものだが、わたしはお手上げである。
 「あべおろしそば」に対して、間髪入れずに阿部比羅夫を想起するところに伊藤さんの尋常ならざる博学多識ぶりがうかがえる。要するに、わたしごときが手に負える相手ではないのである。その伊藤さんが翻訳するに、ガブリエル・ノーデである。ますます持って始末が悪い、ここはひとつ黙してノーデに従うしかなさそうである。
 と書いたものの、「図書館創設のための提言」は第4章が圧巻ということしかわたしは知らない。その第4章(蔵書の質と条件はいかにあるべきか)から一部引用しよう。

 ・・・例えば、浩瀚な神学については、各種の聖書、教父の書、公会議書など、肯定神学については、リルのニコラウス、(サン・ヴィクトルの)フーゴー、(アロンゾ・)トスタード、サルメロン、スコラ哲学については、トマス・アクィナス、オッカム、デュラン・ド・サン・プルサン、ペトルス・ロンバルドゥス、アンリ・ド・ガン、ヘールズのアレクサンデル、ローマのジル(ジル・コロンナ)、アルベルトゥス・マグヌス、ペトルス・アウレオルス、ヴァルテル・ブルレイ、(ジャン・)カプレイオルス、(ジョン・)メイジャー、(ガブリエル・)ヴァスケス、(フランシスコ・)スアレス、ローマ法王全および教会法典については、バルデ(・デ・ウバルディ)、バルトロ(・デ・サッセフェラート)、(ジャック・)クジャス、(アンドレ・)アルチャート、(シャルル・)デュムーラン、医学については、ヒッポクラテス、ガレノス、パウルス・アエギネトゥス、オリバシウス、アエティオス(アミダの)、イブン・スィーナー、イブン・ズフル、占星術についてはプトレマイオス、(ユリウス・)フィルミクス(・マテルヌス)、アリ・アブール・ハサン、カルダーノ、(ヨハン・)ステッフラー、(ルカス・)ガウリクス、(フランチェスコ・)ジィウンティーニ、光学についてはアルハゼン、ヴィテロ、ベーコン、(フランソワ・)ダギュイオン、算数については、ディオファントス、ボエティウス、ヨルダヌス・ネモラリウス、タルターリャ、シリセオ枢機卿、ルカ・パッチョーリ、ヴィルフランシュ(エチエンヌ・ド・ラ・ロッシュ)、夢については、アルテミドロス、パッチョーリ、シュネイオス、カルダーノ、そのほか数え切れぬほどのこの種の著者たち。

 これが第4章の出だしでまだまだ続くのである。

 さらに、ある学問分野に対して的確な反論をし、あるいは世評もっとも高い著名な著作に対し、すぐれた知識と情熱で(ただ、原則を無視したり変えたりはせず)反対したあらゆる著者、すなわち、既成のあらゆる哲学をくつがえそうと公然と主張したセクストゥス・エンペイリコス、サンシュ、アグリッパ、占星術に対して理論的に論破したピコ・デッラ・ミランドラ、サルモニウスの徒の背教と非宗教性を粉砕するエウグビヌス(アゴスティーノ・ステウコ)、科学者の誤りを暴露した(ジャン・)モリゾ、今日ドイツのいくつかの地方で、アリストテレス以上の影響力を持つカルダーノを適切に批判したスカリゲル、かの大枢機卿バロニウスの教会年代記をあえて批判したカゾウボン、ガレノスの欠陥を指摘した(ジャコモ・)アルジャンティエーロ、パラケルススをよく論破しえたトマス・エラストゥス、(ペトルス・)ラムスに果敢な反論を加えた(ジャック・)シャルパンティエール、以上のような、論戦を展開した著者や、論敵の言い分を顧みず、一方的に断じたり理解したりし、それぞれの論点を切り離して読みとることの誤りを洞察して、論争の双方を公正に評価しようとつとめるあらゆる著作者。

 下世話なはなしで恐縮だが、昔、寿岳文章氏とお会いした時、「本は中身が命だ」と云われた。わたしが作る本の中身がいまいちとのことを婉曲に諭されたのだが、それに対してわたしもそのように思いますが、中身の善し悪しはどなたが決めるのでしょうかとの問いに、まず岩波文庫だねと一言、付け加えてわたしなら決められると、なんともはやファッショなお応えが返ってきた。ラテン語の「ファスケス」だが、革命的な意味合いを持つと同時に、「同盟、チーム」などの意味で使用されるようになった。わたしのような個のみを信じる向きには寿岳氏の言葉は権威主義にしか映らない。
 その点、ノーデの書物に対するまなざしには虫眼鏡と望遠鏡の双方が等しく機能している、かつ注意深く。時(歴史)の並列に於いてアンドレ・ブルトンの包括弁証法の極地ともいえようか。思うに、シュルレアリスムの作法はノーデからの掻っ払いでなかったか。「サドに匹敵する大胆な無神論的思想」の持ち主なればこそ、「稀なものが喜ばれるのだ。だから初もののリンゴには魅力がよけいあるし、だから冬咲きの薔薇も珍重されるものなのだ」との言葉も生きてこよう。

 ひとかどの図書館における資料収集を任とする者にとって、(フランチェスコ・)ピッコロミーニ、(ジャーコポ・)ザバレッラ、(アレッサンドロ・)アッキリーニ、(アゴスティーノ・)ニーフォ、ポンポナッツィ、(フォルティニウス・)リケトゥス、(チェーザレ・)クレモニーニをアリストテレスの古い翻訳書と並べ、アルチャート、(アンドレ・)チラコー、クセキウス、デュムーランをローマ勅法彙簒、学説彙簒と並べ、ヘールズのアレクサンデルやアンリ・ド・ガンダーヴォの全集をトマス・アクィナスの大全と並べ、クラヴィウス(クリストファー・シュリュッセル)、(フランチェスコ・)マウロリーコ、(フランソワ・)ヴィエトをエウクレイデス、アルキメデスと並べ、モンテーニュ、シャロン、ヴェルラム(のベーコン)をセネカ、プルタルコスと並べ、フェルネル(ジャック・)デュボア、(レオナルド・)フックス、カルダーノをガリアンとアヴィセンナの近くに置き、エラスムス、カソウボン、スカリゲル、サルマシウスをワロンと並べ、(フィリップ・ド・)コミーヌ、(レ・フロレンティン・フランチェスコ・)グイッチャルディーニ、スライダス(ヤン・フィリップゾン)をリウィウス、タキトゥスと並べ、アリオスト、タッソ、デュ・バルタスをホメロスやウェルギリウスと並べるといったように、すべての近代の作者の名著を収集して、古典作家のものと併置しないのは大きな手落ちであると主張します。気まぐれな(トライアーノ・)ボッカリーニさへも古典作者と近代作者のつり合いをとろうと考えたぐらいですから、多くの古代作者の力量が劣り、近代作家を凌駕するものはごく少ないことが分かると思います。

 繰り返すが、まるでシュルレアリスム宣言の原型を読んでいるようである。ノーデの思想は新しい、あまりにも斬新にして奇矯な思想である。伊藤敬さんが「図書館創設のための提言」を選んだ理由がなんとなく理解できる。訳文は流麗にして正確無比、この著訳書が日の目を見ることを切に祈りたい。

追記
 カタカナが多いため、誤植があろうかと思う。こちらで訂正してからフェイスブックへ載せることにする。


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2017年11月22日 21:16に投稿された記事のページです。

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