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移植手術   一考   

 

 12日の夜から禁じられていた食事が16日から再開(いつも思うが病院の重湯は不味い)。朝昼夕共に一口しか食われず。水分は1リットルのみ、生食点滴を3リットル。17日は重湯二口、量にして十分の一。水分は2・75リットル。生食点滴を2リットル。18日朝はじめて重湯を完食。これで軌道に乗れそうな気がする。
 開けても暮れても呑め、喰え、動けと叱責されるが、個体差があって思うに任せず。移植手術で六十五歳は高齢、三十万人の透析患者のうち、年間に約千五百人が腎移植を受ける。大半は六十歳台の親からの腎移植、従ってレシピアントの平均年齢は三十歳代が主であとは四十歳代。わたしの年でダメージが大きいのは考慮すると医師。例え考慮されても痛みは消えず、出血は続いている。
 十三日に移植した腎臓のレントゲン検査は毎日だが、十七日からエコー検査とCTスキャンが追加。エコー検査は夜空に咲き乱れる赤と青のネオン管のよう。遠ざかるのが青、近づくのが赤、腎臓内の血管がさんざめき、活躍する様が窺える。技師も年齢の割に順調である、と太鼓判。腎臓の隅々にまで血液が経巡っているそうな。
 何時ものことだが、全身麻酔には愕かされる。手術台へ上がって十秒か二十秒で気を失う。六、七時間の手術を終えても麻酔は一向に醒めず、序でに声を喪った。酸素が92を超えられず、酸欠が続く。従ってパイプを鼻の穴から肺のなかへ挿入。そのことと慢性鼻炎とが相乗し鼻も口もからからに乾燥し、うんともすんとも返事を発せられなくなってしまった。医師から凄い衝撃と素見されるも為す術なし。でもこれで鼻炎は癒るかもしれない。
 戸田中央にはICU十床(うち三床が個室)、CCU六床が設けられている。コンクリート剥きだしの器械やモニターに囲まれた部屋で、わたしが放り込まれた個室はまだしも、大部屋は病棟とは言い難い殺風景な冷たさに充ちていた。声を喪ったこととあまりの痛さにICUの思いは最悪である。その悪夢に小樽の爽やかな海風を持ち込んだのが東行啓子さん。もっとも彼女は北海道産というだけで興味があるのは札幌、積丹半島に興味がありそうには見えなかった。じつは彼女に生れてはじめて尿管に繋がった下腹部を洗っていただいた。わたしにとっては衝撃だった。
 お名前は存じ上げないが、三年ほどのサラリーマン生活を経て看護師の世界へ飛び込んでこられた方がいた。仕事に執心する看護オタクのような方で、十分置きに身体を触りに来るのでいささか閉口した。動もすれば彼の為事の邪魔をしたかもしれず、お詫びしておこう。(7月18日)

追記
 たった今、首筋と腕の三本の点滴ラインと尿管が抜き取られた。出血はあるが膀胱に蓄尿能力が遺されているので、溲瓶の利用を命じられた。これで人間を取り戻せる、嬉しくて声をあげて泣き出す。(7月19日)


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2012年07月29日 19:55に投稿された記事のページです。

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